3週間の世界一周出張(その6-ヤンキースの松井選手観戦編) 

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2日目の火曜日、朝5時に起きてから1時間ほどメールチェックをして6時10分頃、車に乗り込んだ。目的地はコネチカットで、現地に朝7時30分集合である。コネチカットでも投資家と2つのミーティングを精力的にこなした。投資家は、僕が遠くから来たことをとても喜んでくれた。ファンドのパフォーマンスも良いので、説明も比較的楽である。

時間の都合がつかず、会う事が出来なかった投資家とも、電話で話をすることができた。やるべきことはやった。そして、車はニューヨークに向けて走り出した。まだ午前11過ぎであった。車の中で、ニューヨーク・タイムズに目をやると、一面に野球の記事が書いてあった。今、ニューヨークは野球の話題で盛り上がっている。投資家とのミーティングでも、野球の話題になると、投資の話をそっちのけで、野球のことを楽しそうに話していた。皆、基本的に野球が大好きなのである。

今、大リーグは、ポスト・シーズンの戦いに入っている。一番盛り上がる時期である。 シーズンは、アメリカン・リーグの東地区をニューヨーク・ヤンキースが制していた。プレーオフで中地区優勝のミネソタ・ツインズと戦い、3-1でヤンキースが勝ち、アメリカンリーグのチャンピオン・シリーズにコマを進めていた。もう1つの山は、東地区2位なるもワイルド・カードで地区シリーズに進出したボストン・レッドソックスと西地区首位のアナハイム・エンジェルスであった。この山はレッドソックスが勝ち、レッドソックス対ヤンキースの昨年と同じカードでリーグ優勝をかけて戦うことになった。

ヤンキースとレッドソックスは、長年のライバルである。昨年のこのカードも第7戦 までもつれこみ、最後はヤンキースが8回裏に逆転をして、そのまま逃げ切り優勝を決めた。それと同じカードである。昨晩は敵地ボストンでの第5戦であった。昨晩まで、ヤンキースは二夜連続の延長さよなら負けをしていた。結局、ヤンキースが3連勝後のまさかの2連敗を喫っしたので、松井秀喜選手が所属するヤンキースが地元に戻ってくることになった。

実は、ロンドンにいるころから、このカードの戦績が気になっていた。もしも、NYに戻ってきたら松井選手を観れる計算になっていたのだ。ヤンキースが圧勝で3連勝したので、負けることは無いだろうと思っていたのだが、まさかの2連敗である。 そして、本日ニューヨークで第6戦を戦うことになっていたのだ。

NYに戻る車の中で、『何としてでも松井を見に行こう・・・』と決め、行動に移した。先ずは、ホテルのコンシェルジュに電話した。チケットを取れそうな感触があった。ところが、夕食をパートナーのアラン・パトリコフ氏と約束していたのである。‘何とか、アポイントをずらせないだろうか・・・‘と思案して、勇気をもってアランに打診してみることにした。緊張しながらアランに電話した。アランが出た。彼にさりげなく、時間変更が可能かを打診してみた。アランは、「夕食を早めるよりも、今すぐ来れないか。できたら一緒にランチをしたい。」と言ってくれた。「その方が都合が良い」、とのこと。ヤッター!!

そして、車はアランの事務所に直行した。握手をしてすぐに、近くのイタリアンレストランに向かった。「どうして夕食を早めたいと言ってきたんだ?」と、アランから聞かれた。「どうしてだと思いますか?」と逆に切り替えして質問をしてみた。アランは、「う〜〜ん、オペラか?」と答えた。僕は、静かに首を横にふった。

「ベースボールか?」とアランが言った。僕は、「そうだ」と即座に答え、こう続けた。「松井選手をどうしても見たいんだ。チャンピオン・シリーズのこんな絶好の機会は無い。今日を逃すともう観れないかもしれない。」正直に話をした。アランは、嬉しそうな表情を浮かべていた。アランもヤンキースファンのようで、遠く日本から来たゲストが自分の好きなチームをわざわざ観たいと熱心に言ってくれているのを見て、とても喜ばしい。と言いたげな雰囲気であった。

あとはチケットをとるだけだった。多少高くても仕方が無いので、コンシェルジュ経由で取ってもらうことにした。そして何とかチケットを入手することができた。そしてその夜、ヤンキースタジアムに向かった。遠くから見えるヤンキースタジアム は、白い光の大円柱という雰囲気で聳え立っている。6万人ほどが入れる巨大なスタジアムである。僕は、ホームベース裏の席に陣取った。周りは、ヤンキースファンばかりで、異様な盛り上がりを見せていた。

僕は、複雑な気持ちであった。ボストンに住んでいたことがあり、ボストンではレッドソックスを応援しにレッドソックス本拠地のフェンウェイ・パーク(通称:グ リーンモンスター)まで何度か足を運んだ事があった。だが、松井選手がヤンキースに入ったので、当然ヤンキースを応援したい。しかも地元ニューヨークでの戦いだ。結局、紺のNYヤンキースのロゴ入り帽子を購入して、観戦することにした。

国家斉唱が終わり、試合が始まった。この日は試合開始前まで雨が降っていて、肌寒か った。ロンドンで買ったコートと防寒着が幸いしていた。この試合は、夜8時過ぎから12時過ぎまで4時間近くも行われた。結局、ヤンキースが2-4でレッドソックスに負け、運命を決める第7戦まで持ち込まれることになった。松井選手も三打数無安打だった。不満が残る内容であった。

翌日は、ニューヨーク市内で投資家との会合を4件持った。9時、11時、14時、そして16時である。皆、野球の話題から始まった。1人の投資家は、昨晩試合を観に行っていたようで、眠そうな顔をしていた。皆、本当に嬉しそうに野球の話をする。老若男女を問わずに、である。本当に野球が生活の中に浸透している気がしている。皆、大統領選そっちのけで、野球のことで頭がいっぱいのようである。僕はプレゼンテーションをしながらも、野球の話題を入れるようにしている。『イチローのように確実にヒットを狙いたいし、マツイのようにホームランを狙う案件もある。そして、僕らには最高のプレイヤーが揃っている』という具合だ。

そして、いよいよ運命を決する夜となった。幸い、夜にはアポイントが入っていなかった。当然のように、僕はコンシェルジュにお願いしてチケットを取ってもらい、再度ヤンキースタジアムに向かうことにした。何としても松井選手のヒットを見たいのだ。ヤンキースが負ければ、松井選手にとっては今シーズン最後の試合となり、勝てばワールドシリーズに進める重要な一戦だ。そして僕は、ラッキーにもその晩にニューヨークにいるのである。一大決戦を見ない手は無いのだ。

そして、ヤンキースタジアムに再度足を踏み入れた。今晩も国家斉唱を聞き、試合が始まった。昨晩にも増して場内は騒然としており、興奮の坩堝であった。今日の座席は、松井選手のすぐ後のレフト側外野席だ。松井選手の背中の背番号『55』がすぐ近くに見える。試合は、初回表にレッドソックスにいきなり2ランホームランを打たれた。そして2回には満塁ホームランを打たれ、ヤンキースが早くも0-6とリードされていた。

松井選手も2打席続けて音無しであった。このままでは、シーズンが終わってしまう。僕は、外野席の一番前まで降りていって、守備している松井選手の背番号『55』に向かって、大きな声で松井コールを連発した。気のせいか少しは反応してくれたように見えた。松井選手は、次の打席で、二塁打を放った。ガッツポーズだ。松井選手が打つと、ヤンキースタジアムは盛り上がる。彼の二塁打の時に、スタジアムはこの日最高の盛り上がりを見せた。その回にヤンキースは、2点を返した。9回裏にも松井選手はヒットを打った。そして、次の打者が内野ゴロに倒れ、松井選手がフォースアウトになったのを見届けて、混雑をさけるようにして、僕はスタジアムを後にした。

車を拾い、帰りの車の中のラジオで、ヤンキースの敗戦を確認した。彼のシーズンもこれで終わった。車から見えるハドソン川にかかるジョージ・ワシントン橋もちょっと寂しげだった。

翌朝、ニューヨークを発ち、レッドソックスの優勝に盛り上がるボストンに向かうべく準備を始めた。スーツケースのパッキングも手馴れたものになってきていた。ボストン・レッドソックスにとっては、18年ぶりのワールド・シリーズ進出である。その間4回リーグチャンピオン戦に進出したが、一度も優勝できなかったのである。テレビのニュースでは、ボストン市内が盛り上がっている様子が見てとれた。

明後日の土曜日からボストンでは、ワールド・シリーズが始まる。最後にワールドシリーズを制したのは、1918年だという。86年ぶりの快挙がなされるのかどうかということらしい。

明日からのボストンでのミーティングも野球の話題一色になることは、容易に想像できた。
チェックアウトをして、レッドソックス優勝で盛り上がるボストンに向かうこととした。

2004年10月21日
ニューヨークのホテルにて
堀義人

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