将棋のプロ棋士によるソフト不正使用疑惑が世間をにぎわしている。対局終盤で頻繁に離席してソフトに最善手を教わって指したという疑いがかけられているが、真偽は定かではない。
僕は、そのニュースをきっかけに、人間と人工知能(AI)との関係を考え始めた。先日、米シリコンバレーにあるシンギュラリティ大学のプログラムに参加した。そこで印象に残った言葉が「インサイダブル(insidable)」だ。
コンピューターの歴史を振り返ると、かつて大型だったものがデスクトップになり、さらに軽量化されてポータブルになり、スマートフォンが登場してポケッタブルになり、腕時計型や眼鏡型が開発されウエアラブルになった。そして次の進化はインサイダブル、つまり体内にチップが組み込まれるようになると予測していた。
すでに、テクノロジーの進化によって頭脳で考え、思い描いたことが外部に取り出される時代になっている。例えば言葉がしゃべれず手も動かせない人が、ドリンクを飲むために脳波を通してコンピューターに意思を伝え、ロボットアームが動いて実際にドリンクを飲むという映像を見た。飲めた瞬間、その人の目から感動の涙が出ていた。
夢も取り出せる時代になっている。脳波を読み取り、ぼんやりした映像だがディスプレーを通してリアルタイムで他人の夢を盗み見ることができるのだ。目覚めた人による夢の説明が、まさに傍観者が見たものと同じものなのだ。脳と外部機器(マシン)との融合がここまで進化しているのかと驚いた。
現時点では、その脳波を読み取るマシンは大きすぎて使い物にならないが、指数関数的な進化によって、脳の中に組み込まれるほど小さくなるであろう。
考えを外部に取り出せるということは、逆に外の情報や知識を頭脳に直接注入できる可能性を示唆している。それができると、人間は記憶する必要がなくなるだろう。クラウド上にある膨大な知識を自由に活用できるからだ。思考もAIを通して強化される。いずれは人とのコミュニケーションもテレパシーのように、インサイダブルを使って伝えることができるようになるのではないか。
さらに体験や記憶というものも作られて、注入できるようになると思われる。仮想現実(VR)の観点からは、映像が8Kを超える超高画質だと人間の脳は、映像なのか実物を見ているのかを判別できないという。旅行や学習などのVR体験をインサイダブルを通して頭脳に入れる時代が来るかもしれない。
つまり、頭脳がAIとつながる時代が来るのだ。もちろん、その未来はバラ色ばかりだとは限らない。誰がどこで何を考えているかがすべて把握されてしまう可能性がある。悪意ある第三者によってハッキングされ、思考や記憶を故意に操作されてしまう恐れもある。管理型社会になっているのであろう。
その時代には、将棋棋士のソフト不正疑惑も不正でなくなり、当たり前のことになっているかもしれない。インサイダブルが植え込まれた近未来では、誰でもほとんど訓練をしなくても、現在のプロ棋士よりも最善の手を指せる時代になっているように思う。
ただ、やはり、そういう時代は面白くなさそうな気がする。生身の人間が小さい将棋盤や囲碁盤に向き合い、自らの頭脳を駆使しながら、最善の手を探す中に感動が生まれてくるのだ。僕が理事を務める囲碁の日本棋院でも、不正ソフト問題を発端に、AI対策を打ち出し始めた。
僕ら囲碁ファンが見たいのは、昨日まで行われた名人戦のような生身の人間がぶつかり合う2日制の戦いだ。マシン的なインサイダブルよりも生身の人間の戦いの方が面白いのだ。
※この記事は日経産業新聞で2016年11月4日に掲載されたものです。
日本経済新聞社の許諾の元、転載しています。