何気ない日常の中の小さな幸せ 

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「5、4、3、2、1、おやすみなさい」。

これが我が家の寝る前の儀式になっている。家族全員でベッドに入る。だが、真っ暗になっても、子供5人は喋り続けているのである。寝る予定の時間を過ぎ始めると、さすがにパパの登場である。

「5つ数えたあとに、誰かが喋ると、バシが飛ぶよ」

と脅したあとに、冒頭のようにカウントダウンして、「おやすみなさい」と言うのである。そして、小さな声で「おやすみなさい」と返ってきて、真っ暗やみに静けさが伴い、僕も数分後には眠りについているのである。

こういう何気ない日常の中に幸せを感じることが最近多い。

「黙とう!」

と全員着席した食卓で必ず言うことにしている。なぜならば、食前まで、遊んでいたり、喧嘩をしていたりしているので、子供たちの気持ちが落ち着かないからだ。そのままの気分で食事を始めても、遊びや喧嘩の気持ちを引きずるだけである。

そこで、考えだしたのが、「黙とう」であった。子供たちの気分が揺らいでいるような時は長いこと黙とうすることにしている。長い時は優に一分間を超えることもある。当然、黙とう中にお喋りしようものならば、容赦なくバシが飛ぶ。そうしなければ、残念ながら子供たちは言うことを聞かないからである。

黙とうが終わってから、家長であるパパからひと言お話をしたあとに、「あなたの命を私の命にかえさせていただきます」と唱和する。そして、静かな食卓が、賑やかな食事の場に変身するのである。

伸び盛りの5兄弟(11歳から3歳)なので、我が家のエンゲル係数は、飛躍的に増加していく。それでも、なるべく国産の無農薬の食料を使って、伸び伸びと育てたいと思う。当然、「お残し」は許されないのである。

こういう何気ない食事の瞬間に、小さな幸せを感じるのである。

ようやく5男のおむつがとれたので、家族全員でプールに行けることになった。本来は、スイミングクラブに入れたいのだが、泳力がそれぞれ違うので、別々のクラスになる。そうなると、送り迎えが大変になる。しかも、スイミングクラブがあった近くのプールは地上げされたため閉鎖となり、今あるのは家から遠いところばかりである。

そこで、家族まとめてプールに行くことになった。僕のスケジュールが合う日程に合わせて、子供5人を連れて行くのである。小学校のプールなので、平日であれば夕方6時からしか使えない。それでも、二週間に一回は時間を確保して、行くことにしている。最近では、長男、次男が僕と同じメニュー(練習)を一緒にこなせるようになった。「3秒前、ヨーイ」で一斉に泳ぎ始めるのである。長男・次男とのメニューが終わったら、三男、四男の水泳レッスンである。

こういう何気ない日常の中に、小さな幸せを感じるのである。

子供たちの送り迎えにもなるべく参加するようにしている。長男は、中学受験のための塾通いが始まった。僕が、早く帰宅できていれば、迎えに行くことにしている。次男・三男の囲碁レッスンやテニス・レッスンも、可能ならば会社帰りに立ち拠ることにしている。

そのレッスンや塾の送り迎えの日常の何気ない時間に、子供との心のこもった会話がなりたつことが多い。

ある米国の教育学の博士が教えてくれたのだが、送り迎えの時に子供たちは心が開くので、その何気ないと思える様な瞬間が大事なのだ、と。

食後に囲碁をする瞬間、たまに一緒にビデオや映画を見る時、公園で遊ぶときなどの何気ない日常の中に幸せを感じることが多い。

このような、何気ない日常に幸せを感じていられると、物事がうまく回り始めるような気がする。なぜならば、その満たされた気持ちのまま会社に行くと、人々に対してやさしい気持ちで接することができるからだ。

一方、会社の仕事の中でも、何気ない小さな幸せが転がっているのである。お客様や投資先企業から「ありがとう」と言われる瞬間、気持ちよくスタッフが働いているのを実感できる瞬間、そして学生・講師諸氏との心暖まる交流等である。

当然、経済環境が悪化すると、社会が不安に覆われる。だが、それでも小さな幸せは、転がっているのである。

ある起業家の勉強会で、「成功の定義とは何でしょうか」と、質問を受けた。僕は、「成功の定義」など必要ないと思っている。棺桶に片足を突っ込んだ瞬間に「いい人生だった」と言えたらそれでいいのではないかと思う。同様に、「幸せの定義」も必要ないのだと思う。大きな幸せを追い求めようとすると、「成功」というものの定義が必要になるのであろう。

大成功した音楽プロデューサーが詐欺容疑で捕まったり、成功した大金持ちがサブプライム・バブル崩壊で大損したりする事例がある。

何気ない日常の中で、小さな幸せを実感できることが、幸せそのものなのだと思う。定義など必要無いのだ。

人生などわからないものである。ましてや成功となるとなおさらわからないものである。僕は、「成功した」と思った瞬間から失敗が始まるものだと思っている。「成功した」と思うと、人々はその成功に安住してしまい、努力を怠るからである。

成功や大きな幸せを追い求めずに、日常の中で小さな幸せを感じることができ、謙虚な気持ちで、一歩一歩地道に歩むのが良いことなのであろう。

今まで僕は、「幸せを噛みしめる」という表現の意味がわからなかった。だが、子供が生まれて家族を持つと、「幸せを噛みしめる瞬間」というものに巡り合うようになった。

でも、この小さな幸せも長くは続かないのであろう。ゆくゆくは、子供たちが巣立っていく時が来る。そして、彼らと会う機会が減ってしまうからだ。賑やかな食卓や寝室も静かになるのであろう。

ま、人生全てが諸行無常なのである。でも悪いことではない。次の小さな幸せが待っているからだ。将来を気にするよりも、今はこの瞬間を楽しみながら過ごすこととしたい。

2008年11月11日
自宅にて執筆
堀義人

京都大学工学部卒、ハーバード大学経営大学院修士課程修了(MBA)。住友商事株式会社を経て、1992年株式会社グロービス設立。1996年グロービス・キャピタル、1999年 エイパックス・グロービス・パートナーズ(現グロービス・キャピタル・パートナーズ)設立。2006年4月、グロービス経営大学院を開学。学長に就任する。若手起業家が集うYEO(Young Entrepreneur's Organization 現EO)日本初代会長、YEOアジア初代代表、世界経済フォーラム(WEF)が選んだNew Asian Leaders日本代表、米国ハーバード大学経営大学院アルムナイ・ボード(卒業生理事)等を歴任。現在、経済同友会幹事等を務める。2008年に日本版ダボス会議である「G1サミット」を創設。2011年3月大震災後に、復興支援プロジェクトKIBOWを立ち上げ、翌年一般財団法人KIBOWを組成し、理事長を務める。2013年6月より公益財団法人日本棋院理事。いばらき大使、水戸大使。著書に、『創造と変革の志士たちへ』(PHP研究所)、『吾人(ごじん)の任務』 (東洋経済新報社)、『人生の座標軸』(講談社)等がある。

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