福島第一原発と第二原発の間の海岸で、太平洋の荒波を全身に感じながら、もの思いにふける。風が強い。辺り一帯は、津波で壊滅的打撃を受けていた。原発より10キロ程度の場所なので、人影も無い。「今、歴史の一場面に立ち合っているのだ」、そう自らに言い聞かせていた。
昨日まで、福島県いわき市そして、第一原発近辺まで被災地を訪問していた。その模様をツイッターで生中継していたので、加筆修正して、ブログとしてアップすることにした。
おはようございます。本日の朝、経済同友会の諮問委員会に参加してから、KIBOWいわきのため、いわき市に向かいます。昨夕にいわきで、震度6弱の地震があり、土砂崩れ、停電、断水等被害を受けたようだ。僕の車に、子供用の文房具を大量に積み込み、カフェカンパニーの楠本さんと倉成さん、日経の三宅さん等とともに、いざ、いわきへ。
今いわきに向かっている最中に車の中でパソコンを叩いている。弊社の平野、御代(みよ)と前述の3人と計6人で常磐道を北上中。友部サービス・エリアで休憩。楠本さんが、元祖「納豆ドッグ」を食す。
道中IAEAから日本出張中の兄と連絡を取り合った。今、福島の任務を終えて、東京に向かっている最中だった。丁度すれ違いだ。「明日ウィーンに帰国する予定だよ。英国人、ロシア人、ハンガリー人の多国籍チームを率いて、福島県内の放射能を調査していた」、と。
「いわきは、1マイクロシーベルト程度。野菜を食べても問題無いレベル。原発から16KM圏であっても最大5マイクロシーベルト程度だから、20KM圏内に入ることは、大丈夫。だた、北西に10マイクロシーベルトを超える地域がある」。政府発表と大体同じだ。
「日本の避難基準が一年間で20ミリシーベルトだが、IAEAのスタンダードは、100ミリシーベルト。日本は、より安全面に寄った措置をとっている」。
車中で、事故がレベル7に変更されたとの報道に触れる。今の放射能の放出レベルは、チェルノブイリとは100倍以上の差があると言う。それでもチェルノブイリと同じ「レベル7」になると、海外に不必要な誤解を与える恐れがある。更なる風評被害が心配だ。
いわき市に到着。いわき出身の御代(みよ)さんが思わず、「あ、帰って来た」と喜ぶ。今から彼女の実家がある小名浜に立ち寄り、お父様に御挨拶をする。その後北上し、福島第一原発方面に向かう予定だ。
いわき市は、昨夕の震度6弱の影響で、断水中。ガソリンスタンドに再度長蛇の列ができていた。御代さんのご実家に到着。目の前の酒屋が倒壊していた。お父様に御挨拶をして話を伺う。昨日の地震の方が、3月11日より強かったと言う。
小名浜港に到着。漁船が乗り上げ、ガレキが散在している。車がひっくり返り、ボートが乗り上げ、ガレキの中に埋もれていた。どう考えても8~10M近い津波が押し寄せた形跡が観てとれる。いわき市だけで、300人前後が亡くなられたという。謹んでご冥福をお祈りし、合掌する。
今、福島第一原発に向かい北上中、福島の自然が美しい。青い空に、緑の大地。遠方に阿武隈山脈だ。そして、ところどころに桜の花が咲き誇る。
開いている「いわき寿司」の看板を見つけ、のれんの下をくぐり抜け、中に入る。断水中なのに、頑張って営業中だ。「にぎりセット」を注文することにした。今、漁をしていないので、通常とは違うルートで仕入れている。
ゴーという地鳴りとともに、地震が発生。揺れ方が違う。縦にゴーンと来て、横に揺れた。でも、時間は短い。これだと東京が揺れていないのでは。地震警報が2、3秒遅れて、鳴り出す。真下が震源だと間に合わない様だ。震度6弱との報道。震源地は、今いる場所の真下だ。また揺れた。
今いるお寿司屋さんは、木造建築だ。畳の和室にいると、お尻の下から直接揺れを感じる。障子がつくりだすガタガタという音が、恐怖心を増幅させる。地震後に、平然とお寿司を出すお寿司屋のおばさん。とても威勢が良い元気な声だ。立派な職人気質を称賛したい。にぎり定食が来たので、動揺しながらも食べ始めることにする。あっまた、地震が来た。まだ揺れている。
ネットで調べると茨城県内の常磐高速道路が通行止めとなった様だ。東京を早く出て良かった。原発に異常が無いことを確認し、会計を済ませて、北上することにした。
広野町に入る。福島第一原発30KM圏内に入る。広野の火力発電所が見える。20KM圏内に今入った。通行制限の看板の横を車が通る。
暫く走ったらマスクをした警官3人が仁王立ち。僕らを止めて、理由を聞かれる。
その場を離れ、僕が運転を代わり、違うルートを辿る。不思議と、「立ち入り禁止」と書かれた看板が無い。気がつかなかっただけなのか。そして、そのまま北上。住民は全て避難しているようだった。所謂ゴーストタウンだ。家は締め切られ、一っ子一人として歩いていない。
福島第二原発を越えて、暫くして海岸に向け車を右折させた。海岸から第一と第二原発双方が見られることを期待して、海岸から500M程の農家の近くに車を止めた。そこからは、徒歩だ。常磐線の線路を超える。線路の上は、瓦礫の山だ。ところどころぬかる、柔らかい大地を踏みしめながら、海に向けて歩む。海岸沿いの集落は押し流されて、倒壊していた。手を合わせて冥福をお祈りする。
福島第一原発と第二原発の間の海岸で、太平洋の荒波を全身に感じながら、もの思いにふける。風が強い。辺り一帯は、津波で壊滅的打撃を受けていた。第一原発より10キロ程度の場所なので、人影も無い。『今、歴史の一場面に立ち合っているのだ』と、そう自らに言い聞かせていた。
全身を白い防護服に身を包んだ人、3名と遭遇する。どうやら警察官の様だった。「お互い頑張ろう」と、同行の倉谷さんが声をかけ、その場を離れる。帰り道に、放し飼いにされている牛10頭ほどを発見する。家の近くで、庭先の草を悠然と食べていた。人がいないのに、牛がいる。超現実的な光景だ。暫くすると左側にも数頭発見する。
帰路、陥没した道路をところどころで見かけた。通行禁止になっている道路もいくつかあった。ひび割れ程度であれば、ありがたい。数メートル陥没しているのを目の当たりにすると、「凄いことが起こったのだ」という思いが強く湧きおこってくる。やはり、東京にいるのと、現場に行くのとでは、認識が大きく変わる。
KIBOW水戸の時は、高速バスで向かったので、車で被災地を見れなった。今回は、車があるので、地震、津波、原発の状況をこの目で見ることができた。もうそろそろ、KIBOWいわきの会場に着く。午後2時過ぎの地震で、常磐道が石岡以北で通行止め。旭化成の蛭田最高顧問は東京駅で足止めとなった、と連絡が入った。残念。
いわきの中心地である平地区のKIBOWいわき会場に到着。人通りが少ない。
いわき駅を越え、平城跡へ。石垣が崩れ落ち、立ち入り禁止になっていた。小高い城山から見渡すいわき中心街は、どことなく寂し気だった。
今、KIBOWいわきの会場にいる。余震が続き、常に会場が揺れている感じがする。続々といわきの仲間が結集している。Twitterでイベントの内容をつぶやく際は、ハッシュタグは #i_kibow、 Ustreamはこちら。さあて、もうそろそろ始まる。
冒頭の僕の挨拶の後に、グループディスカッションに入った。僕のテーブルでも様々な意見が出る。「いわきの人は、皆普通の生活に戻っている(浜を除いて)。いわき以外の人達に、その事実を知ってもらう事が重要だ。その上で、外の人が普通にビジネスや観光で、いわきに来てもらうようにすることだ。それが一番重要だ」。
そして、全体ディスカッションへ。出て来た意見を、共有する。「一カ月間頑張ってきたのに、昨日の地震で、また振り出しに戻ってしまった。昨晩は停電となり、まだ断水が続いている」(市議会議員)。
「いわきは、元々石炭の町。そして、今は原発の町だ。エネルギーが一つの鍵だ。今、アパートが満室らしい。東芝やら外部の原子力関係の技術者・作業員がいわきに来ている。どうやって、原発と共存するかを考えたい。一方では、代替エネルギーも考えたい」。
今、地震! 結構大きいが、3秒後に「大丈夫だ、震度4ぐらいだ」という反応。
もう震度3、4程度だと全く驚かなくなっている。逞しい。「今は、地震と共存
しなければならない」。
「今、いわきは、日本の中で著名になった。原子力に強い町として、逆手にとって原子力をもっと前面に出した方がいい。折角の機会なので、原子力の多くの研究員・技術者を誘致して、原子力先進の町にするのが、一つのアイディアだ(市役所勤務)」。(堀注:想定外のポジティブさだ)。
「福島・いわきは、石炭、原子力を通して、東京・日本のエネルギーを支えてきたという自負がある。補助金をもらっているからという問題ではなく、いわきにも原子力関係の協力会社の雇用が生まれている。チャンスをもらっているのだ」(メーカー勤務)
「今の原発の危険な状態に反対であるが、過去に原発に反対であったわけではない。今後は、原発とどうやって共存するかを前向きに考える必要がある」(E-Commerceの会社経営)
「いわきとLAとは、気候とライフスタイルが似ている。車中心で、仕事、生活と遊びとか同じ場所で行われる。サンシャインステートだ」
「弟夫婦の家が流された。その関係もあって、毎週東京から物資を運んでいる。全ての避難所を一人で回った。避難所の違いは、リーダーシップを発揮できる人がいるかいないかで決まっている。良いリーダーがいれば前向きで、リーダーがいないとどんよりした雰囲気になる」
「いわきの経営者は、雇用を守ることが、復興への最善の協力だと思っている。東京の人、全国の人にお願いしたいのは、東北・いわきに関するフェアをやって欲しい。とにかく、いわきからモノやサービスが、動くようにしなければならない」
「ライブハウスを経営しているが、アーティストが無料でいわきに演奏しに来てくれている。何と30%以上がいわき外から観に来た。今年一年間は、復興をテーマにして進めて行こうと思っている。皆(いわき外の人)にお願いしたいのは、『いわきは大丈夫だよ』、と伝えて欲しいということだ」
「老後に一番住みたい町・都市No.1は、いわき市らしい。海もある。日光も豊富。山もある。その利点を活用したい」
「水戸がいわきを応援している。水戸に来た物資をいわきに運んできた。すると、いわきの人が、『今度水戸で何かがあったら、水戸にすぐに飛んでいくよ!』、という声。嬉しい」(水戸の市議会議員)。
「耳障りな話を一つ。反原発や、NPO・ボランティアが、バブリーな状態になっている。『正義』を振りかざし始めると、危険だ。自衛隊の予備役から議員になったが、昔は反自衛隊の人が多かった。今は、自衛隊に誰も反対しない。何が正しいかをしっかりと見極めたい」。(いわき市議会議員)
「風評被害なんて言っていられない。仙台は、ガスも通じてないのに、ホテルが開いている。KIBOWいわきも70人も集まった。一人では何もできない。これだけの人数がいれば、必ずできる。スピードを上げて復興していきたい」(魚市場経営)
本日意外に東京から来ている人が多い。70人中10人以上か? 意外と原発反対という意見は、一つも出なかった。また、いわきの人々の意識の高さに、逆に僕がエネルギーをもらった気がした。盛り上がったまま今KIBOWいわきが終了した! USTも3500人以上が視聴していた。反応も凄い。ありがたい。KBOWいわきは、成功裏に終了!
(その後二次会に向かい、夜中の1時過ぎまでいわきの人々、東京から来た人、水戸から応援に来た人々と語り合った)
2011年4月14日
ツイッターを加筆修正して、二番町のオフィスにて完成
堀義人