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高野山で学ぶ経営

投稿日:2005/03/02更新日:2019/08/21

ダボスから帰国後、慌しい日々を過ごしているうちに三週間ほど経ってしまった。

その間、色んなことがあった。ダボスから一日早く帰国して動き回った、「税制改正」との闘い、(参照コラム「ダボス会議での憂鬱」グロービスの経営幹部による経営合宿、さらにはソウル出張など。そのバタバタの中で、最も印象に残っているのが、帰国の翌週、グロービス・マネジメント・スクール(GMS)の受講生と一緒に登った高野山での出来事だ。

僕は、3年連続で高野山に登っている。一昨年は、ネミック・ラムダ社の創業者である斑目力曠氏と2人っきりであった。昨年は、斑目氏と受講生30名程度と一緒に登った。そして今年は、斑目氏が風邪のため残念ながら急遽キャンセルとなったが、昨年同様に30名ほどの受講生が、東京・名古屋・大阪から集い、皆で高野山に登った。「なぜ斑目さんで、なぜ受講生と?」や「なぜ高野山?」など疑問に思われると思う。

先ずは、「なぜ斑目さんで、なぜ受講生と?」を説明しよう。僕が講師として教えている「企業家リーダーシップ」のクラスでは、ケースの題材となる経営者をゲスト・スピーカーとしてお招きし、経営者の哲学や経営理念を受講生に語ってもらうようにしている。このコースの4回目のクラスでは、ネミック・ラムダ社の経営哲学を題材とするケースをもとに、創業者の斑目力曠氏にゲストスピーカーとして参加していただいているのだ。ちなみに、斑目氏には毎年3回、東京、大阪、そして軽井沢の夏合宿に、ゲストスピーカーとしてご参加頂いている。近々、名古屋でも「企業家リーダーシップ」のコースを開講する予定なので、名古屋でもお願いすることになる。本当に頭が下がる。

そして「なぜ高野山?」というと、実は、斑目氏は密教のお坊さんで、ハイテク・ベンチャーを始める前は、高野山大学の大学院まで行かれていた僧侶なのである。つまり、斑目氏は僧侶から転身してベンチャー起業家になった方なのだ。そう聞くと、ちょっととっつきにくい感覚を覚えるかもしれないが、実際はとても気さくな方だ。自称「なまくさ坊主」とのことだが、確かに、お酒は飲むしタバコも吸うしで、実.に人間くさく、魅力的だ。そして、そのチャーミングな斑目氏が創ったネミック・ラムダ社の経営には、僧侶のバックグランドからか密教思想が色濃く反映されている。そこで、そのルーツを辿ろうということで、「密教が育まれた地である高野山に登ろう」、ということになったのだ。

数年前から、「斑目さんと一緒に高野山に登ってみたい」、と思っていたのだが、なかなかチャンスがこない。やっとのことで、スケジュールを決定したが、最初は斑目氏のご都合でキャンセルとなり、二度目は僕に予定が入ってしまい、2回も計画倒れに終わってしまった。

それでもめげずに、三回目の計画を立て、やっとのことで念願であった高野山ツアーの計画が実行されたのである。でも、やっと高野山に登れたのが厳寒の2月だった。理由は、大阪開講の「企業家リーダーシップ」のクラスは、毎年、なぜだか1月から3月に開講する。斑目氏にご登場いただくのは4回目のクラスなので、2月に大阪に来て頂く事になる。斑目氏に大阪まで来ていただいたその足で、高野山まで登ることにしているので、必然的に高野山が一番寒い時期になってしまう。いや、斑目氏が言うには「寒い」ではなく「痛い」のである。それだけ、寒い中での高野山ツアーとなるのだ。

最初に二人で登った高野山はとても想い出深いものだった。土曜日の朝、難波の南海電鉄の改札前で待ち合わせして、特急「高野」に乗車した。そして、電車の中で斑目氏が持参されたノート型のパソコンを手渡された。そこには、パワー・ポイントで百数十ページにわたる色とりどりのスライドが入っており、密教思想がわかりやすくまとめられていた。僕はそのパソコンにまとめられたパワーポイントをクリックしながらめくり、わからない部分があると隣にいる斑目師匠に、「これはどういう意味ですか?」と質問をする。それに対して、自称「なまぐさ坊主」の斑目師匠は、眠たそうな目を半分開けながら、親切に教えてくれた。

特急「高野」が極楽橋(ごくらくばし)というすごい名前の駅に到着し、ケーブルカーに移動した。そして数分後には、高野山の頂上に到着した。難波から約2時間ほどだ。駅を出たら、袈裟を着た宿坊の住職が待っておられた。住職直々でのお迎えだ。斑目氏が住職に丁重に挨拶をされて、車に乗り込み、宿坊「西室院」へ向かった。西室院は、弘法大師が、中院・東室・北室・西室の四室を設けられた山内寺院の最初とされているものらしい。住職のおかみさんが作って下さった昼食を頂いた後に、住込みの高野山大学の学生のガイドで、一の橋から奥の院まで歩いて観光した。途中で、織田信長のお墓などに参拝した。

その後、金剛峯寺で皇室の方々がお泊りになる場所を見て、斑目氏の母校である高野山大学を訪問し、近くの本屋さんに行き、密教関係の本を何冊か購入した。そして、宿坊に戻り一風呂浴びた後に、おかみさんの手料理の精進料理を、住職と斑目氏とおかみさんと四人で楽しんだ。ビールが出てきたときはビックリしたが、どうも宿坊ではビールはOKらしい。

冬は季節はずれなのか、宿泊客は僕ら以外に、一組の中年夫婦のみであった。そのせいか、住職もおかみさんものんびりしていて、斑目氏との昔話に花を咲かせていた。斑目氏と住職とは、学生時代からのお知合いのようだ。そして、話題が西室院の襖や欄間に向かった。「あの欄間が元禄時代で、襖が桃山時代だ。やはり、桃山時代の襖は、豪華絢爛であった」、などの会話を聞くと、数百年があっという間にタイムトリップしたような感覚になる。

翌朝、朝5時30分過ぎに住込みの学生が起こしに来てくれた。朝6時から理趣(りしゅ)経を唱えながらのお勤めに参加するためだ。コートを着込んだまま、寒い本堂に向かい、30分ほどお勤めをした。その後、住職にお礼をしたあとに、7時過ぎのケーブルカーに乗り、高野山を下山した。特急「高野」を経て、心斎橋にある大阪校に向かい、朝10時からの「企業家リーダーシップ」のクラスに臨んだ。斑目氏がゲストスピーカーのネミックラムダ社のケースである。クラスの中で、高野山に行ってきた話をちょっと自慢げに披露すると、受講生からは「いいな〜、僕らも(私ら)も行きたい」ということになった。その結果、翌年からは、受講生・修了生の希望者を募って、一緒に登ることになったのである。

これを、僕らは、「斑目氏と行く、冬の高野山の旅」と呼んでいる。旅と言っても、観光目的ではなく、グロービスらしく学びが伴うものである。昨年は、陳 舜臣氏の著書『曼陀羅の人-空海求法伝-』を読み、斑目師匠とディスカッションをしながら、弘法大師空海の人となりに迫った。今年は、司馬遼太郎の『空海の風景』を読んで読書会を行った(読書会に関しては別のコラムで触れてみたいと思う)。

「歴史上の人物で好きな人を3人上げてみなさい」、と言われたら、間違いなく僕は、その中に空海を入れると思う。それほど、僕は空海が好きでなのだ。その空海が作った高野山の一大仏教キャンパスは、1200年を経た今日までその思想と魂とが受け継がれているのである。果たして、グロービスがつくる山の中のキャンパス(参照コラム「キャンパス候補地巡り」)が1200年後まで残ることになるのであろうか。この山に登るたびに、そんなことを考えさせられる。

今年は、この高野山で一つのアイディアが生まれた。そのアイディアを現実のものとすべく、今受講生とともにその準備に取り組んでいる。そのアイディアに関しては、次のコラムに記すこととする。

2005年2月28日
グロービスのオフィスにて
堀義人

 

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