朝7時10分発のプライベート・ジェットに搭乗すべく、30分前の6時40分にボストンのホテルを出た。7時前には、ローガン空港のチャーター機専用ターミナルに着いた。セキュリティチェックを並ぶことなくすぐ済ませ、カウンターで待って暫くすると、2人のパイロットが近寄ってきた。主操縦士のレンと副操縦士のジョーである。僕1人を運ぶのに2人もついてくれているのだ。チェックインも何もいらない。挨拶をしたのちに、副操縦士のジョーが荷物を引きずり持っていってくれた。そして7時10分には、ジェット機に搭乗していた。
ボストンでの用事が終わるまで全行程で2週間もかかった。カンヌでのスピーチとボストンのキャリアフォーラムに合わせた日程となっていたので、長くなっていた。どうしても今週末には、自宅に戻りたかった。そうなると、これから4日間で、ミシガン州にある2箇所の投資家を訪問し、シカゴで投資家訪問とシカゴ大学ビジネススクールの学生とディナーを して、ベイ・エリアにあるビジネススクールのバークレー&スタンフォードでスピーチをし、且つ投資家を2社訪問するという予定をこなす必要があった。
そのためには本日中に、ミシガン州にある投資家を2社訪問し、シカゴでビジネススクール・ディナーをして、翌朝シカゴの投資家に会い、ベイエリアに飛ぶ必要があった。 かなりの強行スケジュールである。一番きついのは、ミシガン州の投資家2社である。双方とも交通の便が悪い場所にあった。双方の最寄の空港には、シカゴかデトロイトのどちらかからしか飛んでいないので、ボストンから向かうとなると、デトロイト経由で飛ぶことになる。しかも、2社の間は一旦デトロイトに戻ってから飛行機で飛ぶか、3時間かけて車で移動するしかない。
アメリカの国内線に乗った方はわかると思うが、911のあと、海外パスポート・ホールダーにとっての国内移動は苦痛以外の何者でもない。空港に着いて、チェックインで待たされて、毎回靴を脱いでボディチェックをされてやっとのことでセキュリティーを通り、待合室で待機する。しかもよく遅れる。到着してからも、バッゲージクレームをし、重い荷物を運んで、タクシーをつかまえ移動する。そして荷物を降ろして、ミーティングを持ち、それから空港に行くのである。それを1日に3回も4回も行うのである。
僕は、この行程を2年ほど前に一度経験しているので、夜にはクタクタに疲れ果ててしまうことは容易に想像できた。しかも3週間もの出張の後半である。前回は2人で回ったが、今回は1人である。この間の行程を考えるのが一番憂鬱であった。
そこで考えたのが、プライベート・ジェット機をチャーターすることだ。これであれば、ボストンからミシガン州のサギノー空港に飛び、最初の投資家に会った後、同じくミシガン州のランシン空港に飛ぶ。そして2つ目の投資家面談後、シカゴに飛び、夜にはシカゴ大学ビジネススクールとノースウェスタン・ケロッグの学生と会う、というスケジュールを1日でこなせる。時間移動のロスも全く無いし、体力的にも精神的にも圧倒的に楽である。
コストはかかるが、そもそも今回の出張は、本来2名で回るべきとことを、1人でこなしているので、1人分の出張旅費が丸々浮いているのだ。高いとは言っても、その1人分の旅費よりは安くつく。そこで、思い切ってプライベート・ジェットをチャーターすることにしたのだ。
ジェット機の中を見渡した。ジェット機は、2年前につくられた新品である。機内には、最大9名も座ることができた。革張りの座席に着席し、説明を受ける。ヘッドホン、トイレ、冷暖房、シートベルトなどである。インターネットにもアクセスもできるし、電話もかけられるようになっていた。説明後、操縦士がコックピットに入り、すぐにエンジンがかった。滑走路をゆったりと移動した後、飛行機が飛び立った。7時20分には離陸していた。なんという効率性だ。ホテルを出て40分後には、ボストン空港を後にしていた。
薄明かりの中、ジェット機は空に舞い上がった。瞬時に曇り空の中に入り込み、目の前が真っ白となり視界不良となった。その後、すぐに視界が開けたと思ったら、まん前に朝焼けの太陽が顔を出していた。薄紫色の雲が水平に広がっている渕から、少しづつ太陽が昇っていくのが見えた。視線を下にやると、そこは真っ白い雲の絨毯である。ジェット機は、少し左旋回して、目的地のミシガン州サギノー市に向かった。僕は、初めての体験を暫くの間楽しんだ。思ったよりも揺れない。とても快適だ。
このジェット機は、個人の所有物だという。オーナーが使っていない時に、客にレンタルしているとのことだ。個人の所有物だけあって、綺麗に整理整頓されている。このジェット機は、普段ニューハンプシャー州に置いているそうだ。今朝、僕のためにボストンに飛んで来て、それから3箇所を回ることになる。シカゴに着いてから、その日のうちに本拠地のニューハンプシャー州に戻ることになっていた。
僕は、機内で秘書が送ってくれた1週間分の日経新聞に目を通し、雑誌を読み漁り、そしてパソコンを開いてこのコラムを書き始めた。2時間弱ほどしてから、高度を下げ始めた。薄くなっていた曇りを突き破り、着陸態勢に入った。今まで訪問してきた大都市の空港とは全く違う大平原の真ん中にある小さな飛行場が目に入った。そして無事に着陸した。思わず拍手をしてしまった。あとで聞いたが、メイン・パイ ロットのレンは、米国空軍にいたことがあり、日本の横田基地にも飛んだことがあるそうだ。
サギノー空港では、バンの形をしたタクシーが出迎えてくれた。運転手は75歳の老人だ。1952-53年まで日本にいたらしい。とても懐かしがっていた。大統領選挙の話をすると、「ブッシュ以外考えられない」とのことだ。この地域は、とても保守的である。投資家の事務所に到着し、1時間半ほど説明した。ミーティングが終わり外に出ると、青空が広がっていた。真っ青だ。実に気持ちがいい。
空港への帰りのタクシーも同じ運転手だった。彼が言うには、フランス人は嫌いだけど、日本人は好きだ、と。「礼儀正しいし、清潔感がある。優しいし、信頼できる」、と。お世辞でなく、本当に好きなようだ。そうこうするうちに、空港に着いた。そのまま歩いてすぐにジェット機に乗り、次の目的地であるミシガン州の首都、ランシン市に向かうべく、サギノー空港を飛び立った。
前回この2箇所を移動するのに、車で3時間近くかかったのが、今回はたったの15分程度で移動できた。訪問先でもらったドーナツをランチ代わりに食べているうちに着いてしまった感じだ。早いし直線距離を飛ぶので、あっという間であった。窓からは、高速を走っている車が小さく見えた。予定よりも1時間早く着いたので、面談先に電話して、ミーティングを早めてもらった。無事面談が終了し、再度空港に戻った。着いてすぐに飛行機に乗り込み、ジェットエンジンがスタートした。
これからシカゴである。1時間近いフライトであった。いつものようにすばやく、ジェット機が離陸した。眼下には見渡す限り大平原が広がっている。パッチワークのように区画された農地が延々と続いていた。山も全く見えない。たまに川が流れている以外は、特にアクセントがない。暫くしてミシガン湖が見えてきた。ヘッドフォンからは、テンポの良い音楽が流れてきた。遠くにシアーズ・タワーが聳え立つシカゴのダウンタウンが見えてきた。
ジェット機は、そのままシカゴ・ミッドウェイ空港に降り立ち、荷物を受け取り、レンとジョーに別れを告げた。ガラガラと荷物を引っ張りながら、待っているタクシーに乗り込んだ。ボストン時間では、15時40分。シカゴ時間では、まだ14時40分であった。ホテルに着いたのは、現地時間15時30分ごろであった。サウナを浴びて、プールでひと泳ぎした。メールチェックをして、コラムを書く時間もあった。
これから、シカゴで学生とディナーである。先日、ビジネスウィーク誌で発表になったビジネススクール・ランキングで、1位と2位と評価された、ノースウェスタン(ケロッグ)とシカゴ大学ビジネススクール(GSB)である。僕の母校のハーバード・ビジネス・スクール(HBS)は、残念ながらランキング5位であった。日経産業新聞調査のランキング(2004年7月)でグロービスが日本で3位だから、僕らも、結構いい線いっていることとなる。
翌朝、投資家訪問を済ませシカゴを発てば、最後の目的地のサンフランシスコでの2泊を残すところとなる。3週間の行程も2泊を残すのみとなった。やっと終わりが見えてきた。
2004年10月25日
シカゴのホテルにて
堀義人