僕がハーバード・ビジネス・スクールを卒業したのは、2001年のエンロン事件や、2008年のリーマン・ブラザーズの破綻よりもはるか以前、1991年のことである。当然ながら僕は、価値観やビジョン、志よりも、スキルと学術的知識を大幅に重視した教育を受けた。
時を経てわかったのは、ハーバードの優先順位が逆だったということだ。30年以上ビジネスに携わってきた僕の経験上、人格や哲学、起業家精神のような「目に見えないもの」のほうが、スキルセットや知識のような「目に見えるもの」よりも常に重要である。
だからこそ僕は、1992年に日本でビジネス・スクールを立ち上げたとき、学生が自分自身の価値観について深く考え、自分の志を見きわめるための助けになるような講座を作った。
その講座では、「企業家リーダーシップ」という名前を冠するにもかかわらず、ビジネス・リーダーを1人しか取り上げていない。そのビジネス・リーダーとは、家電大手パナソニックの創業者である松下幸之助(1894~1989年)だ。
リーダーシップに関して特に刺激を与えてくれるものは、ビジネス以外からのほうが多い。南極探検家のアーネスト・シャクルトンが1914年の探検旅行で、全隊員を無事に帰還させることに成功したというエピソードは、危機的状況におけるリーダーシップについて記憶に残る教訓を与えてくれる。彼の探検隊は船を失い、何カ月も氷盤の上をさまよった末に、荒れ狂う海を救命ボートで数百キロも移動した。
ネルソン・マンデラの人生は、動乱期におけるリーダーシップについて学ぶことのできる優れた教材だ。特に、南アフリカで1995年ラグビーワールドカップが開催された際のエピソードからは学ぶところが大きい。彼は、白人選手だけで構成された自国のラグビーチームを、人種にかかわらず国民全員で応援させることで、アパルトヘイト後の南アフリカにおける国民の連帯感の向上を促した。
「企業家リーダーシップ」の講座では、価値観や哲学などに関係する日本人の精神について探究する時間も設けている。ここでは、1905年に出版された新渡戸稲造の『武士道』が主要テキストである。
稲造によると、「武士道」は4つの主な源流から生じた。その源流とは、仏教(「運命を穏やかに受け入れる心」を教える)、神道(忠誠心・愛国心・自己認識を教える)、儒教(上下関係を重んじることを教える)、陽明学(「知行合一」を教える)である。
その結果、義、勇、仁、礼、誠、克己という6つの「一般的特性」を備えた民族が生まれたというのが彼の主張である。
サムライの教育は「人格形成」を主眼としていた。つまり、カネ自体は善ではなく、誰もが自分以外の社会に対して義務を負っているということを教えたのである。
グロービスでは、経営大学院の学生が自身の志や使命を定義するための助けとなるように、「志」の概念についても教えている。「士」と「心」という漢字を組み合せて書く「志」には、「願望」という意味もあるが、武士道的には「個人的ビジョン」を意味する。
より高潔で利他的なアプローチを取るというこの考え方は、グロービスの外国人学生たちにも非常に好評だ。「『志』の概念からどのような影響を受けたか」という僕の質問に対して、2013年に卒業したばかりのメキシコ人学生、ホセ・ミゲル・エレーラ氏がどう答えたか紹介しよう。
僕は初めMBAと言えば、出世の階段を上ったり、起業家として成功したりするという考え方を連想していました。どちらの場合も、裕福になって経済的自由を実現し、個人的な財産を残すことがゴールです。
「志」について学んだおかげで、MBAの概念を定義し直すことができました。MBAを取得するということは、経済的な成功に向けた戦略を策定するためのツールやネットワークを利用できるようになることだけを意味するのではありません。自分のあらゆるゴールや願望に対し、より大きな目的を定義する機会なのです。
「志」の概念のおかげで、自分個人の中核的な価値観を再発見することもできました。経済的自由は第一歩に過ぎないということを思い出すことができたのです。大きな願望には、大きなインスピレーションと志が必要とされます。志には、何を手に入れるかだけでなく、どのように恩返しするかも関わってきます。社会を実際に良い方向へ変化させることができるほどの成功を収めるためにはどうすればいいのかが関わってくるのです。
グロービスがMBAプログラムを開設して以来、この講座を実施し続けてきたことを僕は誇りに思っている。
僕自身は、自分の人生における志(個人的ビジョン)が何であるのか自覚していれば、多大なエネルギーが内側から湧いてくるものだと思っている。つまり、志を追求していれば、いかなる困難に直面しようとも、それを乗り越えられるだけのエネルギーで対処できるということだ。
このような信念のもとで、僕はアジアでNo.1のビジネス・スクールを創出することを追求している。日本が大震災と津波に対処するに当たって困難に直面した際、グロービスの卒業生や学生が行動を起こさずにいられなかったのも、志に関する教育の成果である。そうした行動の一例については、岩佐大輝氏に関する前回の記事で紹介している。
グロービスの卒業生は誰もが他人の人生ではなく、自分自身の人生を歩んでいる。
「サムライにとっては、卑劣なふるまいや不正な企てほど忌むべきものはない」と、稲造は古風な英語で記している。では、現代のサムライにとってのモットーを挙げるとすれば何だろうか。グロービスの教育方針は、次のことを目指して設定されている。
それは、社会の創造と変革を担う志士を育成することである。
「武士道」と「志」をMBAプログラムの中核に据えるというのは、一見すると奇妙なことかもしれない。だが、リーダーシップとは、ビジョン、使命、価値観、人格、精神が全てである。
世界にとっては、グロービスのような他に全く類を見ないビジネス・スクールが存在するのも好ましいことなのではないだろうか。
(Cover photo: © adrenalinapura - Fotolia.com, Inazo Nitobe: “Memories for 80 years, Bakumatsu, Meiji, Taisho”)