※この記事は日経産業新聞で2016年7月22日に掲載されたものです。
日本経済新聞社の許諾の元、転載しています。
7月の3連休の海の日に「ジャパンマスターズ2016(第33回日本マスターズ水泳選手権大会)」に参戦してきた。結果は過去最高タイの4位入賞で、10年連続でメダルを獲得できた。
ジャパンマスターズに参戦しようと思いついたのは、今から13年前の42歳の時だ。当時からプールで泳いでいた。だが、具体的な目標が定まらず、惰性で泳いでいるような感じだった。
現状を変えたいと思っていた僕は一念発起して、当時、子どもが通っていた水泳教室のマスターズコースの門をたたいてみた。練習はとてもきつく、皆についていくので精いっぱいだった。
同じくマスターズコースに入っていた同僚に誘われるがまま、初めてジャパンマスターズに参戦した。種目は200メートル個人メドレーだ。でも最後まで泳ぎ切るのが精いっぱいで、メダルなど取れるスピードは出ない。タイムは覚えていない。覚えたくもないほど遅かったことだけは確かだ。
「10回連続でジャパンマスターズに参戦したら表彰します」。悔しさを抱いた僕の目に、こんなお知らせが飛び込んできた。僕は、「10年連続で参戦しよう」と決めた。これだったらスピードに関係なく、努力したこと自体が認められると思ったからだ。継続は力なのだ。
4回目に参加した45歳のこと。参加する年齢区分がそれまでより1段階上がったことも追い風となり、初めてメダルを獲得できた。苦労が報われた気がしたし、ますます練習に打ち込む原動力になった。
3年前には「10年連続の参戦」という当初の目標をクリアした。そして今回ついに10年連続のメダル獲得を達成できた。
「参戦してメダルを取る」という明確な目標のもと、週1回の練習はいつしか週2回、週3回と増えていった。練習では目標タイムを設定し、自らに負荷をかけながら泳げるようになっていった。水泳に打ち込んだ結果、体は引き締まっていった。
ジャパンマスターズ挑戦前に考えていた「健康を維持し、体を鍛える」という目標は、マスターズでのメダル獲得の「副産物」としてかなえられた。参戦当初より13歳確実に年老いたが、明らかにタイムは上がり、体調も良くなった。
大会で京都大学体育会水泳部の仲間と再会するのも楽しみのひとつとなっていた。中学・高校時代に水戸で通っていたスイミングクラブの同窓会に顔を出すゆとりも出てきた。
先日、水戸の水泳仲間と会食したときに、「堀の中学校時代の記録がまだ残っている」と言われてびっくりしたことがある。今は大会でほとんど泳がれることがない200メートルメドレーリレーだったということもあるかもしれない。だが、いまだに記録に残っているのは、水泳に打ち込んできた証拠でもある。当時は中学生の平泳ぎの県の記録を全て更新し、高校時代は国体で400メートル個人メドレーに出場し、6位に入賞した。地元の茨城新聞の見出しに名前が載ったこともあった。
県記録を総なめにした中学校時代から40年が経過した。結局、今も泳いでいる。僕の目標設定は将来、世界記録を出すことだ。世界記録といっても年齢区分ごとの記録で、80代か90代まで生きて健康的でいられれば、今の記録より多少遅くなっても年齢区分で世界記録を出せると踏んでいる。
世界記録を出した北島康介さんに冗談でこう言ったことがある。「ジャパンマスターズで90代で世界記録を出せたら、もしかしたら、北島選手が出した世界記録よりも価値があるかもしれないよ」と。90代で世界記録を樹立できるとしたら、その「副産物」としてそれまで健康を維持できているのだ。こんなに幸せなことはないだろう。そう夢見ながら、今日もまた水を切って泳ぐ感覚を楽しむことにしよう。