伝説のベンチャーキャピタリスト、アラン・パトリコフ氏 

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本日、アランパトリコフ氏が短期間の出張を終えて、米国に帰国した。今回の滞在期間は、3日間と短かったがとても有意義であった。

アラン(以後普段どおり、アランと呼ばさせてもらう)との最初の出会いは、1998年の4月である。アランが経営するパトリコフ社がアジアに進出するにあたって日本で組むパートナーを探していた。僕らがそのパートナー候補として名が上がったので、NYに乗り込み、アランに直接プレゼンテーションして以来の関係である。未だ5年間強とお付き合いしてからの期間は短いが、密度は濃い(アランとの関係に関しては、1998年11月8日のコラム「交渉の本質」をご参照ください。

この5年間にいろんなことがあった。何回も激論を交わしたし、僕も憤慨してほかのパートナーに不満をぶつけたこともあった。ただ、本心から言える事は、アランとの基本的な信頼関係は、"この5年間で一度も揺らいだことは無かった"ということである。アランも僕に一度言ってくれたことがあった。「この5年間で、Yoshi(英語では僕はYoshiと呼ばれている)のことを一度も疑ったことが無い」、と。アランとは、常に言いたいことが言い合える本当の意味での文字通りの良き「パートナー」なのである。

今回、アランの来日中に、彼と対談をする良い機会を得た。アランの来日の際には、なるべくグロービスの受講生にアランがスピーチする機会を過去にもつくってきた。今回企画するにあたって、趣向を変えてみた。二部構成にして、第一部をアランのスピーチにして、第二部に僕との対談をすることになった。グロービスの教室がクラスのスケジュールで埋まっていたので、丸ビルの貸し教室を使って受講生以外にもオープンに参加を募った。日本で第一線で活躍するベンチャーキャピタリストも多数来場された。

仮屋薗氏の開会の挨拶に続き、第一部のアランのスピーチを聞きながら、僕は対談で何を質問しようかと思案していた。「対談」と称しながらも、僕は、実のところ「質問」しか考えていなかったのだ。僕にとっては、アランから学ぶよい機会なので、なるべく多くのことを学びたいと思っていたので、これは当然のことともいえる。

アランは、34歳でベンチャーキャピタルのファンドを立ち上げて、今は68才である。ちょうど人生の半分をベンチャーキャピタルに費やしてきた人生である。その「伝説のベンチャーキャピタリスト」から、率直に色々と聞き出す良い機会である。普段から聞く機会はもらえていたが、多少の照れもあって、未だ完全には聞き出せていなかったのだ。今回は、聴衆を味方にして聞き出したいことを全部聞くことにした。

いよいよスピーチも終わり、対談に入った。僕は、以下を立て続けに質問した。

「良いベンチャーキャピタリストと悪いベンチャーキャピタリストとの違いは何か?」
「今までの失敗事例を教えてください。そしてなぜ失敗したのか?」
「ベンチャーキャピタルの成功要因は何か?」
ほかにも色々と質問したが、僕が一番興味を持っていたのは、『直観』に関してである。

アランは、良いベンチャーキャピタリストとしての成功要因として、あらゆるスキルを磨きぬいたその後に、全ての能力が統合されたものとして「直観(instinct)」が重要だと以前から言っていた。直観が重要とは、厳しい現実だ。つまり、直観が働かない人は、いくら頑張っても良いキャピタリストになれないということである。となると、良いベンチャーキャピタリストになるには、頑張って直観を磨かなければならない。
果たして直観は磨けるのだろうか?

「直観が成功要因とのことだが、どうやったら直観は身につくのか?」と質問してみた。

答えは、多岐にわたっていた。「先ず、好奇心をもって全てから学ぶ姿勢をもつべきだ。そして、成功と失敗を通して、試行錯誤しながら考えつづける必要がある。様々な事例に触れる必要がある。更に、良い師匠を見つけて徒弟制度的に身に付けるしかない」、とのことである。

僕も、答えを聞きながら、ふと僕の短いベンチャーキャピタリスト人生を振り返っていた。僕も、ちょうどアランと同じ年(34才)に、ベンチャーキャピタルのファンドを立ち上げた。1996年のことである。アランの最初のファンドも小さかったけど、僕らのも小さかった。僕らは、投資家から預かったお金を一円たりとも損をさせまいと、そのファンドを試行錯誤しながら運営していた。僕らは、一生懸命に働いたが、本当に正しい手法で投資をしているのかどうかは、僕らにはわからなかったのだ。その時に、アランとの出会いがありパートナーシップをつくったのである。

アランとのパートナーシップを締結後、僕らは必死になって欧米の投資手法を吸収した。海外に合計で半年近くいたこともあった。先ずは、手法を全て学びながらも、それを改良していった。今は、僕らなりの日本に適した手法を身につけていったが、アランから学ばせて頂きありがたく思っている。お蔭で、僕らのファンドはこの厳しい環境の中でも一号、二号とも順調である。

アランは否定するが、彼も68才なので近いうちに引退していくことになるだろう。それまでに、僕らは彼からなるべく多くを学び吸収したいと思っている。今回の日本滞在中にも色々と教えていただいた。 僕は、アランにはベンチャーキャピタリストという側面ばかりでなく、一人間としても学ばせてもらっている。父としての生き方、ライフスタイル、哲学、世界観、ユダヤ人的な商売の方法論など幅広く教えてもらっている。ありがたいことである。

アランと僕とのこの良き人間関係は、Apaxとグロービスとの関係が例え解消されることがあったとしても、続くことになろう。ありがたいことである。

このコラムに引き続き、学びに関するコラムを書きたいと思っている。

 

京都大学工学部卒、ハーバード大学経営大学院修士課程修了(MBA)。住友商事株式会社を経て、1992年株式会社グロービス設立。1996年グロービス・キャピタル、1999年 エイパックス・グロービス・パートナーズ(現グロービス・キャピタル・パートナーズ)設立。2006年4月、グロービス経営大学院を開学。学長に就任する。若手起業家が集うYEO(Young Entrepreneur's Organization 現EO)日本初代会長、YEOアジア初代代表、世界経済フォーラム(WEF)が選んだNew Asian Leaders日本代表、米国ハーバード大学経営大学院アルムナイ・ボード(卒業生理事)等を歴任。現在、経済同友会幹事等を務める。2008年に日本版ダボス会議である「G1サミット」を創設。2011年3月大震災後に、復興支援プロジェクトKIBOWを立ち上げ、翌年一般財団法人KIBOWを組成し、理事長を務める。2013年6月より公益財団法人日本棋院理事。いばらき大使、水戸大使。著書に、『創造と変革の志士たちへ』(PHP研究所)、『吾人(ごじん)の任務』 (東洋経済新報社)、『人生の座標軸』(講談社)等がある。

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