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舞踊家と僧侶に聞く「道」を究める生き方

投稿日:2019/09/03更新日:2022/02/03

神谷町光明寺で行われたイベント「奉納舞から始まる舞踊家と僧侶の『道』対談」では、バリアージ舞踊団の舞の後に対談が行われました。本記事は、主催者の山崎繭加氏のご協力のもとGLOBIS知見録編集部で対談の内容を書き起こしたものです。

山崎:素晴らしい舞をしてくださったChieさん・バリアージ舞踊団のみなさまと鼓を演奏してくださった望月左武郎先生に拍手をお願いいたします。(会場、拍手)まだ興奮冷めやらぬという状態ですが、まずは、お2人に自己紹介をお願いいたします。

Chie:Chie Noriedaです。3歳から踊り始めました。阪神淡路大震災で被災し、そこで踊りに人生をかけようと決意しました。20代では芸能界に入りダンサーをしていましたが、股関節の病気でこのまま踊り続けると歩けなくなると診断されました。でも私にはダンスしかないと思い直し、歩けなくなったら車椅子ダンサーになればよいと覚悟して、NYにダンスを学びに行くと決めました。覚悟をした途端、誤診だったということになり、こうして今も踊ることができています。奇跡が起きたと思っています。

NYから帰国後、バリ舞踊に出会い、バリに留学しました。でも、バリ舞踊家になる気はなかったんです。既存のダンスの中には自分がやりたい世界を表現できるものがなかったので、自分で舞踊団バリアージをつくり、15年たち、今があります。

松本:Shokei Matsumoto(紹圭、松本)です(会場笑い)。ここ光明寺の僧侶です。家がお寺ということで僧侶になる方が多いのですが、私は北海道から大学で東京に来て、お坊さんになりたくて、光明寺を訪ねました。新卒でお坊さんになったということです。今年で17年になります。

みなさんの中には、お坊さんはお経を読む、修行をする、というイメージがあると思いますが、私はそれ以外にもいろいろなことをやってきました。たとえば、「未来の住職塾」。全国にお寺が何万とありますが、みんな存続するのが難しい。そこで、仲間と知恵を出し合って助け合っていくという塾を立ち上げ8年ほど続けました。様々な宗派からやってきた塾の卒業生は600名います。

もう1つは、掃除です。テンプル・モーニングといって、朝7時半から8時半まで、仕事にいく前に集まって掃除をする、ということを続けています。掃除の後はお茶を飲んでみんなで話をする。Twitterで告知すると人が集まるんです。

山崎:先ほどの踊りは、Chieさんも鼓の望月左武郎先生も即興でやっていらっしゃると伺いましたが、どういう想いでああいう体の動きになったのか、どういう言語を超えたやりとりがChieさんと左武郎先生との間にあったのか。Chieさんから、あの踊りはなんだったのかという説明をしていただけますか。

Chie:難しい質問ですね(笑)。私の中では「踊り」と「舞」の2種類があります。バリアージ舞踊団の4人が踊ったものは、私が振り付けをした「踊り」です。日本各地の盆踊りなどを模して振り付けに入れ、それを踊ることでその土地土地がここに立ち現れる。これは10月のバリアージ15周年記念公演「道」の中の「祖道」という先祖を祀る踊りの演目です。

もう一つは「舞」、神に捧げる奉納舞があり、私がソロで舞ったのはそちらです。奉納舞を舞うときに何を一番大事にしているかというと、無我です。自分をなくす、そして委ねる。この場に、このエネルギーに、音に委ねます。とにかく手放す。とはいえ未熟なので、こう見せたいとか、お客さんの視線を感じたとか、たくさんノイズがやってくる。この試練を超えていくことを目標にしています。それが奉納舞の難しさであり、面白さでもあります。だから、出たとこ勝負。出るまでは恐怖しかありません。何が自分から出てくるかわからないし、自分がどうなるか想像がつかない。やってみて初めて、こんなのが出てきた、という感じです。

鼓の左武郎先生も同じです。今日も事前に手合わせをしたんですが、その時の踊りと音は、先ほどのものと全く違います。だから、手合わせにならない。「こんな感じね」となんとなく意識を合わせることもできないのです。

奉納舞と即興も少し違います。即興は人を魅了するというエンターテインメント性が出てくる。でも、奉納舞だと、天と地とその間に人である私がいてすべてがつながる、そのままに舞う、ということになります。

山崎:今日の舞は、奉納と即興だとどちらだったのでしょうか?

Chie:奉納です。ただ正面をお客さんのほうにしたのはエンターテインメント性を出したかったから。熊野本宮大社で奉納したときは、本堂を正面、お客さんを背にして踊りましたから、今日はそれが違いますね。

山崎:紹圭さん、Chieさんの舞を見られていかがでしたか?まずは感想から教えてください。

松本:神々しかったですね。ここはお寺なんですけど、「神」を感じました(会場笑い)。ここお寺の本堂は、ご本尊である阿弥陀如来をお祀りする場所です。つまりこの空間自体が浄土を表す場所なんです。そういった場所で、Chieさんが踊ることで、そこに何か「働いているな」という感覚になりました。こんなの初めて、みたいな(笑)。驚いて見ていました。

山崎:紹圭さんが先ほど「神」とおっしゃいましたが、その神とは何か、詳しくお聞かせいただけますか?

松本:はい。神のような何かがここに来ているということではなく、神的なものがここで「働いている」という感覚ですかね。聖なる感覚、神性が場に満ちる。そんな感覚を「神」という言葉で表現しました。

山崎:ありがとうございます。それでは、今日のテーマである「道」に話を移していきたいと思います。紹圭さんは仏教という特定の宗教を超えた「仏道」を提唱され、Chieさんは人生を舞の道にかけてこられていらっしゃいます。それぞれの分野における「道」とは何かを、お話いただけますか?

Chie:また難しい質問が(笑)。私は非言語表現が得意なのでしゃべることは本当に苦手なんです。舞の道とは何か... 人それぞれに課題や試練がありますよね。母になること、仕事、起業、パートナーと共に歩むことなど、人によって異なる試練があります。私の試練は何かというと、自分の身体と向き合うこと。それによって自分の魂を成長させてもらっていると思っています。誰もが、自然災害だったり、病気のことだったり、家族の死だったり、やってくる試練を乗り越えています。私はさらに自分の身体を使って、試練を自分で取りに行っている、というか。

私は舞によってあらゆるものを体感して気づきを得ていて、私の人生そのもの、舞が私なんですね。人生が舞の道。

山崎:魂が成長し続ける、自分が自分であり続けることが道であるということですね。松本さん、お願いいたします。

松本:最近もう「宗教」の時代は終わった、という意味で、Post-Religion(ポスト宗教)ということを言っています。自分がお坊さんになったのは「宗教」が嫌いだったから、ということに最近気が付いたんです。カルトとは唯一の正しさへの依存であるということ。絶対これが正しいんだ、この教祖様の言うことに従っていれば間違いはない、という心のあり方です。もともとそういうのがすごい気持ち悪い、と思っていました。この神様を信じるか信じないかというところが大事なのではない、と。

そう思った時に、仏陀の言っていることはよいなと思ったのです。信じるか信じないのかと迫ってくる感じはなくて、こう生きたらいいよね、という道を説いてくれている。そこには生きる道がある。

信じるか信じないかではなく生きる道を説く、というのを盛り上げたらいいんじゃないかなと思って、お坊さんになってみました。そうしたら、案外仏教世界も変わらなかった(笑)。自分の宗派が正しいと思っていたり、多かれ少なかれカルト的なとこはあるわけです。

でも、仏陀は信者を増やしたいなんて一言も言っていません。世界のいろんな人と話をすると、「Spiritual but not religious」という人が多い。精神的なことを高めたいという気持ちはすごくあるけれど特定の宗教には入っていない、ということです。彼らは、生きる道として取り入れられるもの求めている。学びたいと思っている。その対象は、宗教、哲学、そして身体からの学び、と広がっている。

お坊さんになったばかりの時と今とは感覚が結構違います。お経を読んだり座禅を組んだり修行道場に入っているときだけが仏道ということでは決してなくて、普通の生活、日々の一瞬一瞬の中に道があると今は思います。それを、そんなに頑張るぞと気張らないで、どれだけ豊かに味わって楽しんでいけるか。だんだん肩の力が抜けてきた感じですね。

山崎:お二人のお話を聞いていると、その瞬間瞬間を味わって生きていくことが道である、ということですね。舞や仏道はそこにつながるためのツールであって、生きること自体が道なのだ、と。でも、どうしたらできるのでしょうか。たとえば、舞という手段が自分にはない、仏教の教えをよく知らないという人でも、日々、瞬間を生きるために具体的にどうすればいいのか、ご自身の経験を踏まえて、道の実践についてヒントをお話していただけますか。

Chie: 私がバリアージのレッスンで一番大事にしていることはまず「立つ」ということです。裸足で大地に足の裏を広げて立つ、そして足の裏で感じる。現代人は足の裏が退化しているので、足の裏を広げ、進化させ、鍛える。そこから感性がやってくると私は思っています。

しっかり立ったら呼吸を始めます。大地から吸い上げて天に流していく。次に天から吸い込んで、大地に深く降ろしていく。それでようやく自分がこの地球に立っていて「今ここにある」という感覚がわかってきます。呼吸することによって、落ち着いて、自分の外枠が外れていきます。外枠というのは皮膚や筋肉のことで、それがどんどんなくなっていく感覚。そして中心軸だけが残る。

わかりやすくいうと自分が木になるイメージです。足の指10本から根っこが生え、頭から枝が伸びていくみたいな。どんどん上と下につながっていく。中心が強く上と下に引っ張られていく。そうすると、自分が「今ここにある」というのがわかります。それが一番必要なことなんじゃないかな、と。それ以外のことは二の次でいいのではないかと思っています。紹圭さん、いかがでしょうか?

松本:はい。仏教においては、座禅をする、そして誰でも取り組めるものとして南無阿弥陀仏という念仏を唱える、というのがあります。念仏も座禅も、お墓参りも全部共通しているのは、繰り返す、習慣にするということです。

仏教には三学という学びのステップがあるんです。カイ・ジョウ・エ(戒定慧)といいます。カイは戒律、ジョウは定める、エは智慧、この3つが大事だよっていうんですね。木の例でいうと、戒が根っこで定がその上の幹で慧が果実ですね。最近マインドフルネスという概念がずいぶんと浸透して瞑想を始めた、という方によくお会いしますが、これは心を落ち着けて定めていくという定の部分です。ここをみんな頑張ってやっているのですが、実は根っこを見過ごしていないか、と。戒律には習慣という意味があり、心が整っていくオススメの生活習慣を指します。瞑想だけひとときがんばってもだめで、継続してやっていく、生活習慣を整えるという根っこの部分がとても大事なんです。

実は長い間、仏教でも布薩(フサツ)という儀式がありました。これは、古代インドの修行者たちが新月と満月の時に集まって、修行者としての生活をちゃんと送れていたか反省会をするものです。生活習慣はどうしても崩れていくので、時々そうやって立て直していくんです。

ここで1つだけ大事だと思うのは仲間です。一人で生活習慣を整えるは難しいのです。修行者たちも一人だと難しいから集まって反省会をやる。私がやっているテンプル・モーニングも10-15人が毎回集まるんですが、そういう仲間がいるから今日も早起きして頑張ろうという気になる。これは誰にとっても共通なんじゃないかなと思います。

山崎:ありがとうございます。それでは最後の質問です。日々をよく生きるということを、Chieさんであれば舞を通じて、紹圭さんであれば仏道を通じてやられていると思うんですが、15年前と比べて何が変わってきましたか?道を歩くことで、ご自身がどのように変わられたのかをお聞きしたいです。

Chie:自我を手放す、というところですね。15年前は、もっと欲がありました。テレビに出たいとか有名人の後ろで踊りたいとか友達に自慢したいとか。そこから本当にやりたいことを見つけた30代は無我夢中でやりました。そしてあと4日で46になるんですけど、ここまでくると、恰好つけることがあんまりなくなったかなという感じです。

山崎:欲がなくなったことで、どんな世界が見えるようになりましたか?

Chie:より客観視するようになりました。自分や他人、物事を冷静に俯瞰で見ている。そこに批判はなく、肯定しながら見ている。「フラット」という言葉が一番ピタッとくるかな。まだまだですが、フラットな自分になってきたと思います。

松本:そうですね。ちょうど昨日、ここの住職におもむろに「松本さんはお坊さんになってよかった?」と聞かれました。住職は自分の師匠に当たるんですが、弟子入りした時に自分は23歳で住職は40歳ぐらい。今自分はちょうどその時の師匠の歳になりました。昨日聞かれた時に振り返って答えたのは、後悔したことはない、ということですね。お坊さんになってよかったな、と。その理由は、面白いということもあるし、ならなかったときの自分を想像すると恐ろしい。だいぶダメだったんじゃないかなと。ダメは今も全然ダメなのですが。まぁ、多少はマシになったかな、と。

「自分がこうありたい」というのは実は「こうだとみんなに見られたい」という話だったりします。自意識過剰、自我の独り相撲みたいなことですよね。お坊さんになり仏道というものに出会えたことによって、自分を俯瞰したり、一人相撲をしている自分の阿保らしさみたいなものに気が付いたり。自分がすごく恐れを抱えていることを認め、別に恰好つけることもない。でもいまだに恰好つけてしまう部分もあることもわかってはいる、みたいな。そこがマシになったのかなと思います。

人生で日々小さなこと、時々大きなことをやらかすわけですよね。どうしたらいいんだろうと思った時に、仏道が参照先となって、道がなんとかかんとか拓かれてきた。だから、どう変わったかっていうのは、そうじゃなかった自分がいないのでわからないのですが、生きやすくなったかなと思います。

山崎:ありがとうございます。10月のバリアージ舞踊団「道」公演を、みなさん楽しみにしていてください。それまでは、日々足の裏を感じて、そして掃除をする、と。みなさんがよりよく生きられるようにと願いを込めて、対談を締めさせていただきます。今日は本当にどうもありがとうございました。

(写真撮影=玉利康延 文=GLOBIS知見録編集部 吉峰史佳)

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