8月5日の孫さんとのトコトン議論を終えて、僕は達成感で一杯だ。3時間25分に及ぶ休憩なしの1対1の議論は、あっという間に感じられた。反響も大きいので、この機会に、経緯・心境などをコラムとしてまとめることにした。
トコトン議論の実施が決まったのは、ツイッター上だった。7月1日に孫さんが、「目先の欲に駆られ原発に走る人々や企業はいったい何を考えているのだろう」と呟いたのに対して、僕が反論したのだ。
「孫さん>言っていいことと悪いことがあります。日本の電力の安定供給に奔走している人々を「目先の欲」とは無礼です。数多くの技術者が、日本の未来のために、純粋に研究しています」。
そこに、孫さんが、「堀義人さんは、結局の所、原発推進論者ですか。一度トコトン議論しますか?」と返信があり、僕が、「孫さん、いつでも喜んで受けますよ。僕は、『電力安定供給論者』です」と応じてトコトン議論を行う事が決まったのだ。ちょうど、グロービスの「あすか会議」の真っ最中だった。
トコトン議論が決まってから、僕は福島を2度訪問し、福島の大地や空気に触れ多くの人々と会った。現地の放射線アドバイザー、田嶋要本部長、飯館村長、南相馬市長、飯館村の避難者、市議・県議、さらには福島のリーダーの方々との対話集会KIBOW等も開催した。飯館村の避難者の仮設住宅も訪問した。福島県民が何に悩んでいて、何を心配に思っているかを理解する必要があったのだ。
僕は、エネルギーの専門家ではないし、原発も詳しくは知らないし、放射線の影響もわからないのだ。そこで、原子力施設を訪問し、エネルギー政策の専門家を訪ね、電力関係者、放射線医師等と面談した。メガソーラーにも足を運び、理解するように務めた。
トコトン議論は、マスコミを含め全て公開の場だ。間違ったことを言うと袋叩きに合うし、失言をするとバッシングを受ける。特に強硬な反原発論者達は、もの凄い勢いで攻めてくる。それらに対抗するためには、現場や専門家を訪問し、徹底的に理解する必要があったのだ。
一方、孫さんの対談のビデオ等も分析した。基本的にプレゼン上手で、感情に訴える巧みな話術の持ち主であった。手ごわい相手だ。
僕は、トコトン議論で何を目指すかを明確にすることにした。僕の目的は、次の3つだ。(1)原子力を容認する人を増やし、(2)エネルギー政策を考えるきっかけを作り、(3)孫さんを脱原発論者から転向させ、世論や政治を間違った方向に引っ張らないようにして頂くことだ。これらの目的は、プレゼンの冒頭で述べることにした。
ただ、(3)ができれば一番良いのだが、孫さんの考えを変えるのは難しいのではと、正直思っていた。だから聴衆の意識を変えることのみに専念することした。その目的を達成し、且つ聴衆の関心が高いまま維持できて、握手で終われたら、僕にとってのトコトン議論は、大成功なのだ。そう目標設定した。
僕があと拘(こだわ)ったのは議論形式だ。過去の孫さんの対談を観ていると、ソファーに座っていて、議論なのか、ただの会話なのかが不明なものもあった。また、モデレーターが入ると、モデレーターの意思が入るとともに存在感を示したがるから、アンフェアな方向に向かったり、焦点がボケたりしていることもあった。また孫さんが、多くの時間を使って同じポイントを繰り返し話すこともあった。
従い、(1)モデレーター不在で、(2)時間配分をフェアにして、(3)聴衆の面前でのプレゼン後の議論という形式にこだわったのだ。
だが、心配点はあった。エンドレスということで、議論が堂々巡りにならないか、論点が十分に議論されるのか、更には長過ぎて聴衆の関心を失うのではないかと。つまらなくなったら、失敗だ。そこで、僕は、議論をしながら、モデレーター役を引き受け、議論を引っ張って行くことを考えた。そのために、論点と質問を用意して臨んだ。
前日の昼食時に、親父とともにランチをした。「何かアドバイスは?」と聞いたら、「母親からの伝言だけど、品良くやりなさいよ」と。親父からは、「相手が正しければ積極的に認めなさい」とアドバイスをもらった。親父は、感情的にならずに冷静に議論を進めるのが一番良いという考えを持っていた。
そして当日を迎えて、会場入りした。開会の夜8時直前に控室前で孫さんに会い握手をした。3年ぶりぐらいの再会だ。孫さんと僕は、今まで10回近く会ってきた。一番最初は、僕が創業まもない18年ぐらい前だ。1994年には同じパネル・ディスカッションに登壇したこともあり、一対一の面談も二度ほど行っていた。僕は、孫さんが日本で最も能力が高い起業家の一人だと思っている。
そして、トコトン議論が始まった。孫さんと握手をして、感謝をして、僕の20分間のプレゼンを始めた。冒頭に、僕の思いを伝えた。「ボコボコに批判されようが、僕は自分が正しいと信じることを伝え続けます」と宣言した。プレゼンが終わり、孫さんが10分間の反論を行い、孫さんの20分のプレゼンが始まり、僕の10分間の反論となった。
僕の反論時間が終わり、制限時間無しのトコトン議論を始めた。最初からパンチの応酬、且つ発言時間の奪い合いの激しい議論となった。僕は、激論を繰り返すうちに、孫さんは意外にリーズナブルであると思い始めた。
強硬な脱原発論者ではなくて、原発を容認する姿勢で臨まれておられたし、放射線についても、以前は1mSvでも危険だという姿勢だったのが、今は20mSvまでOKと柔軟な対応になっていた。分からないことにはわからないと認め、数値が違っている可能性があれば、「それは調べましょう」となった。原子力の危険性の度会い、風評の被害やベースロードの考え方に異論があったり、或いは計算根拠や採用した数値に違いはあるが、同意点も多いことに気がつき始めた。
一方、僕は、伝えたいことを全て言おうと思っていた。「節電すれば大丈夫だ」に対しては、「節電で既に大きな代償・コストを払っている。製造業はどれだけ苦労しているのか」。「コンバインド・サイクルを増やす」に対しては、「LNGは簡単に輸入ができない。既に日本は、世界の1/3の輸入国だ。LNGの船にボトルネックがある。日本が脱原発をやると足元を見られ、価格が高くなる。そもそも発電所建設コストをどう考えるのか。石炭を減らせばCO2は減るが、原発を止めればCO2は増える」等だ。
反論はいくらでもできる。特に激昂して、感情的になれば、聴衆によっては有効な場合もある。だが、それに敢えて反論せずに、黙っているのが良い場合が多い。優秀な起業家は、その場では即座に反論するが、その後指摘された点を反芻し、絶妙に軌道修正するものだ。これは、僕がベンチャー・キャピタルとして数多くの起業家に接して得た知恵だ。
ワークスの牧野さんもグリーの田中さんも反論するが、後日指摘された点を自分の言葉として主張してくる。実は、僕もそのタイプだ。公衆の面前では、やりこまれたくない。だが、何が正しいかを考え続けたい。その結果、必要となれば、適宜軌道修正するのだ。
モデレーター不在でもあったので、全ての論点が議論され、聴衆の関心を高め、過度に一つの論点で堂々巡りにならないようにすることに意識した。つまり、モデレーター的役割を果たしながら、合意点・相違点を見出すことに専念した。品良く、冷静にだ。
議論の最中にもう一つ気がついたのは、孫さんが、トコトン議論の前に僕が述べた「政商」という言葉を相当気にされていた、と言う点だ。
僕は、そもそも「レッテル貼り」は、好きでは無い。だが、孫さんが脱原発に走り、菅首相と繋がり、脱原発依存に社会や世論を誘導し始めたことに、強い危機感を持っていた。「孫さんの考えを変えないとならない」という強い危機意識から、何とか対話の機会を持ちたいと思い、「政商」という言葉を使い始めた。あまり使いたくない言葉なので、最初から後ろめたさはあった。だが、ツイッター上で孫さんの目を引くために、短い言葉且つインパクトが必要だった。産経新聞は、その言葉を見出しに載せて煽った。僕は、自分の考えを伝えるために使わせてもらった。
孫さんが原子力を容認され、日本を脱原発等の間違った方向に引っ張って行く意図が無くなり、御本人が心外に思っているならば、僕は、謝罪して撤回するのが妥当だと判断していた。孫さんが、「利益を一円も得ない」と宣言されて、撤回を求めたので、僕はちょうど良い機会だと思い、撤回した。当然、僕は返す刀で、僕が心外に思っている、「原子力関係者は目先の利欲に走っている」発言の撤回を要求した。
僕は、孫さんが一部主張を繰り返し重複して述べ始めたことに気がつき、僕のメモに目を通し、全ての論点が網羅され、僕が主張したいポイントが全て言えたことを確認した時点で、モデレーター的役割として、「3時間18分既に経過しました」と伝えた。孫さんは、メモに目を通して、今回のまとめをおもむろに始められた。僕も、僕なりの思いで総括して、最後は立ち上がり、壇上に歩み寄り握手をして、肩を抱き合いお互い健闘を称えて、聴衆にお礼を申し上げた。そして、「トコトン議論」が終わった。
僕は、裏方の通路で孫さんに握手をしてお礼を申し上げた。孫さんはSPに囲まれて、そのまま会場を去って行かれた。僕は、会場に残り、スタッフを労(ねぎら)い、来場者に挨拶をした。反応はとても良く、気分が良くなったので、その晩はグロービスのスタッフとともに慰労会を兼ねて、祝杯を上げることにした。気持ちの良い時間・空間だった。
祝杯をあげている最中に孫さんが、ツイッターでトコトン議論に関して呟いておられることに気が付いたので、僕も返信することにした。
「孫さん>こちらこそありがとうございます。議論により、社会の理解が促進されたと思います。トコトン議論への呼びかけ感謝です。次は学者、政治へと議論の輪を広げて行きましょう。RT @masason 堀さん、有難うございました。良い議論が出来たと思います」。
トコトン議論に勝敗は、無いのだ。僕は、当初より(1)原子力への容認者が少しでも増え、(2)国民が冷静にエネルギー政策に触れる機会を創れたら大成功だと思っていたのだ。予想外に孫さんとの共通点を見出せた。ただ、ツイッター上では、未だに勝ち負けに拘る人がいた。呆れたことにマスコミまでが、「圧倒」などという言葉を使っていた。
僕は、次の通り、ツイッターで社会に訴えることにした。
「トコトン議論の勝敗を、敢えて決めるならば、次の通りだ。「敗者」は、強硬な脱原発論者だ。孫さんを含め、原発容認の人が増えたからだ。「勝者」は、日本国民だ。エネルギー政策に関する議論に関心を持ち、日本を良くして行こうという気運が盛り上がり、多くの人が勇気を持って発言していくであろうから」。
そうなのだ。勝者は「日本国民」だ。これからもこういうトコトン議論が増え、多くの方が様々な視点に触れることができ、同意点や相違点を認識しつつ、オープンに議論することができれば、日本は必ず良くなると確信している。
原発の強硬な反対論者は、正当な議論をしようとする人を激しく攻撃する。その結果、最近では、世論は脱原発一色で正当な議論ができない環境にあった。このトコトン議論がきっかけとなり、その論調や世論の流れに一石を投じることができたならば、勝者は日本国民だと、心の底から言えよう。僕は、そのための「捨石」みたいなものなのだ(だが、その捨石は意外にしぶとく、生き残り、大きな陣地をつくるかもしれないが)。
昨日から僕は夏休みに入った。子供達と大自然の中で思いっきり遊び、スポーツで汗をかき、囲碁を打って楽しもう。拙書「吾人の任務」と「創造と変革の志士達へ」の英語版も完成させる予定だ。皆さんも、良い夏をお過ごしください。(^^)/
2011年8月7日
山小屋にて執筆
堀義人
<参考資料>
2. 「脱原発を叫ぶ前に——」 孫正義×堀義人 対談全文書き起こし(1)(1/4ページ)
3. 動画アーカイブ 「孫正義×堀義人 トコトン議論 日本のエネルギー政策を考える」
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