今の人材マネジメントにおける旬のキーワードの一つは、働き方改革だろう。国際的に長かった日本人の、特にホワイトカラーの労働時間をいかに短縮するか。これは労働生産性を高めるという問題でもあれば、日本人のQOL(生活の質)を上げるという問題でもある。
一方で、個人として考えた場合には、これからの働き方改革で生まれた時間を何にあてるかという問題が出てくる。休息にあてるか、遊びにあてるか、それとも自らへの投資にあてるか――これは10年後の自分を決する大事な決断と言える。
今までは、良くも悪くも自分の時間は会社が管理してくれていた。だから時間の使い方など考える必要もなかった。そんな人が、これからは自分で考えなければならないのだ。
『サピエンス全史』という本の中にあるように、人類の進歩はつい最近まで非常に穏やかだった。そんな時代であったなら、疲れたら休めば良いし時間があれば遊べば良いということであっただろう。
けれど現代に生きる我々は急激な変化の中に生きており、それは今後、AIの発達でさらに想像を絶するレベルにまで上がる。そして我々の仕事も激変するだろう。AIが本格的に普及すれば、付加価値の高い仕事ですらかなりの部分をAIが行い、残りの一部を限られた人間が行うだろうと予想する人も多い。
今まで我々のほとんどは、年齢を重ねればそれに応じた付加価値の高い仕事をする機会が与えられてきた。しかしこれからは、価値の高い仕事をできるのはごく一部の人間になってくる。単純に言えば、給料が右肩上がりになる人は、ごく一部に過ぎなくなってくる。
働き方改革のおかげで仕事時間が減って楽になってよかった、と言っているうちに、気がつけば負け組になっている、ということが他人事ではなくなってくるかもしれない。
まあ、まだそんなことにはならないだろう、と油断しているのは禁物だ。労働政策研究・研修機構の統計によれば、40年前から20年くらい前までの日本では、勤続30年目の給料は初任給の2.2倍ないし2.3倍だった。ところが今日では、30年勤続しても賃金は初任給の1.8倍程度にしかならない。AIの影響を待つまでもなく、変化はすでに始まっているのだ。
ただ本当に恐ろしいのは、こうした世の中の変化というものは今すでに起きているものの、感覚的にはその変化はあまりにもゆっくりとしているため、ほとんどの人が知覚できないことである。まだ大丈夫だろう大丈夫だろうと思っているうちに、手遅れになるのだ。こうしたことを「ゆでガエル現象」と言う。
フランスなどではカエルをゆでて食べるが、煮立ったお湯にいきなりカエルを入れても飛び出してしまう。けれども水またはぬるま湯の状態にカエルをつけて、徐々に湯を沸かしていくと、カエルは気持ちよく鍋の中にいるまま、いつの間にやらゆだってしまうという(筆者は毛ガニで試したが、まったくその通りだった)。
つまり我々は変化に対して鈍感であるために、そこに気持ちよく安住している間に取り返しのつかないことになる可能性があるのだ。
だから我々は、働き方改革で生まれる時間を何に費やすかを真剣に考えなければならない。おそらくは自分への投資に費やし学習と成長を続ける人のみが、ゆでガエルの運命から逃れることができるのではないか。