18日に国会が閉会した。政局で紛糾する様子をみるにつけ、10年ほど前、ベンチャーキャピタル事業のパートナーだったアラン・パトリコフ氏から言われた言葉を思い出す。
「小さい問題でも騒げば大問題になる。一方、大きな問題でも小さく認識すると失敗する。リーダーとして重要なことは、何が大きくて何が小さいかを、冷徹に見極めることだ」
僕は、アランの言葉を聞いて以来、問題の大小を見極めることに重点を置いている。その問題が大きいと判断した場合にはトップが多くの時間を使い、小さい場合には、部下に委ねるか無視することにしている。
情報漏洩などのコンプライアンス問題については、個人情報が含まれているか、件数はどれくらいかで問題の大小を見極める。同様に顧客からクレームが来た場合も大小を判断する。
大きいと判断したら、トップが前面に出てウェブページでの謝罪や記者会見など相応の対応をする。小さい問題であれば、当事者のみに謝罪し再発防止策を説明するのが適切であろう。
一番良くないのは、小さい問題でも「大変申し訳ございません」とトップが深々と頭を下げて謝る姿勢だ。誠意を示すということで一見適切に見えるかもしれないが、同様の小さな問題がいくつか続くと、不祥事続きの会社との印象を与えてしまうし、本当に大きな問題が起きた場合には誠意が伝わりづらくなる。
一方、大きな問題のときに、部下に委ねたり適切な情報開示を怠ったりするのも良くない。常に大きい問題は大きく対応し、小さい問題には小さく対応するのが適切である。
問題の大小を見極めて適切に振る舞うのは家庭でも同じだ。僕は5人の子どもたちに勉強しろとガミガミとは言わないし、テストで悪い点数を取っても怒らない。一方、子どもたちの姿勢や態度、言葉遣いが悪い場合には厳しく注意する。小さいことにまでいちいち口を挟むと反発を招き、子どもは重要なことについても注意を聞かなくなってしまうからだ。
普段は口数少なく、ここぞというときだけ発言することで、言葉の重みが増す。このメリハリで事の軽重が理解されるようになる。
政治でも同様であろう。大きな問題には国会で多くの時間を使い、小さな問題には少ない時間ですませるか、議論しないのが正しい姿勢だと思う。メディアも同様だ。大きな問題には多くの紙面を使い、小さい問題には小さい扱いが適切だ。
政治が時間をかけて扱うべき大きな問題は、憲法改正や防災や安全保障、テロリスト対策、外交、財政再建、規制改革や経済、通商やエネルギー問題、人口減少問題や社会保障、教育改革などだ。今、北朝鮮は核開発を行い、ミサイルを発射している。中国は尖閣諸島に迫っており、南シナ海ではサンゴ礁が埋め立てられている。財政赤字も膨大にある。国会で議論すべき大きな問題が数多く横たわっている。
その環境下で、森友学園や加計学園問題に国会審議で多くの時間を費やし、メディアで大々的に報道してきたことに、大いなる疑問を感じてしまう。違法でもなく、意思決定プロセスにも大きな瑕疵(かし)がないと思われる問題に、国会が多くの時間を使い、メディアが多くの紙面を割くのは、強い違和感を覚えてしまうのだ。
アランの言葉の通り、問題は作ることもできるのだ。小さい問題でも大きく騒げば、大きな問題になってしまうのだ。その結果、国会で大きな時間が費やされると、本来議論すべきことが進まずに、大いなる浪費となる。
企業でも家庭でも政治でも、問題の大小を見極めて、大きな問題には大きく対応し、小さい問題には小さく対応することが重要である。そのためには、しっかりと事の大小を見極める力を各自が身に付けることが重要となる。
※この記事は日経産業新聞で2017年6月30日に掲載されたものです。
日本経済新聞社の許諾の元、転載しています。