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世界一周出張2007 - その2:アラン・パトリコフ氏の授賞式

投稿日:2007/01/26更新日:2019/08/21

フィラデルフィアからわざわざニューヨークまで来てくれた、ウォートンの学生に別れを告げて、アラン・パトリコフ氏が表彰されるレセプション・パーティの会場に向かった。タクシーの運転手に行き先を伝えて、NYの町並みを見ながら、アランとの関係を思い出していた。

アラン・パトリコフ氏は、エイパックス(Apax)の創業者である。

注)アラン・パトリコフ氏の横顔については、コラム「伝説のベンチャー・キャピタリスト、アラン・パトリコフ氏」をご参照下さい。

アランは、グロービスのベンチャー・キャピタルが飛躍するきっかけとなったジョイント・ベンチャーの交渉相手兼パートナーである。僕にとっては、年齢差が30歳近くあったので、パートナーというよりも、「上司」と呼んだ方が適切かもしれない。

アランは、「ベンチャー・キャピタル」と言う言葉が「発明」される前からベンチャー企業に投資をしてきた。ベンチャー・キャピタル業界では、伝説的な存在の方である。最初のファンドの総額が3億円弱であったというが、エイパックスは、今や2兆円規模の資金を運用する存在になっていた。

僕が、グロービスを創業してから数年間は、社外取締役のメンター的な存在の方はいたが、上司と呼べる存在はいなかった。それまでは、言わば、「自分の信じるがままに、自らが判断して行動をしてきた」、のである。だが、Apax社とのジョイント・ベンチャーをつくったことにより、それは許されなくなった。全ての案件、つまり、投資の意思決定から、採用・昇進・年棒改定更には昇進の意思決定まで、全てにアランの同意が必要となった。僕は、状況を逐次報告し、了解を得ることが必要となったのである。

東京とニューヨークなので距離も時差もある。報告及び意思決定は、メールや、深夜・早朝のテレビ会議を使うなどして、行わなければならなかった。

アランは、上司的な立場で、色々と指示、命令、アドバイスをしてくれた。僕はたびたび反発し、何度か電話やテレビ会議で喧嘩になったことがあった。そのおかげで、英語力がかなり上達することができたと思っている。(^^)¥

何年か一緒に仕事をするうちに、僕らはかなり理解し合えるようになっていた。僕は、アランから多くのことを学ばせてもらった。僕は、アランの豊富な経験、考え方や、強い意志、グローバルな視野に敬意を払っていたし、彼の率直な話し口が好きであった。一方、アランは、「Yoshiは、一度も私の信頼を損なうことはなかった」、と投資家にも、お世辞ではあろうが、言ってくれるまでになっていた。

アランの引退が近づいていたこともあり、Apax社とのジョイント・ベンチャーを解消し、グロービスとして独自のファンドを立ち上げることとした。当然、エイパックスがバイアウトを指向し、グロービスがベンチャー・キャピタルを指向をする、という路線の違いが一番大きな理由ではあったが、僕にとっては、アランがいないApax社には、あまり魅力を感じていないのも事実であった。

1999年1月14日に、グロービスとApax社とのジョイントベンチャー契約を調印してから、もう8年の月日が経っていた。アランは72歳となり、既にApax社から引退していた。僕はもう、アランとテレビ会議で喧嘩することも無くなっていた。

だが、彼は72歳であってもまだまだ現役のベンチャー・キャピタリストである。グレイ・クロフトというベンチャー・キャピタル・ファンドを新たにつくり、アーリーステージの会社に投資を始めているのである。この企業家精神には、脱帽させられる。

いつものように、NY出張の日程が確定してすぐに、アランにディナーのアポを申し入れたら、アランからは、「その日はアワードを受けるレセプションの日である」、との答えが返ってきた。

僕の好奇心がムクムクと湧き上がるのが感じられた。「僕も参加してもいいか?」とダメモトでアランに聞いてみたら、アランからは「いいよ」という返事が返ってきた。

そして今、タクシーでそのレセプション会場に向かっているのである。17丁目にあるルービン美術館という2,3年前にできたヒマラヤ芸術に特化した美術館に、タクシーが横付けした。

米国では、美術館貸切りのパーティは珍しくない。受付をすませ会場に入ると、立食形式のパーティが既に始まっていた。ワイングラスを片手に、皆が談笑していた。 参加者は、思っていたより若かった。 その中にアランの姿を見つけたので、歩み寄り握手をして「おめでとう」と伝えた。アランは、そんな挨拶はお構いなしの様子で、次から次へと、一方的に色んなことを話し始めた。

アランは先ず、近くにいる人々を僕に紹介し、それから「会場には、何でこんなに東洋系の人が多くいるのだろう」、「この組織は何をする組織なのか良くわからない」 、とアワードを受けることに照れくさいのか、矢継ぎ早に捲し立ててきた。僕はちょっと圧倒されたので、アランとその周りの方々に一通り挨拶をした後、ワインを取りに行く振りをして、その場所を立ち去ることにした。

僕も、「この組織が何をするのか?」や、「何のアワードだろうか?」、「なぜ参加者がこれだけ若いんだろう?」と気になっていたので、僕なりに、実地調査をすることにした。

赤ワインをピックアップしてから、近くにいる東洋系の美しい女性に声をかけてみることにした。色々と話をして、わかったことは、次のとおりである。

どうやら主催者は、「エコーイング・グリーン」というNPO団体で、ジェネラル・アトランティックというベンチャー・キャピタルが20年前に創設したNPO支援団体であった。このエコーイング・グリーンの活動は、主にNPOの創設期に何年間か資金を提供する、というものである。つまり、ベンチャー・キャピタル的アプローチをNPOに当てはめ、NPOを支援しようというものである。NPOとしてNPOを支援する組織なのである。

そのエコーイング・グリーンは、既に20年近く活動していたが、まだまだ知名度が足りないので、広くその活動を知ってもらうために賞を創設した、ということである。その賞の名前が、「Be Bold賞」である。日本語に訳すると「勇気を出せ賞」であろう。どうやら、勇気を出してNPO的な活動に貢献した方を表彰することにより栄誉を称え、多くの方をボランティア的活動に参加してもらおう、という趣旨で始めた賞であることがわかった。

その栄えある第一回の賞をアランが、他の2人(CNNのアンカーウーマンと米国の教育関係のNPO創業者)とともに受賞したのである。「なぜベンチャー・キャピタリストのアラン・パトリコフ氏がNPOの賞なのか?」と思う方も多いと思う。その理由は、プレゼンターと彼の受賞後のスピーチの中で明らかになっていった。

アランが表彰される番になった。アランは、よれよれのスーツ姿で登場した。クリスタルの盾を授与された後、マイクを右手に、左手にはクリスタルの盾を持ちブラブラさせながら話をし始めた。この部分は、間違ってもマネをしたくないな、と思った(笑)。アランのスピーチの骨子は、以下の通りであった。

アランは、現在以下のように自分の仕事の時間配分をしているのである。

70% ビジネス
20% ボランティア
10% 政治活動

アランにとっての「ボランティア」とは、主に、アフリカにベンチャー・キャピタル的手法を導入して新たな産業を興そうとしているのである。僕が勝手に作った言葉であるが、「マイクロ・インベストメント」みたいなものであろう。バングラデシュの経済学者ムハマド・ユヌス氏は、「マイクロ・ファイナンス」で昨年のノーベル平和賞を受賞したが、アランは「マイクロ・インベストメント」なのである。

アランは、数年ほど前から、ベンチャー・キャピタル業務の傍ら、アフリカのナイジェリア、ケニア、マリ共和国などに年に4-5回ほど行き、「マイクロ・インベストメント」を実施しながら、アフリカを貧困から救おうとしているのである。それも、「寄付」するのではなくて、「産業を根付かせよう」として働いてきているのである。

一方、アランにとっての「政治活動」とは、民主党の大物サポーターとしての活動である。ここだけの話だが、ビル・クリントンがまだアーカンソー州知事だったころに彼を見出し、それ以来ビルとヒラリー夫妻をサポートし続けてきたのである。クリントンが大統領だったころは、ホワイトハウスへの出入りは自由であったらしい。当然、今も積極的に活動しており、ヒラリー・クリントンの財務委員長として、資金面を一手に引き受けている、という。会場でも、「近いうちに、ヒラリー出馬表明するぞ」と喧伝していた(筆者注.ヒラリーは、その翌日に出馬表明した)。

アランは、金曜日になるとニューヨーク郊外の高級別荘地であるサウス・ハンプトンへ家族とともに向かい、日曜日の夜に帰ってくる生活をしている。そのサウス・ハンプトンで、よく資金集めのパーティをしているらしい。その資金で、ヒラリーの応援をしているのである。  

どうやら僕は、アランの影響を強く受けているようである。軽井沢の山小屋の構想もアランのサウス・ハンプトンの別荘に触発されたものである。

更に、僕は最近政治的な活動も盛んに行い始めている。これぞと思う政治家二人(世耕弘成氏西村やすとし氏)の後援会長を務めているし、更にNPOの活動として、『YES!プロジェクト』も立ち上げている。日本では、政治に肩入れすることを敬遠されているが、米国では逆に市民活動として奨励されているのである。

アランも常日頃、僕に「積極的に政治活動に関与してはどうか」と推奨していた。要は、「ビジネスマンや一市民が積極的に政治に参画して、国や世界を良くしていく意識を持つことが重要である」、ということなのであろう。

政治に無関心、無関与であれば、民主主義は成り立たないのではないか?とすら言っているようである。責任ある立場にある人は、自ら所属するコミュニティ(日本人の場合は日本とかアジアそして地球)に対して責任を持つべきなのであろう。だからこそ、僕も『YES!プロジェクト』を通して、多くの方々に政治への関心を持ってもらうようにしているのである。

ちなみに、欧州のエイパックスのパートナーであるロナルド・コーエン氏は、中東和平にも関与しており、トニー・ブレア英首相とともに、中東に行くこともあるらしい。世界次元のビジネスマンは、政治に関しても積極的なのである。

ただ、今回のアランの受賞理由は、10%の政治活動ではなくて、20%のボランティア活動を称えられてのものである。「何か世界にいいことをしていますか?」、と会場にアランに質問されたのが、とても印象的であった。そんなことをアランが質問するとは考えにくいほど、以前のアランは、ビジネス、ビジネスしていたからだ。

しばらくするうちに、アランのスピーチは終わっていた。僕は、隣にいた美しい東洋系の女性と名刺交換をして別れを告げた。彼女は、連邦準備銀行(FRB)に勤める才女で、エコーイング・グリーンフェローとして、その活動をボランティアでサポートしているのだという。

アランが関係者に挨拶をした後、アランと二人で会場を後にして、近くのイタリアン・レストランに向かった。そこで、師匠と弟子、いや、今や不思議な友達関係なのかもしれないが、いずれにせよ二人で遅めの会食を楽しんだ。

ホテルの近くまでタクシーで送ってもらい、アランと別れを告げた。NYの夜の空気は冷たかったが、心は暖かいままであった。部屋に戻り、パッキングをして、次の目的地であるボストンに向かう準備をすることにした。

2007年1月24日
ロンドンのホテルにて執筆
堀義人

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