前の晩、夜中過ぎにグロービス・ナイトを終えて、就寝したのが夜中の2時過ぎだった。そして、朝6時過ぎに起きて、7時半からの会議に向かう。これがダボス会議のスケジュールだ。窓の外は、まだ真っ暗だ。本日の会議は、僕が共同議長を務めるコミュニティのボード会議だ。「頑張るぞー!」と気合を入れる。
「世界の成長企業」のボード会議を終えた。議長役をうまくできたと思う。だんだん慣れてきた感じだ。会場のラウンジでのんびりとメールや電話で、日本と連絡を取り合っている。僕が返信をサボることにより、会社の経営スピードを遅らせるわけにはいかない。特に、G1サミットが直前に迫っている。だからつかの間の時間を割いて、メール返信する。ふと顔を上げると、IMFのラガルド女史が目の前を通過していった。
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今日のダボスは、寒い。夜中は、マイナス25度で、今はマイナス13度だと言う。昼食会のセッションに早目に移動した。このセッションは、「財政・金融」のセッションだ。僕の得意分野でなかったが、折角お声かけ頂いたので、登壇することにした。ここで登壇を断ると、日本のパネリストが減り、日本の存在感が低下するからだ(後で聞いたのだが、どうやら元々は竹中平蔵さんが登壇される予定のセッションだったらしい。やはり、凄いセッションだったのかと納得する)。
パネリストは、殆どが中央銀行総裁、ノーベル賞級の経済学者、財務大臣等だ。彼らは、狭いコミュニティなのか、皆顔なじみだ。韓国銀行の総裁も会場にいた。僕にとっては、完全にアウェーな雰囲気だ。
ただ、日本への関心が高いから、1)今までの日本経済の低迷状態、2)3本の矢の説明、3)日本国民の反応、4)円安批判に対する反論、を述べるだけで、貢献することができた。こういう場面で重要なのは、コンテンツもさることながら、プレゼンの仕方だ。ゆっくりと、言葉に力を込めて話をするように意識した。僕にしては、しっかりと話できた気がする。
大役を果たした気分で、昼食会場のホテルを出て、メイン会場に戻った。午後は、セッションの参加がメインだ。緊張感をほぐしながら、多くの方々と談笑する。
参加者と雑談していると、日本のエネルギー問題に議論がいく。「なぜ日本の太陽光の買取価格があれほど高いのか?ヨーロッパの二倍だ」と指摘を受けて、答に窮した。「未熟な政府と、一部企業からの強いロビー活動だろう」と答えた。他国からすると、日本の原発ゼロ政策は、自殺行為に映っているようだ。
メイン会場に戻り、ヨルダンのアブドラ国王のスピーチを聞いている。国王とは、10年以上も前から比較的親しくさせてもらっている。頑張っている姿を見ることができて、純粋に嬉しくなった。国王は、声をかける暇もなく、ステージの横から退出された。
ラウンジで談笑する。こういうところでの、ちょっとした会話にヒントがある。今年の9月のG1 GLOBALの登壇もお願いできるのも好都合だ。さらに、僕の登壇へのフィードバックももらえる。BBCのニック・ガーウィング氏に「(エデルマンの朝食セッションでの)登壇良かったよ」と褒められたのが、とても嬉しかった。
MITメディアラボ所長の伊藤譲一氏のセッションに参加した。ジョイ(伊藤さん)とは、十数年前から知っているが、じっくり英語で話を聞くのは、初めてだ。とても刺激を受ける内容だった。隣にいたニック・ガーウィング氏は、「違う惑星から来た人みたいだ」と評していた。今年のダボスでは、伊藤譲一氏は、引っ張りだこだった。
本日のフィナンシャルタイムズの一面の写真は、英国のキャメロン首相とドイツのメルケル首相のダボス会議におけるツーショットだ。国連事務総長、世銀総裁、IMF長官など世界を動かす人々が一同に会している、このダボス会議の力はもの凄い。ここでの発言力が、世界での影響力に直結する。
ダボス会議の四日目の夕方は、ジョンズ・ホプキンズ大学の国際関係学の学長とのアポで始まり、マレーシア・ナイトに顔を出し、夜8時から僕が共同議長を務める「世界の成長企業」のレセプションをホストして、夜9時半からプライベートディナーにジョインする予定。盛りだくさんだ。
ちょっと熱っぽくて、風邪をひく前兆があったので、車をチャーターして効率的に周ることにした。会合をすべて終えて、ホテルに戻ってきた。とても充実した一日だった。翌日の最終日は、甘利大臣と茂木大臣がダボスに来られる予定だ。僕も、登壇が一つ残っている。明日に向けてしっかりと、休むことにする。
今晩は、氷点下20度近く、極寒だ。部屋の中と外との温度差が激しく、体調管理が容易でない。今年は、以前にも増して、夜の会合への誘いも増えてきた。体調管理をしっかりとしながら、一人一人との出会いを大切にして、良き人的ネットワークの構築に力を入れて行きたい。
2013年2月1日
一番町の自宅にて執筆
堀義人