※この記事は日経産業新聞で2016年3月25日に掲載されたものです。
日本経済新聞社の許諾の元、転載しています。
「やめちゃったよ。もうそういう時代じゃないんだよね」。2015年8月、久しぶりに故郷の水戸市で中学の水泳部の同窓会に参加した。先輩に「最近、お寿司屋さんはいかがですか」と近況を尋ねたら、寂しくぽつりとこう言われた。中学時代、家業のお寿司屋を継ぐのを楽しみにしていた先輩だったから、僕はその場で返す言葉が見つからなかった。
同窓会が開かれた場所は、街のど真ん中にある4階建ての大きな中華料理店。オーナー社長はかつて一緒にリレーを組んだ同級生だ。会が始まってもなかなか彼が来ないので、こちらから挨拶しようと4階の厨房に向かった。目に入ったのは、汗をだらだら流しながらたった1人で酢豚を調理する同級生だった。
「よう堀、久しぶりだね」。こう話す彼の周りに他の店員は1人もいない。そしてお客さんもいない。その時、僕は「街のど真ん中からにぎわいがなくなってしまった」と実感した。
改めて水戸の中心部を見渡してみた。以前あったダイエーはなくなっていた。東急、西武、高島屋などの百貨店もこぞって撤退していた。にぎやかだった街中は、廃虚のビル、空き地、シャッター街となっていた。郊外の幹線道路にはユニクロなど大規模な専門店や量販店が軒を連ねて繁盛している。モータリゼーションの嵐が、駅前の目抜き通り「黄門さん通り」からにぎわいを奪ってしまったのだ。
僕は小学校から高校まで、水戸のど真ん中にある学校に通っていた。街が栄えていたあの頃が、ありありと思い浮かぶ。それだけに、現状を見て悲しくなった。「何とかしなくちゃならない」という強い気持ちが、心の底からふつふつとわき上がってきた。
1カ月後、「水戸大使の会」で水戸に呼ばれた。僕は満を持して高橋靖市長の前で「地方創生と叫ばれても、県庁所在地のど真ん中が廃虚のビル、空き地、シャッター街であれば、活力が生まれません。再生プロジェクトを立ち上げましょう。僕がやります」と宣言した。
「水戸どまんなか再生プロジェクト」はこうして立ち上がった。茨城県の橋本昌知事に説明に伺い、その後の初会合では水戸市の高橋市長が同席。第一歩を踏み出した。
やるからには中途半端でない大胆な構想が必要だ。その象徴が街のど真ん中に路面電車を走らせるというアイデアだ。水戸駅から日本三名園の1つ偕楽園か茨城大学までの3〜5キロメートルをつなぎ、街中ににぎわいを戻す構想だ。欧州でも成功している手法だ。
県外から思い切った投資を呼び込むことにも注力したい。「水戸黄門」こと徳川光圀の言葉に「中にない知恵や力は外から集めよう」というものがある。水戸の人間だけでなく、外部の人間やカネ、知恵の投入を働きかけるのだ。
プロジェクトには丸井グループの青井浩社長、星野リゾートの星野佳路代表、カルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)の増田宗昭社長などにメンバーに入ってもらえることになった。非常に心強い限りだ。彼らと市内・県内の有志との協力のもとで再生を進めていきたいと思う。
プロジェクトでは交通や経済に加えて、都市デザインやエンタメなど6つのワーキンググループを設けて議論する。さらには対外発信も強化して水戸・茨城のプレゼンスを高めたい。茨城県は全国にも珍しく県域民放テレビ局を持たない県だ。ネットなどテクノロジーを活用した新しいメディアを考えたい。
水戸を出てから35年間。京都や米ボストンで学び、東京でグロービスを立ち上げ、子供の育児に没頭してきた。今までふるさとに全く貢献できていなかった。これからはふるさとにフルコミットしたい。水戸どまんなか再生プロジェクトへの皆さまのご協力をお願いしたいです。