※この記事は日経産業新聞で2016年7月8日に掲載されたものです。
日本経済新聞社の許諾の元、転載しています。
選挙権が18歳に引き下げられた最初の国政選挙である参院選の投票日まであと2日と迫ってきた。僕も大学1年生の長男と食卓で「何を基準に投票するか」を意見交換する日々だ。
家庭や仲間内ではともかく、経済人や民間人という立場になると「政治的主張をすべきでない」「政治家と関わるべきでない」と世間から常識的に言われる。経済人の声は経済団体に集約された形で発信されるのみで、個人や企業の立場では行われないのが通例だ。
だが、経済人や民間人が政治家と直接的に関わることを放棄し、政治に無言を貫いていて本当にいいのだろうか。本来あるべき姿は、政治家とオープンな場で議論して、自分が良いと思う政治家を応援し、政治家を育てあげ、国政、県政、市政の場で健全な政治が行われる風土を作ることではないだろうか。
経済人が発言しないと、民意は学者や評論家、メディア、作家・アーティストなどの論調に左右され、感情的で短絡的な方向に世の中が動く可能性が高くなる。経済人は日々、企業経営の最前線で「あちらが立てばこちらが立たず」というトレードオフの関係にある難題に取り組んでいる。問題点を構造化してとらえて、明確なビジョンの下で問題を解決し行動する――。政治に求められていることは経営にも当てはまる。経済人が政治に対して無言であるのは、その経験を全く生かせないということだ。
僕は以前より、政治家の友達を応援するために、選挙区に入ってマイクを握り、街頭での演説、小集会でのスピーチを実施してきた。やってみて分かったことは、経済人や民間人が政治に関わらないと、政治家は利益誘導団体や圧力団体に取り囲まれるということだ。
なぜ経済人や民間人は政治に関わってはいけないという社会通念ができたのだろうか。理由の1つに金銭的な問題がありそうだ。ヤマト運輸(現ヤマトホールディングス)で宅急便を考案した故小倉昌男さんは著書「経営学」のなかで「政治家に頼るな、自助努力せよ」と書いている。政治家と関わると、様々な要求がされるからだという。ところが僕の経験から言うと、政治家からの要求はほとんどない。あったとしても小額の後援会費だったり、パーティー券を1枚買ったりするだけだ。
2つ目の理由は「応援して負けた時にしっぺ返しを食らう」という恐怖だ。今の時代にそんなことをしたら、ネット上で炎上し、メディアからはバッシングを受けるだろう。
僕が政治家を応援するのは、見返りに何かを得たいわけではない。ただ社会に貢献し、世の中を良くしたいだけだ。政治家を応援するのは、社会問題を解決する社会起業家を応援するのと同じ感覚だ。単に頑張っている人を応援したいのだ。
海外をみると、経済人と政治家との距離が近いことに気づく。グロービスがかつてベンチャーキャピタル事業で提携したエイパックス社の米国拠点のトップ、アラン・パトリコフ氏は、ビル・クリントン元大統領と友達感覚でつきあっている。欧州拠点のトップ、ロナルド・コーヘン卿は英国のトニー・ブレア元首相ととても親しかった。2人の話を聞いているうちに「民間人が政治と関わるのは当たり前」との感覚を抱くに至った。
今はソーシャルメディアによって自由に発信できる時代だ。「ネット選挙」もすでに解禁された。読者の皆さんが良き政治家を積極的に応援し、実現して欲しい政策をネットで堂々と主張して欲しい。そうした主張や応援を通じてのみ、日本の民主主義が進展していくだろう。
一番やってはいけないことは、選挙に行かないこと、政治に無関心でいることだ。民間人が政治から離れると、政治は民間人から離れることになる。