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ダボス会議にセレブの登場!

投稿日:2005/02/07更新日:2019/08/22

今年のダボス会議のもう一つの特徴は、セレブが多く参加したことである。

参加したセレブとは、リチャード・ギア、ライオネル・リッチー、シャロン・ストーン、アンジェリーナ・ジョリー、コメディアンのクリス・タッカー、U2のボーカルのボノなどである。あとで聞いた話だが、マドンナからも、「参加したい」、という要望が出ていたようだが、さすがにフォーラム側は断ったらしい。

これらのセレブが、今年のダボス会議に新鮮な風を吹かしていた。今までは、政治家、経営者、学者、NGO、メディアが主体だったこの会議に、新たにハリウッドや英国のセレブが加わったのである。

ダボス会議2日目に英国のバンド”U2”のリーダー兼ボーカルのボノが登場した。そのセッションは「G8と貧困」というタイトルで、パネラーが豪勢であった。前日にキーノートで喋ったトニー・ブレア英国首相、ビル・クリントン米国前大統領、先日800億円弱の寄付を表明したマイクロソフト社CEOのビル・ゲイツ氏、そしてアフリカ側の代表として、南アフリカとナイジェリアの大統領が参加されていた。そしてそこに、なぜかミュージシャンのボノが加わっていたのである。皆、スーツにネクタイ、あるいは民族衣装等に身を包んでいるのに、ボノは一人だけ、革のパンツにジャンパーという出で立ちで、しかも怪しげな薄めのサングラスをかけていた。

記念撮影のためパネラーが壇上で一列に並んだ時も、皆おとなくして立っていたのに、ボノは一人だけ右手を上げてピースサインをしていた。まさしく、彼は一人だけ、「浮いていた」、のだ。

しかし、このパネラーの中で最も聴衆のハートを掴んだのは、このボノであった。他の人が政治的に正しい論調で語っているにも関わらず、ボノだけは貧困に闘う姿勢を前面に打ち出し、聴衆の感情面に訴えかけていた。並居るパネラーの最後に登場したボノが、最初に口を開いて発した言葉は、「僕はこの論調のトーンが嫌いだ」であった。ミュージシャンらしい、感覚的な言葉である。

「意見が違う」ではなくて、「トーンが嫌いだ」である。そして「そもそも、あなた達は本当に貧困を撲滅したいという意思があるのか?」という問いかけから始まり、「今の現状は、危機的状況で且つ緊急を要することの認識があるのか。僕らの世代の緊急の課題はアフリカの貧困を無くすことである」。そしてパネルの最後に、たまたま翌日がアウシュビッツが発見されて60周年を迎えることもあり、そのアウシュビッツを例に出して喋り始めた。

「ポーランドの友人の一人が、小さい頃に見た光景ということで僕に語ってくれた。彼が見た光景というのは、汽車にユダヤ人が乗せられてどこに連れて行かれるのかがわからずに不安になっている姿・表情である。子供の時に見たその光景を何十年たっても忘れられない」、と。そして、続けた。

「実は、今の世の中ではこれ以上ひどい事が起っているんだ、と友人は教えてくれた。それは、アフリカで起こっている貧困とマラリアの惨状である。毎日何万人という人が死んでいっている。飢えとマラリアからである。そして蚊に刺されたら、死んでしまうということも子供達は知っている。彼らは、行き先を知っているのである。行き先を知らない汽車に乗っているわけではないのだ。死ぬということを知っていながら、どうしようもできないのである」。

そして、ボノは訴えた。「僕は今回、その行き先がわかっている汽車を止める決心をしている。僕の残された人生をアフリカ大陸で起こっている貧困との戦いに捧げようと思っている。今回こそは、あの汽車の前に寝転がり、汽車を止めてやるんだ」、と。ビル・クリントンでも、ビル・ゲイツでも、トニ・ーブレアでもなく、ミュージシャンのボノが聴衆のハートを掴み、強い印象を残していった。彼の信念には、僕も感服させられた。

僕は、何にそれだけの信念を持てるのであろうか。静かに存在感を失いつつある日本という国のためか。それにしても、その国では、「税制改正」などをしながら、政府が自らの首を締めようとしているのである(コラム:「ダボス会議での憂鬱」参照)。民間の一起業家である僕に何ができるのであろうか。

そしてダボス会議3日目には、リチャード・ギアとライオネル・リッチーの登場である。10年ほど前からフォーラムの理念である「世界の現状を向上するためにコミットする」に文化面で貢献した人々に、クリスタルアワードを贈呈している。昨年は、マリンスキー・オーケストラのバレリー・ゲルギエフ指揮者が受賞していた。

今年の受賞者は、リチャード・ギアとライオネル・リッチーであった。ウクライナのユーシェンコフ大統領のスピーチ後、すぐに授賞式が行われた。しかし、フォーラムの代表であるクラウス・シュワブ氏がリチャード・ギアの名前を呼んでからの光景は、自分の居場所が変わったかのように感じられた。もはや、ダボス会議にではなく、あたかもハリウッドのアカデミー賞かグラミー賞の授賞式に参加しているような気がしてきた。

リチャード・ギアがゆっくりと壇上に上がっていく。髪の毛はもう白髪になっていたが、スタイルは昔のまま、スラッとしていて格好いい。片手はポケットの中に入れて、ゆっくりと壇上に上がっていった。今までの参加者は、ポケットに誰も手を入れて歩いたりしなかった。彼は、シュワブ氏が受賞理由を説明している間もポケットに両手を突っ込んだままでいた。なぜだか、それが不快感を与えないのである。

そして、彼がクリスタルのトロフィーを受け取り、演台の前に立った。大画面に彼の顔が映し出された。そして、ニコッとはにかみながら笑った瞬間に、彼は聴衆を虜にしてしまった。今まで見てきた、トニー・ブレアやビル・クリントンなどとは全く違う魅力を持っていた。僕にとっては、とても新鮮な驚きであった。セレブのセレブである所以がわかった。彼ら、いわゆるセレブ達は、その場にいるだけで、また少し喋るだけで、皆をハッピーにできる力を持っているのである。華を感じられた。

そして甘いマスクのリチャード・ギアが喋り始めた。「一人一人がストーリーを持っている。僕は、一人一人のストーリーと結びつき、何らかの貢献を社会にしていきたい」と。そして、次は、ライオネル・リッチーの出番である。彼は、愛の重要性を訴えかけた。「愛が無ければ、気持ちは伝わらない。もっとも重要なのは愛である」、と。二人の登場が、ダボス会議の会場の雰囲気を一変させてしまった。

その後すぐに、「文化リーダーとの会食」というテーマで、ディナー・セッションが予定されていた。その参加パネラーのリストには、リチャード・ギア、ライオネル・リッチー、コメディアンのクリス・タッカーに加えて、シャロン・ストーン、アンジェリーナ・ジョリー、バレリー・ゲルギエフ(マリンスキー・オーケストラ)、ベンジャミン・ゼンダー(ボストン交響楽団)、ピアニストのピーター・ガブリエルの名前があった。これは、何としても行きたいという気持ちにさせてくれる。

ダボス会議では、大きなホールで開催されるイベント以外は、原則サインナップ(申込み)が必要である。人気があるセッションは、殆どあっという間に申込みが終了してしまう。ダボスに到着後、先ず皆が何をするかというと、受付で渡されたPDAを使って一日目と二日目のセッションの申込みをするのである。PDAは、ダボス・コンパニオンと呼ばれていて、そのPDAでセッションのサインアップができるようになっている。遅れてダボスに入ると、人気があるセッションは売り切れ状態になってしまうのである。三日目以降のセッションは、前日(つまり二日目)の朝7:30から申し込みが可能になる。従い偉いCEO達も、皆が早起きしてPDA(ダボス・コンパニオン)を使って申し込むのである。

ところが、有名なホテルではこのPDAの電波を発信しているが、僕が滞在していた安ホテルには、電波が届かない。仕方が無いので、早起きして朝8時過ぎには、会場に入ることにした。会場に着くなり、PDAのスイッチをオンにして、「文化人リーダーとのディナー」、つまり「Celebrity Dinner」を申し込むべくトライする。残念なことに、もう既に一杯で、受付けられなかった。何度もトライしたが、結果は一緒であった。

仕方がないので申込みデスクまで出向き、キャンセル待ちをすることにした。何と既に22人もキャンセル待ちをしており、僕は23番目であった。これでは入れるわけがない。でも参加したい。そこで、諦めきれずに、当日ディナーの会場で待つことにした。

レストラン前で待たされること数十分、ダメだろうなと思いながら、粘り強く待ちつづけた。キャンセルが8席ほど出て、キャンセル待ち一番から順に名前が呼ばれていった。会場前には20人以上がキャンセル待ちしていた。キャンセル待ちの順番が若い順から名前が呼ばれ始めた。幸い、呼ばれてもその場にいない人が多かった。キャンセル待ちでは入れない、と思ったのか、或いは、長く待たされるのが嫌だったのだろうか、キャンセル待ちの若い番号の人はあまり来ていなかった。期待が膨らんできた。そして23番目に「Yoshito Hori」と名前が呼ばれた。僕はギリギリで会場に入れることができたのである。とっても嬉しかった。(^^)

そして、会場に入るなり、リチャード・ギアに挨拶をして握手をした。あの「アメリカン・ジゴロ」の映画の表情のままであった。端の方に席を見つけて着席した。会場は興奮状態であった。米国バライエティ誌の社長兼発行人が、挨拶をして一人一人を紹介した。ノルウェーの皇太子も一参加者として、いらしていた。後でお話しをしたが、「セレブのディナーに長いこと待たされるなんてちょっと照れくさかった」、とおっしゃっていた。

コース料理が運ばれてくる合間に、文化人リーダーの一人一人が挨拶をしていった。一つ一つの言葉がまっすぐに心の中に飛び込んできた。政治家・CEOたちの言葉とは全く違う、心に、魂に訴えかける言葉であった。ライオネル・リッチーは、歌をも披露してくれた。

そして、デザートが運ばれ始めた時に、セレブが退席した。別れ際にライオネル・リッチー、クリス・タッカーとも握手ができた。残念ながら、シャロン・ストーンとアンジェリーナ・ジョリーは、結局来なかった。

でも、僕にとって一番嬉しかったのは、マリンスキー・オーケストラのバレリー・ゲルギエフ指揮者と直接お話しができたことである。僕は、多少の酔いも手伝ってか、ゲルギエフ氏のテーブルに行き、握手を求めながら、話しかけてみた。「昨年、ダボスで上演された、くるみ割人形に感動しました。次回、来日される際には、必ず見に行きたいと思っています。その際、花束を贈呈するから僕のことを覚えていて欲しい」、と厚かましくも伝えた。

彼は、「日本には来年1月に行く。でも、その前にサンクトペテルブルグでコンサートをやるから来て欲しい」と言ってきた。僕は、「そうは言っても、コンタクト先がわからない。どうすれば良いのでしょうか」と尋ねた。ゲルギエフ氏は、名刺など持っていない。そこで、自らがペンをとり、近くのメモ帳に、直筆で電話番号を書いてくれたのだ。そこには日程が書いてあり、その横に「Try to come!」と書かれていたのである。僕は、ロシアには行った事が無い。この機会に、ぜひとも行ってみたいと思っている。

ダボス会議に、文化人が多く来るのは、歓迎である。今年のダボスは、憂鬱な気分で始まったが、この日だけは、とてもご機嫌であった。こうやってダボス会議の最後の夜が更けていった。

2005年1月29日
ダボスから帰国する飛行機の中で
堀義人

 

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