日本で行われる唯一の囲碁の世界戦である「グロービス杯世界囲碁U-20」が23日に終わった。世界各国・地域の代表の20歳未満の棋士16人が集まり、4日間にわたって熱戦を繰り広げた。日本勢はベスト4に2人が残った。
グロービス杯が始まったのは2014年。僕が日本棋院の理事を拝命したのがきっかけだ。僕は囲碁を40歳で始め、子どもたちも全員囲碁を打つ。理事になるからには、囲碁界に目に見える貢献がしたいと思っていた。
当時の囲碁界が抱えていた課題の一つが、日本の棋士が世界でなかなか勝てないことだった。かつて世界一の力を誇っていた日本勢が世界棋戦で20年近く中国や韓国の後じんを拝していたことを憂慮していた。「日本の棋士が世界で勝つためにはどうすればよいか」と思案した結果「若い棋士を鍛えるために世界で戦う機会を増やすのが一番良い」と考えて、グロービス杯の構想を練り始めた。
まずは20歳未満限定の棋戦とした。なるべく多くの日本の棋士に世界と戦う機会を与えるため、参加16人のうち日本代表は6人とした。海外からは強豪の中国と韓国からそれぞれ3人ずつ、台湾から1人、米国、欧州、アジア・オセアニアから1人ずつ招くことにした。
16人を4人ずつわけて4つの組をつくり、2敗するまで戦える形式にした。各組の上位2人が決勝トーナメントに進む。なるべく自国同士が当たらないように抽選も工夫した。ルールは「NHK方式」の早碁。1手30秒以内、1分単位で合計10回の考慮時間という方式にした。1日に2局打てるので、会期を短くできる。
グロービスのキャンパスで開催して会場コストを下げ、その分、優勝者には300万円の賞金を出すことにした。各国の囲碁協会に連絡を取り、グロービス杯の開催が4年前に決まった。
第1回の日本代表を選ぶ予選の前、動画メッセージを参加棋士全員にみてもらった。「若手が世界で勝てるようにグロービス杯を開きます。ぜひ精進して日本代表となり、世界トップになってください」と思いを託した。
初日のレセプション兼抽選会では、日本を意識して僕は紋付き羽織はかまで登場し、会場では和太鼓を鳴らして戦う気持ちを鼓舞し、日本酒を振る舞う。最後の表彰式ではオリンピック形式で国旗を背に3位までが栄誉を受けとる。
注目度が高いので、レセプションを含めて、初戦、2戦目、枠抜け戦、準々決勝、準決勝、決勝・3位決定戦、大盤解説会・抽選会は、全てインターネットで生中継することにした。
記念すべき第1回のグロービス杯ではなんと、日本勢が優勝、準優勝を獲得した。これは歴史に残る快挙だった。第2、3回は中国勢が優勝した。これまで一度も優勝がなかった韓国は今回、相当な気迫で臨んできていた。代表団に話を聞いたら「今回は最強の布陣で臨んでいる。何とかよい結果を出したい」と語っていた。
第4回グロービス杯の戦いの火蓋が切られた。日本勢は初日に中韓勢に1勝もできないなど苦戦したが、2日目には挽回。ベスト8に過去最高となる3人が残った。準々決勝では2人が中国のトッププレーヤーを破る快挙だった。準決勝の日韓対決では破れ、韓国勢の初優勝に終わった。
国家の威信をかけた若き頭脳の争いはこうして幕を閉じた。日本の若手も着実に力をつけている。グロービス杯経験者の日本の棋士も、伊田篤史棋士はタイトルホルダーになり、余正麒、一力遼、本木克弥の3棋士は井山裕太棋士とタイトル争いをするまでに成長している。グロービス杯の当初のもくろみである「若手を徹底的に鍛える」という目的は達成しつつある。日本の棋士達が世界で勝つために、グロービス杯を今後とも継続していきたい。来年の第5回グロービス杯が今から楽しみだ。
※この記事は日経産業新聞で2017年4月28日に掲載されたものです。
日本経済新聞社の許諾の元、転載しています。