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天皇皇后両陛下ご来臨の晩餐会

投稿日:2008/03/05更新日:2019/08/20

その日の晩の予定は、トリプル・ブッキングであった。三つのイベント・会食などが重なり、どうやって時間調整するのか、どういう服装で赴くべきかの判断が必要であった。

一つ目のブッキングは、ジャパン・ソサイエティの100周年イベント。これは、2、3カ月前から日程が決まっていた。

二つ目が、プロ棋士・梅沢由香里さんの女流棋聖の就位式。女流棋聖の防衛が発表された翌日に、梅沢さんから直々にメールでお誘い頂いたものである。昨年の就位式には、海外出張のため参加できなかったので、今回は、是非とも参加したいと思っていた。

そして、三つ目のブッキングが、弊社のベンチャー・キャピタル部門の「キャピタリスト・ナイト・アウト」というイベントである。キャピタリストの一員として、二回に一回は参加すると約束していたので、今回は何が何でも出席をしようと思っていた。

次元は違うにせよ、どれもが僕にとっては、重要なイベントであった。

ジャパン・ソサイエティの招待状には、「ドレスコードは、ブラックタイかダークスーツ」と記載があった。ドレスコードのことが気になっていたのだが、どのような装いで行くべきかを当日まで決めかねていた。

その日は、夕方に一旦帰宅して着替えてから外出する時間的余裕がありそうだったので、会社にはカジュアルないでたちで行くことにした。自宅を出る前に、秘書に次のメールを送っておいた。

「本日のジャパン・ソサイエティのイベントは、着席かか立食か?何時までの予定か?ブラックタイで行くべきかどうかの判断が必要なので、教えてください。m(__)m」。

そして、午前の会議中に、秘書からメールが返って来た。

「シーティングの会食です。天皇皇后両陛下がご来臨されるので、ブラックタイの方が多いようです」。

僕は、目を疑った。天皇皇后両陛下がご来臨される会合に、僕は招待されていたのである。確かに、ジャパン・ソサイエティの100周年はビッグイベントではあったが、両陛下がご来臨されるほどのイベントとは失礼ながら認識していなかった。招待状を見ると、「ジャパン・ソサイエティ創立100周年記念晩餐会」と記載されていた。正式な「晩餐会」なのであった。

こうなると、その晩餐会を最優先にして、ブラックタイの装いで参上する必要があった。秘書にお願いして、蝶ネクタイとカマーバンドを至急、仕入れてもらった。

僕は、仕事の合間に帰宅して、タキシードに着替えてきた。そして、当日の時間設計をした。

ジャパン・ソサイエティのイベントは、虎ノ門のホテルオークラ東京で行われ、天皇皇后両陛下は、18時26分に到着される予定とある。警備の混雑などを考えると18時15分より前には到着する必要があった。

女流棋聖の就位式は、紀尾井町のホテルニューオータニで開催される予定で、17時30分受付の18時開始であった。

僕は、17時30分過ぎにニューオータニに赴き、梅沢さんに「おめでとう」を伝えて、18時前にはホテルオークラに向けて移動する必要があった。そして、オークラが終わり次第、同僚の会合にジョインするために、大久保に向かうことにしようと思った。

タキシード姿での就位式への参加は照れくさいが、仕方がない。一方、タキシードで参加するのに手ぶらで行くのも、ちょっと物足りない。しかも会が開始する前に失礼しておいとましなければならない。

そこで、一案を講じることにした。花束一式を手配して、会場で梅沢さんに手渡して、「おめでとう」と伝えた後に、ジャパン・ソサイエティの晩餐会に向かうことにしようと思ったのだ。

ちょっとキザっぽいが、滅多に無いことだからと思い、計画通りに実行することにした。花のアレンジを手配して、17時30分過ぎにタキシード姿で、ニューオータニに向かった。予定通り、17時45分ごろに梅沢さんに花束を贈呈して、「おめでとう」と伝え、参加者にご挨拶をして、オークラに向かった。

道中で、先ずは両親に電話した。「天皇皇后両陛下がご来臨される会合に僕も招待されたんだよ」と伝えたかったからだ。当然、両親は手放しで喜んでいた。そして、四国の新居浜にいるおばあちゃんにも電話することにした。おばあちゃんは、耳が遠いから大きな声で伝える必要があった。タクシーの中で大きな声で、おばあちゃんに趣旨をお伝えした。おばあちゃんは、ビックリして、喜んでくれている様子が電話の向こうから感じ取ることができた。

そして、18時20分ごろに僕は、ホテルオークラに着いた。受付を済ませたあと、会場に入ると、ブラックタイの男性や着物姿の女性の参列者の方々が、グラスを片手に談笑をしている姿が目に飛び込んできた。その華やかな様子が、晩餐会の雰囲気を盛り上げていた。

程なくして、会場がオープンになり、出席者は、それぞれの指定された席に着き、天皇皇后両陛下のお越しを待つこととなった。そして、いよいよ両陛下がお見えになった。一同起立して、拍手をしながらお迎えした。天皇陛下の優しく威厳があるお姿と、美智子皇后陛下の気品のある美しさを拝見することができた。

両陛下がご着席されるとともに、参列者一同全員も同様に座り、晩餐会が始まった。
開会の辞は、ジャパン・ソサイエティの会長である、ジェームズ・マグドナルド氏、来賓の挨拶は、高村外務大臣とシーファー駐日米国大使であった。

会長からは、「1907年にジャパン・ソサイエティ創立に携わったニューヨークの人たちは、100年後に日米両国が、世界の二大経済大国になるとは予想しなかったであろう。(中略) 2世紀目を迎える節目にあたり、ジャパン・ソサイエティの使命は、日米両国民がお互いの経験と業績から学びあうための助けをすることである」などの趣旨のご説明がされた。

僕がなぜ、この晩餐会の席に座っているかと言うと、ジャパン・ソサイエティ主催の「日米イノベーターズ・プログラム」に選ばれて、日米のイノベーターのネットワークと草の根で交流する機会を与えられたからであろう
「米国イノベーターとの友達づくりの旅」をご参照ください)。

ニューヨークのジャパン・ソサイエティでも二度ほどスピーチをしたこともあった。
今後とも日米関係の強化に尽力したいと心に強く思った。

ご挨拶の後は、狂言である。人間国宝である野村万作さんによる「奈須与一語」と野村萬斎さんなどによる「まちがいの狂言」であった。

そして、乾杯のご発声は、町村官房長官である。一同起立して、乾杯をして、晩餐が始まった。信州産のワインをいただきながら、帆立貝のバジル風味、十種野菜のポタージュスープ、子牛のステーキの食事を堪能し、最後は、デザートと紅茶で締めくくりである。

そして、あっという間に閉会の辞である。狂言が終わったのが19時40分で、閉会の辞が20時35分であったので、本当にあっという間であった。両陛下がご退席されて、晩餐会はお開きとなった。

名残惜しむかのように、数多くの出席者が、会場で多くの方と談笑されていたのが印象的であった。僕も何名かの方々にご挨拶をすることができた。オリックスの宮内義彦さん、富士ゼロックスの小林陽太郎さん、元・外務大臣の川口順子さん、グレン・福島さん・福島咲江さんご夫妻、千葉商科大学学長の島田晴雄さんなどにご挨拶をして、その場を後にすることにした。

そして、ベンチャー・キャピタルの同僚が待つ大久保の韓国料理店に向かった。

蝶ネクタイ、カマーバンド、カフリングなどを外して、まっこりや百歳酒を飲み、キムチ、焼肉に舌鼓を打ちながら、仲間とともにカジュアルな会話を楽しんだ。

そして、ほろ酔い気分で家路に着くことにした。蝶ネクタイを外したタキシード姿のその手には、ジャパン・ソサイエティの晩餐会で頂いたチョコレートのおみやげやプログラムが入ったしっかりとした紙袋と、韓国料理店が手配してくれたキムチのおみやげが入ったビニール袋がぶら下がっていた。

2008年3月5日
三番町の自宅にて
堀義人

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