今から北京経由で、サマーダボスの会場の天津に向かう。国際社会の中では、「日本はもう終わってしまった国だ」という認識で固まりつつある感じがする。日本が話題に上がるときは、大概悪い事例の場合のみだ。こういう時には、政治的に強いリーダーが必要だが、菅さんと小沢さんの二人の対談を聞いているとあまり期待できそうにない。
政府に、改革する兆しが見えないから、国際的に日本の評価が下がっている事に、落ち込んでいても始まらない。こういうときは、国際会議に参加したくなくなるものだ。「日本は、どう?」と聞かれても、あまりポジティブなことを言えないからだ。
でも、気にしていてもしょうがない。僕は元気だし、グロービスの周りは、MBA生も投資先企業も頑張っている。つまり、日本の中にも元気なセクターと、調子が悪いセクターとがあるのだ。日本の評価を上げるのは、僕ら一人一人の気持ちだ。「日本はどう?」と聞かれたら、「僕の周りは絶好調」だと応えよう。
ちなみに、本日のフィナンシャル・タイムズ紙に、グロービスの広告がデカデカと掲載されている。Japan's No.,1 MBA Programの学長として、今から行ってくる。日本No.1からアジアNo.1へ向けて、一歩一歩着実に進んでいこう。
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(1)9月13日の朝、羽田から北京に向かう。世界経済フォーラム(WEF)が主催する「サマーダボス」に参加するためだ。目的地は、天津だ。毎回大連と天津にて交互に開催される。今回で4回目のサマーダボスだが、僕は、過去2回の大連に参加し、天津は初めての訪問となる。
(2)北京国際空港を降りて、世界経済フォーラムのサインを見つけ、中国人のボランティアに誘導されて、13時30分発のバスに滑り込む。何と乗客は僕だけだった。片側4車線の整備された高速を一路天津へ。車中で、事前にダウンロードしたマイケル・サンデルの「Justice」の動画をイヤホンを付けて観続けた。
(3)15時50分にホテルに着いた。ホテルは、3日ほど前にできたばかりの新品ピカピカだ。チェックインを済ませ、部屋に上がりスーツに着替え、16時発のメイン会場行きのシャトルバスに搭乗した。メイン会場もできたてのホヤホヤだ。このサマーダボスに間に合わせるために、突貫工事をして完成させたらしい。
(4)受付を済ませて、会場に入る。温家宝首相と経済人とのプライベート・セッションに何とか間に合った。セッションが終わってから竹中平蔵氏とロート製薬の山田社長とともに、プレナリー・ホールへ移動。その間、竹中さんと来年のG1サミットの打ち合わせを行う。要人が集まるこの会議では、この様な隙間時間の活用が重要になる。
(5)温家宝氏のプレゼンは、具体的数字を織り混ぜながら中国の躍進と課題とを明確に示し、今後の方向性を示す素晴らしい内容であった。質疑応答も、CO2削減をどうするのか、内国企業優遇措置の問題をどうするのかを問われても、問題点を受け止めながらも、言うべきことを主張する、相手に安心感を与える内容だった。
(6)訪中前に、菅さんと小沢さんの対談を観たが、その二人の内容・姿勢と、温首相とを比較すると、目を覆いたくなるような違いを感じる。今年、日本は中国にGDPで追い抜かれた。日本のリーダーには、その危機感が無いばかりか、再生する処方箋も示せないでいる。
(7)「これは、勝負があったな」と、僕の意識の中で何かが明確に変わるのを感知することができた。数年後には、中国のGDPが日本の2倍になる時が来よう。確かに中国も課題が山積している。だが彼らには、課題をリーダーが明確に認識し、次々と乗り越えてきた実績がある。日本は、危機意識すら無い。その点が、日本と大きく違う点だ。
(8)海外の要人の認識には、中国は「登る龍」と映り、日本は「問題解決ができないで落ちていく国」と映っているのだろう。この会議を通じて、その認識を再確認することができた。基調講演が終わり、ホテルに戻った。車中、ロートの山田社長に中国事業の現況に関してレクチャーを受けた。やはり、課題はあるが、成長スピードは凄い。
(9)ホテルで溜まりに溜ったメールを処理して、ゆっくりとお風呂に入る。竹中平蔵さん主催の食事会に参加するために、20時過ぎに外出した。田坂広志氏、夏野剛氏、藤沢久美氏、オイシックス高島宏平氏等に加えて、遅れて浅尾慶一郎氏らが参加した。中華の丸テーブルを囲み、日本の政治経済の課題を語り合った。その日は、そのまま就寝した。
(10)翌朝6時に起床し、プールへ向かった。屋内プールも中国らしく広々としていた。1000Mを泳ぎ、部屋に戻った。7時30分発の会場行きのシャトルに搭乗した。移動中、インドの友人と談笑。8時から、世界成長企業(GGC)のパートナー会議に参加した。日本からは、SBIの北尾氏とマネックスの松本氏も参加していた。
(11)米国からは、IDEO社のTim Brown社長、インドからは急成長中のソリューション会社のトップ等2社。中国からは中国最大のソフトウェア会社のNeusoft社のトップ。他に、南アフリカ、ドイツなど国際色豊かな陣容だ。僕が、この会に参加するのは3回目なので、議論をリードするように積極的に発言した。
(12)朝9時15分から登壇するセッションがあるので、9時前にその場を中座した。僕が登壇するセッションは、イントラプレナーに関するワークショップ形式のものだ。参加者を6つのチームに分けた。僕は、「イントラプレナーをどうやって選考し、育成するか」のテーマのリーダーとなった。
(13)同じチームには、スタンフォード大学の教授や、モスクワの経営大学院の学長がいた。30分ほどホワイト・ボードを使って、必要能力、選考基準等を議論した後に、チームに箱が持ち込まれた。何かと不思議に思っていたら、「その箱の中身にある『ガラクタ』っぽいもので、議論した内容を3次元モデルにし、それをもとに説明せよ」、という題材を新たにアサインされた。
(14)チームでガラクタをもとに、議論の中身を3次元モデルに組み立てる協働作業を行った。時間となり、完成したモデルを前方に持ちより、チーム単位で発表を始めた。「文化」、「組織体制」等別々のテーマに従い、発表があり、そのワークショップは、締めくくられた。次に出たセッションが、「音楽とリーダーシップ」というテーマだ。これが、無茶苦茶面白かった。バイオリンを弾きながら、クラシック音楽とリーダーシップの共通性を語るものだ。
(15)13時前にその場を中座して、WEF代表のクラウス・シュワブ氏が主催するCEOランチの会場に向かった。世界を代表する経済人の中に呼ばれたことを、光栄に思っていた。僕は、香港から来たVictor Chu氏の横に座り、親交を深めた。Chu氏とは、既に10回以上挨拶をしているが、キチンと話をしたことがなかったので、あらかじめそう断り同席させてもらうことにした。
(16)Chu氏は、最近発表された全日空の格安航空会社の出資者でもある。さりげなくグロービスのことを宣伝しながら、多くのことを学ばせてもらった。途中で、隣のテーブルに座っているシュワブ氏がしきりにこっち向いているのに、気がついた。シュワブ氏は、おもむろに立ち上がり、僕のところに近寄り、話しかけてきた。
(17)「TABLE FOR TWOについて、説明してくれないか」、と言うのだ。シュワブ氏は、僕に会うといつも、「Oh Young Global Leader]と、叫ぶのだ。僕は、そこまで若くないのに、否定するのも愛想が無いので、いつもニコニコして対応していた。
(18)「TABLE FOR TWO」は、日本のYGLが始めたNPOだ。僕は、数年前のダボスで記者発表会の時にその場にいた。中心メンバーは、近藤正晃ジェームズ氏と古川元久氏だと記憶している。彼がテーブルのメンバーに僕を紹介し、シュワブ氏が退席し、僕は彼が座っていた席に座り、知っている限りのことを説明し始めた。
(19)そのテーブルは、シュワブ氏がいた席なので、それはそれはVIPが多く座っていた。日本からは、武田薬品の長谷川社長、英国からはWPP社のMartin Sorrel氏、中国からアリババのJack Ma氏、米国からはAlcoaのCEO兼社長である。そしてテーブルの上には、TABLE FOR TWOのロゴが立っていた。
(20)ちょうど前日、竹中氏との会話で、「日本の存在感を上げるために、TABLE FOR TWOに続く何かを打ち出さないといけない」と話していたばかりだった。僕は、続けてグロービスの説明をした。やはり、存在感を高めるのは、「人」である。長谷川社長が優しく見守る中、質問されるままに僕は語り続けた。
(21)皆に挨拶をし、その部屋を出て会場を歩きまわっていると、豪州のADC(豪州版ダボス会議)主宰のMichael Roux氏に会った。僕は、招きを受けて、豪州版ダボス会議に2度ほど参加した。双方ともケビン・ラッド前首相や現首相のジュリア・ギラード氏が参加するなど豪州版ダボスに発展していた。彼と立ち話をした後で、共通の友人が登壇するセッションに向かった。
(22)そのセッションはそのまま中国国営放送(CCTV)が放映する予定なので、スタジオ風にセッティングされていた。このモデレーターのRui Chenggang氏と僕とは、数年来の付き合いだ。僕にとっては、中国随一の大親友だ。僕らが挨拶するときには、親しさを表わすために抱き合うことにしていた。
(23)会場内で再会し、お互いに喜び抱擁し、僕は席に着いた。そして、テレビの撮影が始まった。チェンガンは、落ち着きはらっていた。パネラーには、日本から竹中平蔵氏、英国のMartin Sorrel氏とFT紙の主席論説委員のMartin Wolf氏、そして中国のエコノミストがいた。
(24)テーマは、「中国の発展は持続可能か」というものだ。僕は、話の内容がある程度予想できたので、途中携帯でメールを拾ったり、民主党代表選のニュース結果を読んだり、次の予定を確認するために、プログラムを眺めたりしていた。番組の後半にさしかかり、何と僕が急きょチェンガンから呼ばれたのだ。僕は言われるままに立ちあがったが、頭は真っ白だ。
(25)「しまった、何も考えていない」、と思いながらも、立ち上がった。マイクを渡され、頭の中にあることを2、3分言い続けた。全く準備してないにもかかわらず、いい感じで答えられた自分に、思わず感心してしまった。だが、全身冷や汗だ。あの内容が、中国全土に放映されるのだと思うと、尚更だ。
(26)番組が終了した。ステージにいる竹中さんに駈け寄り、「菅さんが勝ちました。圧勝です」と報告した。竹中さんは、「そうか」と言って、近くにいる方々にも報告していた。番組後、豪州のMichaelとチェンガンと一緒にお茶をしながら談笑した。近くには、韓国KAISTの親しい教授がいたので挨拶した。
(27)タイの友人も発見したので、握手をした。ダボス会議の醍醐味は、このネットワークにある。ミーティングするスペースが一杯確保されているので、セッションに参加する代わりに、思い思いに語り合えるのだ。1回、3回、7回と会うにつれて親交が深まる。そうして、かけがえのない友人が生まれてくるのだ。
(28)携帯電話が鳴り、ダボス会議の専務理事のRobert Greenhill氏が僕に会いたいとの連絡を秘書から受け取った。とても光栄なことだ。夕方18時過ぎより20分程度、サマーダボスのこと、GGCのこと、日本のことを意見交換した。Greenhill氏とも会い続けてもう既に7、8回になる。人間関係は、一朝一夕ではできないのだ。
(29)その夜、天津市長主催のCultural Soiree(文化夜会)に向かった。ビックリした。その場は、イタリア人疎外跡地を繁華街に再生したものだが、その一角いやほぼ全部をダボス会議の参加者のために、借り切っているのだ。コーラスの斉唱をBGMに、中華料理を楽しみ、2時間程してホテルに戻った。
(30)翌朝6時起床し、プールへ。ルーチンの1000M泳いで、昨日と同じ7時30分のシャトルバスで、メイン会場へ向かった。朝8時から、日本の政治・経済・学界の参加者20名による朝食会が開催された。今まで名前を上げてない方では、オリックスの宮内氏、河野太郎氏、石倉洋子氏等が参加していた。
(31)朝9時から、アリババのJack Ma氏によるメンター・セッションに参加した。その後ビジネススクールの学長と意見交換し、シャトルバスに乗り会場を後にして、ホテルに戻った。チェックアウト後、ホテルを12時前に出た。タクシーで天津駅に向かい、新幹線に乗り北京へ。そしてタクシーで北京南駅から空港に向かった。合計3時間半かかったが、どうしても新幹線に乗ってみたかったのだ。
(32)新幹線の乗り心地は、日本のと変わらない。外見も似ている。だが、温家宝氏によると100%中国が知的所有権を持っているのだ、という。北京から羽田へひとっ飛び。北京空港の規模のでかさと比較した羽田の国際線ターミナルのみすぼらしさを実感した。羽田では、ゲートまでバスで移動だ。一昔前に戻った感覚すらある。
(33)その違いは、日本と中国の政府のスピード感の違いを象徴しているかのようであった。この出張で、僕の意識の中で、何かが明らかに変わるのが認識できた。日本政府の改革意識の低さを考えると、日本の財政破綻を回避できないであろうと思えてきた。一方、中国のスピードを考えると、日本は取り残されるばかりであろう。
最後)僕は、常に最悪のシナリオを想定して、準備をすることにしている。中国が日本を突き放し、一方の日本は停滞し、財政が破綻する。その時に向けて、僕個人としてどう準備すればいいのか。グロービスとして何をすべきか。そして日本人として何を考えるべきなのか。とても多くを考えさせられる出張となった。
2010年9月17日
自宅にて呟いたものを翌日加筆修正して執筆
堀義人