安倍晋三首相の戦後70年談話を考える「21世紀構想懇談会」のテーマの一つは、「和解」であった。会合第4回目は米国や欧州との和解、第5回目がアジア諸国との和解に関して議論した。前回に倣い、僕の発言要旨を簡単に紹介したい。
第4回目
久保文明東大法学部教授と細谷雄一慶大法学部教授の発表を聞いて、謝罪は和解につながらないとの印象を持った。和解に必要なポイントとして、3点が指摘されていた。すなわち、(1)加害者が国際的に信頼される存在であること、(2)双方の政府が努力すること、(3)特にフランスやイスラエルのように、被害国が寛容な姿勢であることである。
必ずしも謝罪は必要ないとの印象を持った。日本が米国や英国との間で成し遂げた和解を、中国や韓国との間でも達成できたら良いと思った。そのためには、双方の政府の努力が必要となる。過去を振り返るのではなく、未来志向で話し合いをすることにより、 和解が成り立つのではないかと考えた。
第5回目
米議会における安倍首相の演説(4月29日)は、歴史を振り返った感動的なものであった。演説で首相は「痛切な反省」という言葉を使われた。だが、首相が謝罪しなかったことに対して、韓国国会では非難決議が採択された。川島真東大大学院教授(懇談会委員)が述べられたように、温家宝前中国首相でさえ「日本は謝罪をしている」と認めているにもかかわらず(日本は実に60回以上も謝罪してきた)、日中、日韓関係があまり改善しないという現実がある。謝罪では和解できないのである。
僕は民間人として、中国や韓国の友人と歴史問題を含めて夜を徹して議論してきた。中国人や韓国人とも、歴史について互いに分かり合えると確信している。しかし、議論して理解し合えたことを「中国や韓国に戻って話してほしい」とお願いしても、彼らは母国では一切発言しないのだ。なぜかと言えば、中国には言論の自由がなく、韓国においても、日本のことを良く言うと社会的にバッシングを受けるから、つまり言論の自由が制限されている状態だからである。
中国と韓国は歴史教育も偏っている。また、中国と韓国が歴史を外交カードとして使っているのも事実である。こういう状況で、日本は和解のために何ができるかと言うと、謝罪を継続的に行うことでないことは明白である。日本はもっと未来志向となり、時間をかけて地道に交流を深めていくことが重要である。
2015年6月29日
一番町の自宅にて執筆
堀義人