本日、水泳のジャパンマスターズの大会に参戦してきた。
ジャパンマスターズは、7月16日(金)から19日(月)まで4日間、東京辰巳国際水泳場で開催された。水泳選手にとって辰巳(たつみ)といえば、サッカー選手にとっての国立競技場みたいな位置付けだ。先のオリンピック代表選考を兼ねた水泳の日本選手権も開催され、北島康介選手などが泳いだブールだ。
僕は、最終日である19日の200メートル個人メドレーにエントリーした。数ヶ月前に申込んだエントリー用紙に、「リレーに参加希望しますか?」という質問項目があったので、「19日であれば、参加します」と、深く考えず回答して提出した。その結果、個人種目は、200メートル個人メドレー(水泳用語では、2個メ(ニコメ)と呼ぶ)と、団体種目は、200メートルリレーの二種目に参加することになった。
前日まで、経済同友会のセミナーや、友人の別荘のオープニングパーティーなどがあり、軽井沢で過ごしていた。全ての状況をポジティブに捉える性格なので、「軽井沢で高地トレーニングだ!」と、土・日に子供達を連れて練習し、前日の夜、東京に戻った。
当日の朝、体を動かしてみたが、ちょっと体が重い。やはり筋肉痛がとれていないようだ。この数ヶ月間、筋肉痛がとれたことが無い。大会に参戦すると決めてから、週に2,3回泳ぐように努めてきた。週1回は、スイミングクラブで、あとは自主トレーニングだ。練習とは言っても、体を作り直すことに専念してきたので、スピード練習などは、一切やっていない。不安だ。そもそも20年ぶりの水泳大会への参加なのだ。しかも、その大会は、一年で一番大きなオールジャパンの大会だ。「最後までしっかりと泳げるだろうか」、「体を壊さないだろうか」、と心配でならない。
4人の子供達と妻を、愛車のランドクルーザーに乗せ、首都高で辰巳に向かった。海の日の休日ということもあり、道は空いていた。車の中で、「やるべきことをやってきたから、今までのところは満足している」と、格好つけて家族に言いながらも、やはり不安で一杯だった。ハンドルを握る手に緊張を感じていた。
辰巳に着いた。先ずは、プログラムを買い、当日のエントリーを済ませ、僕が通っているスイミングクラブの、『オアフクラブ紀尾井町』が陣取っているところを探した。なぜこのスイミングクラブに通っているかというと、理由は簡単だ。グロービスからも、自宅からも近いからだ。そして、ここでは長男・次男も水泳のレッスンを受けている。たまたまだけど、僕のマスターズプログラムのコーチと長男の幼児スイミングのコーチは同一人物なのだ。
そのコーチに挨拶をして、近くの観客席に陣取った。水泳大会の雰囲気は久しぶりだ。屋内ということもあり、水しぶきの音と応援の声が良くこだまする。僕らが会場に入った時には、女子200メートル自由形が行われていた。僕がビックリしたのは、時間を短縮させるため、一度に2組が泳ぐのだ。つまり、プールの両側から多少時間をずらしてスタートをし、片方はコースの右側を、もう一人が左側を泳ぐのだ。そして途中で交差する。この交差する光景を大会で見るのは初めてだった。
それは、無理も無い。プログラムによると全国から6,649名が参加するのだ。そして男女別、年齢別に18-24歳、25-29歳、30-34歳、そして95歳以上まで、全部で16の年齢区分がある。更に、種目もバタフライ、背泳ぎ、平泳ぎ、自由形などがあり、それらのほとんどが50メートル、100メートル、200メートルなどに分かれているのだ。それに加えて、個人メドレーとリレーがある。地方の予選会や標準タイムというのも無いので、どうしても時間がかかってしまうのだ。
暫くして、場内にアナウンスが入った。65歳区分の女性選手が200メートル自由形で世界新記録を樹立しそうだ、とのこと。そして、観客が皆一体となって応援し、見事世界記録を樹立した。目の前で世界記録が達成された瞬間だ。会場から拍手を受けていた。確かに、早い。しかも65才には見えないほど若々しい。その後、90歳以上の男子200メートル自由形でも世界新記録が出ていた。何と90歳以上である!決して早くは無いが、ある程度泳げることで世界でNo.1になれるのである。
レースを上から見ていると面白い。皆、それぞれの思いで参加している。やっとのことで泳いでいる人もいれば、記録を目指している人もいる。でも皆、水泳が好きだから、一生懸命に泳いでいるのだろう。
200メートルリレーの時間が迫ってきた。子供達に、「パパは頑張るからね」と伝え、ゴーグルとスイミングキャップを片手に、タオルを肩にかけて、観客席の下にあるアップ用のプールに向かった。軽く100メートル程泳いでから、召集場所に向かった。そこには既に、リレーのチームメンバーが来ていた。一緒に練習してきたのだけど、彼らの名前を知っている程度で、どういう仕事をしているかは知らない。彼らも聞いてこないので、僕からも聞き出せないでいた。ちょっと不思議な感じだが、僕らはお互いを良く知らないけどリレーのチームメイトなのだ。迷惑をかけないようにしなければならないと思った。
召集所で他のチームのメンバーを見回して感心するのが、皆50代であろうと60代であろうと、ものすごく体を鍛えていることだ。お腹が出ている人は一人もいない。隣のチームに「どこのチームですか?」と声をかけてみた。「東大水泳部の卒業生の会でチームを組んでいる」と返事がきた。他の人にも声をかけてみたら、その人の場合は、「トライアスロンをやっていたけど、水泳の練習やっているうちに、水泳のマスターズに出ようということになった」、とのことだ。
そうこうするうちに、僕らの出番が回ってきた。僕は、第二泳者なので、プールの反対側に待機した。チーム案内の後に、笛が鳴り、第一泳者がスタート台に昇った。ヨーイの声の後でバンと号砲が鳴り、第一泳者が泳ぎはじめた。25メートル程泳いだところで、僕もスタート台に昇った。第一泳者のタッチとともに、僕が飛び込んだ。水に入り、もぐった瞬間、昔の水泳時代の感覚が蘇ってきた。それとともに、苦しかったことも思い出された。
水泳そのものは、辛いことばかりであった。練習も大変だし、大会もいいことばかりではなかった。そして今、泳ぎながら、『僕は何をしているんだろう』という迷いの気持ちが芽生えてきた。『なぜ大会に出ているんだろう。また昔のように水泳で苦しみたいのか。』と自らに問いかけながら泳いだ。それでも、50メートルなので、すぐに終わった。思っていたよりもタイムは良かったので、まずは安心した。
そして、次の200メートル個人メドレーのレースまでの間、色々なことを考えることになった。
自宅にて