昨日をもって、僕の尊敬する父が退職した。父は、24歳で大学院を卒業後、41年間にわたって原子力の研究に携わってきた。「お疲れさまでした」と言いたい。
父は、大学院工学部を卒業後、茨城県東海村、大洗の原子力関連の研究機関の設立に携わった。2度米国に住み、米国研究機関や大学との共同研究に従事して、現在、米国原子力学会や国際原子力学会International NuclearSocieties Council)の理事に就任している。退職後もその役職を継続する予定で、今年もこれからニース、ソウル、ワシントンDCなどの学会やコンファレンスに参加すると話していた。とてもパワフルだ。
僕は、アカデミックな家風の中、学者である父に知的刺激を受けながら育ってきた。父が、海外出張のたびに知恵の輪や知的なおもちゃを買ってきて、僕は嬉々として頭を振り絞っていたことをよく覚えている。東海村の団地では、自然に親しむかたわら、科学者の息子たちと将棋やチェスなどに戯れることが多かった。父の仕事の関係で7歳までニューヨークで1年間とミシガンで2年間、計3年間にわたって海外で過ごした。
父は、車が大好きだ。ある日、フェアレディーSR311(1968年製)に乗って、さっそうと帰ってきた。車の専門誌で「中古を売ります」という記事を見つけて、すぐさま買いに出かけたらしい。「こういうのは早い者勝ちだよ」というのが本人の弁であった。夏は、愛車のオープンカーで毎日通勤していた。カーレーサーの資格(B級ライセンス)を持っており、週末には筑波サーキットに夫婦で出かけてレースに参加し、いつも楽しそうに帰ってきていた。
家では、英語の雑誌を多数購読して、英語力が落ちないように努力していたようである。また、何よりも囲碁を好み、アマチュア5段の力量でもある。オーディオやパソコンなどのメカも好きで、よくいじっていた。
僕は、なぜかメカに強くないし、囲碁も打たないし、車にもあまり興味を持っていない。どうも性格的には正反対のようだ。でも、父の言動が、知らぬ間に僕の人格面に浸透していったと思う。
僕が中学生のとき、水泳の練習で疲れて帰宅し2階の寝室に戻る際、父の書斎を通りかかると、いつも電気がついていた。ふと覗くと、毛布を足にかけて机に向っている父の姿がそこにあった(なぜか家の設計ミスで父の書斎には暖房が入っていなかった)。毎晩のように、仕事が終わったあと、12時過ぎまで研究活動や論文作成などをしていたようである。その姿に影響を受けないわけがない。
僕は、高校時代に1年間オーストラリアに留学して、「人生は楽しむものだ」という哲学と気軽なライフスタイルとに感化されて帰国して両親を慌てさせた。僕は、受験前にもかかわらずまったく勉強する気配も見せずに、遊びほうけていた。父に、「僕は、地元の大学に行って教職に就いて人生をエンジョイすることにしたよ」と伝えたら、父に初めて居間に呼ばれて一言アドバイスを受けた。「クリエイティブな人生を歩みなさい」と。
一度も叱られたことがなかった父に、生まれて初めて忠告を受けたので、従わないわけにはいかない。僕なりにいろいろと考えた結果、志望を工学系に替えてクリエイティブな研究活動の道を歩むことに決めた。結局、研究活動は僕には向いていないと悟り、その後ビジネスの世界に転身したが、いまだにクリエイティビティには、強くこだわっている。父のアドバイスには、とても感謝している。
父は、三つのホームページを自ら作成して開設している。一つがファミリーのHP、一つがフェアレディのHP、そしてもう一つが国際原子力学会(INSC)のHPである。感心するのは、すべて自らがデジカメ等を使って作成しており、しかも、全文英訳つきである。スゴイ!! 先日フェアレディのHPをちょっと恥ずかしげに見せながら、「ここを押すとフェアレディの音が出るんだよ。やっとヒット数が2000件を超えた」と言って喜んでいた。コラムの読者の方もよかったらアクセスしてみてください。
URL:http://www2s.biglobe.ne.jp/~SROC/
父は、定年後は、ホームページを英語に翻訳する仕事をオンラインで受注することも考えているようだ。好きな技術と英語力を活かしながら、ボーダーレスのインターネットの中で、父はまた、知的好奇心を満たすものをみつけるのかもしれない。