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ダボス会議2010〜(2)ダボスへの道のり

投稿日:2010/01/27更新日:2019/08/20

1月25日月曜日の朝に、家を出た。長男の中学受験の真っ只中なので、後ろ髪を引かれる思いでの出張である。成田エクスプレスに乗り込み、JAL便でフランクフルトに向け飛び立った。スイス航空のチューリッヒ直行便があったのだが、なるべく日本のエアラインに乗るべく、特に会社更生法を申請した日本航空を応援する意味でも、JAL便を使い、フランクフルト経由でダボスに向かうこととした。

成田のゲートの後ろに、ずらっと10〜20人の整備士やキャビンアテンダントが神妙な表情直立不動で並んでいた。僕が通りかかると、一斉に「ありがとうございます」と頭を下げて挨拶をされた。一人の整備士が、僕に近寄り「僕たちの気持ちです」と言って、名刺状の紙を渡された。

表には、JALの飛行機の写真である。その裏には、「一生懸命に頑張ります」と手書きで書かれていた。じ〜んと心が動かされた。彼らには、全く罪が無いのである。罪があるのは、トップの経営陣と日本の運輸行政である。それでも、この人たちのうちの何人かは、結果的にはリストラされてしまうのかもしれない。罪もなく、一生懸命に働いてきたのに、である。経営トップの立場としては、早め早めに手を打つことの重要性を、改めて認識させられる一件であった。

機内で、今回の旅程に目を通した。月曜日夕方にフランクフルトに着く。翌26日火曜日の朝フランクフルト郊外にあるビジネススクールを訪問する。ドイツを代表するそのビジネススクールの学長とは、大連のダボス会議で同じパネルに登壇していたのである。その後メールで連絡を取り合い、機会がある時に相互に訪問する約束をしていたのである。ビジネススクールの世界的ネットワークを広げる活動の一環である。

スクール訪問後、午後の便でチューリッヒに向かい、空港ホテルにチェックインする。18時からワイン・テイスティングの会合があり、20時から「ダボス直前会議」のレセプションである。

この「ダボス直前会議」というのは、正式にはHORASISという会議の年次総会で、ダボス会議の直前にチューリッヒ空港のホテルで一泊二日で開催されるものである。この会議の主催者とは、以前から知己があったので、僕が、この会議のコンファレンス・チェア(共同議長)を務めることになったのである。今まで多くの国際会議に参加してきたし、パネリストやスピーカーとして登壇したことはあったが、コンファレンス・チェアに名前を連ねるのは初めてである。とても、光栄なことである。

翌日1月27日水曜日の朝8時から僕が登壇し、「世界を取り巻く諸問題」に関して、意見交換することになっていた。午後に、直前会議が終了し、ダボスに移動し、夕方からダボス会議に参加する。

1月28日木曜日の朝からは、ダボス会議のスケジュールがびっしりと組まれていた。僕の登壇予定は、その日の14:30-16:30である。夜は、ジャパン・ナイトが開催される。

1月29日金曜日の朝にハーバードのレセプション、インフォシスの招待ランチョンなどがあり、翌日30日土曜日の夕方の便で、フランクフルト経由で帰国する予定だ。

2月1日の長男の受験の前日には、帰ってきたいという気持ちから、予定よりも一日早く帰国することにしていた。これが、ざっとした今回の出張の流れである。

フランクフルト空港で運転手に迎えられ、ビジネススクールの近くにあるホテルまで車で移動した。外は、一面の銀世界である。運転手によると、これほどの雪は、フランクフルトでは、珍しいのだという。僕は、ふと「ドイツに来るのは、いつぶりなのか」と記憶を辿り始めた。1999年にエイパックスと提携してから、2001年にかけては、事務所訪問、現地研修、会議への参加、投資家訪問などで何度も来ていたが、それ以降はぱったり来ていないのである。最近は、もっぱらロンドン、パリ、チューリッヒのみで、ドイツに来る用事が無かったのである。

ライン川のほとりにひっそりと佇むホテルに、車が着いた。部屋にチェックインするなり、一日たまった大量のメールに返事を書く作業を一心不乱にやり続けた。終わったのが、二時間後であった。水着に着替えて、バスローブをはおり、地階にあるプールに向かった。

プール・エリアに入ると、プールで泳いでいる女性が一人、目に入った。何気に眺めていると、ビックリしたことに、その貴婦人は、全裸で泳いでいるのである。プール・エリアには、その全裸の貴婦人以外には、旦那とも思える太った男性がタオルにくるまりながら、新聞に目を通しているのみであった。

「そうか。ここは、ドイツだ。サウナは混浴で、しかも全裸で入るのが基本となっている。サウナに付随しているプールという位置づけで、全裸なのでは」と思い、サウナを探したら、やはり奥にサウナが見つかった。

僕は、とっさの判断で、水着を脱ぎ、シャワーを浴びて、誰もいないサウナに入った。暫くすると貴婦人が、全裸のままサウナに入ってきた。おもむろにタオルを下に敷いてそのまま上向けに寝転がってしまった。僕は、目のやり場に困ってしまった。

沈黙の後に、彼女がむくっと起き上がり、水が入っている桶を指差しながらドイツ語で何やら声をかけてきた。僕は、英語で返答した。彼女は、どうやら水をもっとサウナ石にかけたいようで、そのまま桶をもって外に出て、水を汲んで戻ってきた。僕は、その桶を受け取り、石に水をかけながら、貴婦人と一言二言会話をした。この近くに住んでいる方で、年間会員として、このプールに頻繁に来るのだと言う。彼女が、先にサウナから退出された。サウナ室を出るときに、挨拶をされたので、「お話できて楽しかったです」とニコリと伝えた。そして、彼女は全裸のまま、シャワーを浴びて、プールに入っていた。

僕も、汗を十分にかいていたので、シャワーを浴びて水着をはかずにゴーグルをかけて、プールにそのまま飛び込んだ。プールは、12メートル程度しかないが、冷たくて気持ちがいい。僕は、大会に備えて、クロール、バタフライ、背泳ぎ、平泳ぎと全種目練習した。すっぽんぽんで背泳ぎをしている姿は、誰にも見せられない光景であろう。

そのプールでは、見ず知らずの男女がすっぽんぽんのまま泳いでいるのである。不思議な光景であるが、これがこの地では正しいことなのかもしれない。国によっては、常識など変わってしまう、好例にも思えてきた。僕は、全裸のまま、再度サウナに入り、プールに入るルーチンを繰り返した。そして、最後にシャワーを浴びて、バスローブをはおり、ゴーグルと乾いたままの水着を片手に部屋にもどった。

明日、ホテルマンに、「そもそもあのプールは、全裸で泳ぐのが正しいのか、水着を着ているのが正しいのか」を聞いてみようかと、寝る前に考えてみた。仮眠をとったあとに、夜中の12時過ぎに、電話会議のために叩き起こされた。一時間強ほど電話会議をしたあとに、再度眠りについた。

このようにして、ダボス会議出張の旅程第一日目が過ぎていった。

2010年1月26日
フランクフルト郊外のホテルにて
堀義人

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