僕は、緑豊かな茨城県の東海村で育った。住んだ団地は田んぼに囲まれて、小学校は雑木林を切り開いてつくられた。学校から帰宅後、長靴に履き替え、バケツと小さなシャベル、網を持って田んぼに毎日のように出かけた。ザリガニやオタマジャクシを取り、雑木林ではカブトムシや蛇を捕まえた。毎日、日が暮れるまで外で遊んだ。
小学校6年生の時に水戸に引っ越した。小学校は、最後の将軍である徳川慶喜公が学んだ藩校「弘道館」の跡地(現在も1/3は残る)に立地する。進学した中学は、水戸城の二の丸に建てられていた。ここには、徳川光圀公が「大日本史」を編さんした「彰考館」が存在していた。ここで水戸学が確立され、後の尊皇攘夷の思想へと昇華していった。
僕が通った水戸一高は水戸城の本丸に位置する。徳川御三家の一角を成す水戸藩が関東平野を見下ろしていた場所だ。小中高と、那珂川や阿武隈山脈を見渡せる水戸の高台で学んだ。この土手の上で、水戸の歴史と自分を重ね合わせながら、自らの生き方を常に考え続けていた。
水戸は、吉田松陰や坂本竜馬が学び影響を受けた場所であり、西郷隆盛が最も尊敬した藤田東湖が住んでいた地だ。「敬天愛人」の思想も、元は水戸学から派生したものである。水戸で生まれた思想が「尊皇攘夷」のスローガンとなり、書物を通して数多くの志士に影響を与えた。そして、水戸藩士が桜田門外の変を起こして、明治維新へと大きく歴史を動かし始める原動力となった。
僕は、大学は京都を選んだ。まさに水戸藩の尊皇攘夷過激派「水戸天狗(てんぐ)党」が目指していた地である。天狗党は京都を目指しながら、敦賀で投降し斬首される。水戸から京都大学を目指したのは、敦賀で無念の最期を遂げた天狗党の代わりに上京したかったからなのかもしれない。
水戸の思想と精神は、吉田松陰が育てた志士が中心となる長州と、西郷隆盛が主導する薩摩に伝播して、明治維新が成し遂げられた。水戸は明治維新の魁(さきがけ)となり、理論的支柱を創り、勤皇の志士に伝播し、桜田門外の変を始めるなど主導的な役割を果たしたのだが、それにもかかわらず水戸は、歴史から忘れ去られる存在となっていった。
水戸にアイデンティティーを持つ人間としては、悔しい気持ちでいっぱいだ。水戸はもっと正当に評価されて然るべきだ。いや、水戸以前の問題として、日本人や世界の人々に明治維新の正しい歴史を認識して欲しいと真剣に考え始めた。
様々な選択肢を思案した結果、英語で本を執筆するプロジェクトを立ち上げることにした。ハーバード出身の歴史学者であるマイケル・ソーントン博士にコンタクトして、本の執筆を依頼し、訪日の際に面談し、その後やり取りをして承諾を得ることができた。
今年の8月上旬にソーントン博士に水戸に来て頂き、高橋水戸市長とともに記者会見を行った。その模様はNHKでニュースとして報道され、新聞各紙でも取上げられた。ぜひとも多くの方に確認して欲しいと思う内容だ。
【掲載された新聞記事の一部】
・日経新聞
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO34151730U8A810C1L60000/
・茨城新聞(動画あり)
https://ibarakinews.jp/news/newsdetail.php?f_jun=15345872647759
明治維新150周年の今年に始まり、水戸市制130周年の来年に完成を目指し、2020年の東京オリンピック・パラリンピックの前年には世界に向けて発売される予定だ。海外からの観光客が水戸に数多く訪れることを期待したい。「Mito and the Making of Modern Japan」がその本のタイトルとなる予定だ。
当然、英語で出版後には、日本語にも翻訳する予定だ。日本語訳のタイトルは、「水戸、そして近代日本の創設」というところだろうか。この本をきっかけとして、水戸が果たした役割と思想・精神性を多くの人に理解してもらいたいと切に願っている。
資金をクラウドファンディングで広く集め始めることにした。一口5000円からの支援である。ぜひ多くの方々にもご支援頂きたいと思う。
【クラウドファンディングページ】
https://readyfor.jp/projects/mitom-history/
水戸歴史英語執筆プロジェクト、通称「M-History」がいよいよ始まる。楽しみが増えてきた。
2018年8月14日
山小屋にて執筆
堀義人