※この記事は日経産業新聞で2016年3月11日に掲載されたものです。
日本経済新聞社の許諾の元、転載しています。
ドナルド・トランプ氏が米大統領選の共和党指名争いに立候補したとき、今日の躍進を予想した人はほとんどいなかっただろう。政治経験は一切なく、過激な発言を連発し、党内政治家からの支持は皆無だ。多くの聴衆の関心はゴシップ的なものだった。
2015年10月にワシントンを訪問したときのことだ。米国のエスタブリッシュメント(支配階級)は過激なトランプ氏に嫌気がさしていた。その最中に共和党の論客、ニュート・ギングリッジ氏は次のように発言した。「米大統領選挙は世界のどのトップを選ぶプロセスよりも過酷だ。長期にわたり徹底的な議論が繰り返され、スキャンダルは暴かれ、過去の発言を含めて全てが民衆の前にさらけ出される。仮にトランプ氏が選ばれるならば、それはそれで大統領の資質があったと見なされることになるだろう。どのような結果になっても200年以上続いたこのプロセスに信頼をおくしかない」
この「過酷な選定プロセス」において、評論家が予想しえなかったトランプ氏の善戦。そのカギは2つある。コミュニケーションと戦略だ。コミュニケーションにおいて一番重要なのは「アテンション(注目)」だ。いくら間違っていても、批判されても、アテンションを集められれば票につながる。反対に正しいことを言って評価されても、アテンションなしには票にならない。トランプ氏はアテンションの重要性を認識している。あえて過激な発言を繰り返し、ツイッターでつぶやき続けて注目を浴び、テレビや新聞などで常に主役の位置を占めてきた。
これは以前あった「巨人ファン対アンチ巨人」という構図と同じ理屈だ。この構図で一番得するのは、巨人ファンとアンチ巨人の両方からアテンションを得る巨人だ。同じように米大統領選でもトランプ氏は「トランプ対アンチ・トランプ」という構図を作り出した。
実は、アンチトランプの人々も他の候補を応援せず、トランプ批判に終始している。結果的にトランプ氏が注目を集めるのを手助けしているのだ。トランプ氏はテレビへの登場頻度は党内首位で、2位以下を2~3倍引き離すほどだ。注目の高さが票にも結びついている。
2つ目の戦略を分析してみよう。戦略で最も重要なのはユニークなポジションを築くことだ。反対に一番愚かなことは、他と同じセグメントに位置して埋没してしまうことだ。
共和党内には数多くの候補者が立候補していた。明確に独自のポジションを持ったのはトランプ氏のほか、元神経外科医ベン・カーソン氏と保守強硬派のテッド・クルーズ氏だけだ。他の候補者はマルコ・ルビオ氏やジェブ・ブッシュ氏を含め同じセグメントに位置し、相互に批判し、つぶし合った。批判合戦に嫌気した聴衆が堂々と真ん中で立っているトランプ氏に好感を持った。そう分析できるだろう。
「米国におけるエスタブリッシュメントと非エスタブリッシュメントの意識に、これまでにない断絶が生じている」。ダボス会議に参加したとき、世界最大の独立系PR会社、エデルマンのエデルマン社長がこのような分析を紹介していた。特に低所得者層の社会への不信感は過去に例がないほど広がっていた。
トランプ氏の支持層は低所得者層で、政治に幻滅している人が多い。それも同氏躍進の一因だろう。民主党のサンダース氏の予想外の健闘からもわかる通り、米国自身が分岐点にきていることが見て取れる。
そもそも僕の仕事は評論ではない。だが、ついつい分析してしまうほど、今の米国大統領選は面白いのだ。秋には米大統領選の本戦がある。誰が選ばれようが、日本の唯一の同盟国でもある米国の政治トップである。どのようなドラマが繰り広げられていくのだろうか。当分の間は、米国発のニュースから目が離せない。