早朝4時45分にニューヨークのホテルをチェックアウトした。まだ外は暗く、冷え込んでいた。ボストンにあるハーバード大学で朝8:30に開催されるミーティングに間に合わせるためには、ラ・ガーディア空港発6:30の飛行機に乗る必要があった。911の同時多発テロ以降、米国空港のセキュリティはタイトになっているので、これだけ早い出だしとなった。
幸いチェックインも早めに終わり、気持ちよく搭乗できた。雪がぱらつき始めている中、飛行機はゲートを離れ、滑走路の脇で待機していた。「寒さのため、一部の機材に氷が付着しており、その除去に時間がかかるため、今しばらくお待ちください」、とパイロットのアナウンスが入った。
15分おきに途中経過が入り、「今しばらくお待ちください」、を繰り返していた。そして一時間後の、4回目ぐらいのアナウンスには、ガッカリさせられた。
「次の飛行機も同様の除去作業をしており、両機の作業をするよりも、片方の飛行機に作業を集中した方がいいので、結局このフライトをキャンセルし、次のフライトのみ出発することになりました。今からゲートに戻るので、まだボストン行きを希望される方は、ぜひそのフライトにお乗換えください」、とのことである。
長年にわたる海外出張の経験を通して、米国の航空会社に対する信頼度は低くなっていた。特に、米国の国内移動は最悪だ。時間は守らないし、搭乗者が少ないと平気でキャンセルする。一方では、航空会社のせいでフライトが遅れても、乗換えゲートに少しでも遅れると搭乗させてくれない。挙句の果ては、たらいまわしである。
今回も、「どうせ一機キャンセルして、同じ収入でコストを節約して、収益を上げようと思っているのだろう」、という気持ちになっていた。「顧客を無視した対応だな」、と飽きれはしたが、怒るマイナスの感情を持って嫌な思いをせず、i-podでクラシック音楽を聴きながら平静を保ち、次のフライトに移ることにした。
結局、ニューヨーク出発は、予定時間より3時間近く遅れた。当然、ハーバード・ビジネス・スクール(HBS)卒業生理事会の最初のミーティングには、参加できなかった。次の理事会メンバーを選ぶ指名委員会に選ばれて、その日で最終意思決定する重要な会議だったのに、残念である。
一旦ホテルにチェックインして、荷物を預け、その足でHBSの理事会が行われている会場に向かった。結局その日は、ランチ前の「MBAプログラムの近況報告」に関するセ ッションからの参加となった。午前中の不在を挽回するかのように、会議での発言を多くすることにした。こういう国際会議では、座る場所や発言の回数や、質などが重要なのである。発言しないのは存在しないのと一緒に思われるので、積極的に手を挙げる必要があった。
ランチタイムには、HBSのベンチャーキャピタルで著名なビル・サルモン教授の横に座り、最近の世界のベンチャーキャピタル環境に関して意見交換した。この教授のルームメートが、米VCのクライナー・パーキンスで著名キャピタリストのジョン・ドーアであるという。このジョン・ドーアは、ネットスケープ、アマゾン、更にはグーグルなどを生み出した方である。ちなみに、このサルモン教授と同じクラスには、現大統領のジョージ・ブッシュもいたらしい。
午後に、ケースディスカッションを行い、分科会に分かれて討議した。僕は、卒業生クラブの運営に関する分科会に入った。アジアNo,1を目指す大学院の卒業生ネットワークをどのように運営すべきかを考える良い機会である。
夕方18:00からは、HBSとマサチューセッツ工科大学(MIT)のMBA生向けリクルーティングのためのプレゼンをすることになっていたので、理事会ディナーはキャンセルすることにした。「プレゼン」とは言っても、こちらから一方的にプレゼンテーションする訳ではなく、シカゴ、NYと同様、学生から質問を出してもらい、それに答えていく形式をとることにした。学生からの質問は、色々とあった。
・「ハーバードでは、何を一番学びましたか?」
・「どうして起業する気になったのですか?」
・「住友商事を辞めるときは大変ではなかったですか?」
・「今までで、一番苦労したことは何ですか?」
・「将来の夢は何ですか?グロービス以外で何かしたいことありますか?」
・「どうやってモチベーションを維持するのですか?」
というグロービスの起業に関することから始まって、
・「日米のベンチャーの環境はどう違いますか?」
・「ベンチャーの投資をするときに何を見ますか?」
というベンチャー関連の話しや、
・「グロービスのビジネススクールをどうやってアジアNo.1に持っていこうとしているのですか?」
というビジネススクールに関するもの。そして、
・「アジアの中で今後日本はどうなっていくでしょうか?」
という、もっと地球的な次元の質問や、一方ではキャリア相談的なものまで多岐にわたっていた。僕は、学生からの質問に一つ一つ丁寧に答えていった。
その後、チャールズ川を越えて、ハーバード・スクエアで食事会をすることにした。ボストンの冬は寒い。氷点下10度を下回り、しかも風が吹いている ので、さらに寒く感じた。やっとのことで、暖かいレストランにたどり着き、30名程度が横に長いテーブル席に着いた。なるべく多くの方々と話しできるように、食事中3回ぐらい場所を移動して、会話を楽しんだ。
翌日は、朝8時15分から、HBS卒業生理事会の会議である。最初は、「エグゼクティブ・プログラムの近況報告」のセッションである。13時に理事会の全体会議が終わり、皆に別れを告げた。次に会うのは、6月の予定である。
タクシーでの移動中に昼食を済ませ、13時30分からの別のミーティング会場に向かった。その後、15:30と16:30からの二つの採用面談を済ませた。結局、部屋に戻ったのが、17:00を過ぎていた。
やっと、会議と仕事から解放され、今回の出張中唯一のプライベートタイムとなった。楽しむ時間も確保しないと長い世界一周出張は、気分的に持たないものなのだ。「ボストンで何をしようかな?」、とNYからの移動中にあれこれ考えていたが、やはりボストンならではのものに触れることにした。
先ずは、シーフード・レストランだ。ニューイングランドのボストンと言えば、クラム・チャウダーやロブスターだ。比較的カジュアルなレストランで、それらを堪能した後は、シンフォニー・ホールでのボストン交響楽団の演奏だ。僕が、ボストンに留学していたころは、小澤征爾さんが指揮者で、何回か行ったことがあった。
今回の演目は、モーツァルトとハイドンのものであった。とても楽しみにしていたが、演奏は精彩を欠いていた。 以前はあれほど楽しそうに演奏していたオーケストラがこうも変わるかと思うと、リーダーの力量の重要さを痛感してしまう。でも、良い気分転換にはなった。
タクシーをつかまえ、ホテルに戻った。メールチェック後、またパッキングをしなければならなかった。今回の出張における米国での予定は、全て完了。シカ ゴ一泊、NY一泊、ボストン二泊、という慌しい旅程であった。
次の目的地は、大西洋を越えたロンドンである。ロンドンでは、欧州の投資家向けの会議が開催される予定である。翌朝も早いので、暖かい格好をして、早めに就寝することにした。
2007年1月26日
成田に向かい機内にて執筆
堀義人