「水泳が好きか?」と聞かれると、迷わず「好き」と答える。
しかし、「水泳の練習や大会が好きか?」と聞かれると、答えに悩む。
目標を設定し、緊張感を維持しながら練習に励む生活には、良い面も多い。しかし、ギリギリまで自分自身を追い込むのは、本当に辛いことだ。
我が家の長男が、週1回水泳のレッスンを受けていて、「行くのが嫌だ嫌だ」と、毎回駄々をこねている。僕は、説得をしてはみるが、いざ自分自身のことを振り返ってみると、「水泳の練習が楽しみだ」、と思ったことは一度も無かったことを思い出す。また、「水泳の大会も楽しい」と思ったことも一度も無い。でも、自分の能力を向上させることで、ベストのタイムが出たり、良い成績を修められると、充実感がある。それでも基本的には、練習と大会は、ただ単に辛いものだ。
今回の大会参加に向けての練習でも、気持ちよくプールに足を運んだことは無い。単に、目標設定をして、それを達成するために、泳いでいるのだ。練習が終わると、歩けなくなるほど、クタクタに疲れ果てる。練習後は、いつも暫くの間座り込んで、体力が回復するのを待ってから帰ることにしている。まだ全力を出したスピード練習をしていないのに、それだけ疲れてしまうのだ。現状では、練習をこなすのが、精一杯なのだ。
次の種目は、200メートル個人メドレーだ。バタフライ、背泳ぎ、平泳ぎ、自由形を50メートルずつ全力で泳ぎ切る種目だ。『最後まで泳げるだろうか・・・』、と本当に心配になってくる。そして、時間が近づくにつれて、『なんでこんなに辛いことを、自らが望んで再度やることにしたのだろうか』という質問を自らに投げかけざるをえなくなってくる。緊張と不安の中、200メートル個人メドレーに臨む気持ちを整理していった。
‘マスターズの大会に出る‘、と決めてよかった点は何だろうか?それは、体が鍛えられた事だろう。本当に筋肉はついたし、お腹もヘッコンだ。今までもスポーツジムに行ってはいたが、ここまで体は鍛えられなかった。目標が無ければ、そこまではいけないのは、悲しいけど事実であろう。
今後とも継続してマスターズに出たいか?。出たいと思う。このまま、ずっと水泳を続けて、大会にも出たいと思う。そうでなければ、怠け者なので、水泳から遠ざかってしまうかもしれない。また、大会に出る。という目標を持つことによって得られる、心地よい緊張感は、悪くは無い。
一方、大会に出ると決めたことで、嫌なことは何だろうか?。それは、レースでバテバテになり、本当に苦しい思いをすることだ。
そして、レース前、泳ぐときの目標設定をした。それは、「楽しく、大きく泳ごう」ということだ。楽しめるかどうかはわからないけど、少なくとも、レースが終わった瞬間に、「もう二度と水泳は嫌だ」と思わないで、「次の大会はもっと頑張ろう」と思えるようにしたい、と思った。そう自分に言い聞かせながら、スタート台に向かうことにした。
レースが始まった。バタフライは好調だった。背泳ぎの後半から疲れてきた。平泳ぎはやっとのことで泳いでいる、自由形では腕の力が残っていない感じであった。隣のコースの選手に抜かれていくのが明らかに見えていた。でも、力が出ない。ようやくゴールに着いた。タイムは、満足できる範囲ではあったが、順位は下から数えた方が早かった。
でも、泳ぎながら、積極的に「楽しもう」と思ったからか、終わった時には、何とも言えない清々しい気分でいられた。サイドプールで入念に体をほぐしてから、着替え、子供達が待っている観客席に戻った。後で知った結果は、40-45歳区分で、8位入賞もできずであった。残念だけど、『ま、今の実力ではこんなものさ』と、妙にサバサバしていた。
大会後、応援に来てくれたご褒美に、子供達を、お台場のトイザラスに連れて行ってあげた。そして夕方、メキシカンレストランに入った。帰りの車は妻に運転してもらう事にして、僕はフローズンマルガリータを注文した。子供達はストロベリージュースだ。背中の筋肉の疲労を感じながらも、爽快感があり、とても気持ちがいい。
夕食後、ほろ酔い気分で海浜公園側のバルコニーに夕涼みに出てみた。レインボーブリッジの上方から西の方にかけての夕焼けがとても綺麗だった。近くの入り江には、屋形船が停泊していた。茜色の夕焼けに彩られた背景に、水の上の屋形船の明かりとブリッジのライトが絶妙なアクセントになっていた。
今まで見た東京の夕焼けで、一番綺麗なものだった。思わず携帯電話を取り出して、写真を残すことにした。マスターズ初参戦の日の思い出にとっておこうと思った。
自宅にて