ここまで3回に渡ってケースメソッド研修を紹介してきました。ケースメソッド研修のユニークな点は、講師による一方向のレクチャーではなく、受講生による議論や発表が授業の中心をなすことです。受講生は、議論を通じて多様な価値観に触れ、自らの判断軸を再構築できます。結果として、日々の業務の中で最善策を見出す能力を身に付けることをこれまで解説しました。今回は、ケースメソッド研修を実践するにあたって重要なポイントについて紹介します。(本稿は、日経BP社が人事担当者を対象に開設したサイト「ヒューマンキャピタルOnlineへの寄稿文を再掲載したものです)
研修の目的を明確にしてから手法を決定する
当たり前のことではありますが、重要なのは研修の「目的」を明確に定めることです。それも、「将来の経営幹部を育成したい」とか「課長クラスの底上げを図りたい」、「新入社員を即戦力化したい」という程度では不十分です。まず、自社が抱えている課題と、それを解決するために必要な人材像を明らかにします。この人材像に近づけるためには、自社社員にどのようなスキルや知識、経験が必要かを分析して初めて研修の目的が像を成してきます。例えば、「課長クラスの底上げを図る」目的の研修でも次のような様々なゴールが想定できます。
・企画提案力を増強して取引先に対する営業力を強化する
・リーダーシップを醸成してチームのやる気を高める
・経営戦略や財務管理の観点を持たせて、将来の幹部候補を抽出する
などです。
次に、目的に合わせて研修の手法を決定します。特定の業界知識や技能の習得であれば、座学研修やOJT(On the Job Training)を強化しようということになるかもしれません。 逆に、「マーケティング・プランの策定で、全社戦略との整合性を意識する重要性を認識させたい」という課題を基にしたマーケティング部門向けの研修ではケースメソッド研修が最適です。
「マーケティング部門として“正しい”ことをしていても、それが開発や営業部門の方向性とはすり合わず、全社としての舵取りを難しくしている」という問題は多くの企業で見られるものです。この問題を改善するためには、上司や研修講師が座学やOJTで「全体最適を考えましょう」と口を酸っぱくしても、さほどの効果は期待できません。全体最適を無視すると業績にどのような悪影響を及ぼすかを身をもって体験させるのがいちばんの早道です。しかし、企業としては社員の教育のために損失を出すわけにはいきません。こうした状況でケースメソッド研修による仮想体験が効力を発揮します。
テーマに合わせてケース教材を選び、研修での議論の展開も想定しておく
研修の目的と手法が決定したら、次に目的に対してポイントを要素分解する形で研修の全体像を「設計」します。この設計の精緻さが研修の成否を分けます。具体的には、授業の回数や時間、毎回の授業のテーマはもちろんのこと、テーマに即したケース、設問、ケース・ディスカッションの想定シナリオまで用意します。
授業の回数・時間数やテーマの組み合わせ方、授業の進め方は、企業や受講生側の目的や、ビジネススクールの運営方針によって千差万別です。例えば、グロービス経営大学院の「経営戦略」コースは、経営幹部を目指すビジネスパーソンを対象に、戦略立案の定石や様々な分析手法を活用するスキルを習得しながら、マネジメントとしての意思決定力を高めることが目的です。コースは1回3時間、全6回の授業で構成され、企業の置かれている状況を多面的に理解し、「どうすれば成功できるのか」、「どうすれば持続的な競争優位性を築くことができるのか」を主体的に考えさせることにより、戦略策定に必要な広い視野、深い思考力を醸成する設計です。
6回の授業はそれぞれ「企業のポジショニング」、「新規参入」など個別のテーマを置いており、例えば「多角化と事業の基本戦略」をテーマにした授業では、自転車部品市場での成功を足がかりに釣り用具、ゴルフ用品へと事業の多角化を図ったシマノのケース、「事業環境と成長戦略」をテーマにした授業ではファッション業界で急成長を遂げ、国際展開を図った「ZARA」のケースを用います。
この際、学ばせたいテーマに最も即したケースを選び、適切な設問を用意すること。即ち「教材」がテーマに対して適当であるかということが、研修を成功に導く要件になります。テーマと教材の整合性は重要であり、そのため、ビジネススクールの多くが、他のスクールからケースを“借りる”だけでなく、自らもケース開発を行っています。
また、前回解説したとおり、ケースには企業が実際に直面した状況が書かれているに過ぎず、そこから何を、どのように読み解くべきかは一切、示されてはいません。そのためケースメソッド研修の設計時には、このケースを使って、どのような議論を展開し、受講生をいかなる学びに導くかを熟考し、それと呼応した設問を用意しておく必要があります。例えばシマノのケースでは、「シマノが自転車部品市場で成功できた要因を述べてください」、「シマノの多角化戦略について評価してください」という設問を端緒に議論を開始することは、前回ご紹介したとおりです。受講生は、これら教材を事前に受け取り、主人公の経営者の視点から定性・定量の両側面からの事業環境分析、事業特性や経済性の把握、戦略立案・意思決定を“仮想体験”していくわけです。
受講生が自ら「気づきで学ぶ」ように仕込む
研修の運営者や講師は、「設計」の段階で受講生が見落としがちな点を「学ぶべきポイント」として手元のシナリオに用意します。例えば、「ケースには書かれていないマクロ環境にまで分析の視点を広げさせる」、「製品やサービスの質により他社と差異化して勝ってきたように見えるシマノの競争優位性は、実はコスト構造にあったことを理解させる」、「多角化を進めるうえでのポイントとして、既存事業との連関を多層的に分析させる」などです。
ケースメソッド研修で重要なのは、こうした「学ぶべきポイント」を講師が講義形式で解説するのではなく、議論の結果として受講生自らに気づかせることにあります。受講生自らが踏んだ思考プロセスが、学びのポイントにつながれば、それが単なる知識としてではなく、体験から得た学びとして実感を持って定着するからです。受講生自らに気づかせるために、研修の設計段階から議論のどの過程で何に気づかせたいか、ということを細密に想定し、議論を意図した方向に導く柔軟なシナリオを用意しておくことが、研修を成功に導く重要なカギになります。
入念な予習と多様なクラス編成が議論を活性化させる
「講師」と「受講生」もケースメソッド研修を遂行するうえで大切な要件です。講師のファシリテーション技術が受講生の学びを左右することは前回解説しました。一方、「受講生」に求められるのは、まずは入念な予習です。ケースメソッド研修の大半は、授業時間の大半を受講生の議論と発表に費やすことができるように、ケースや課題を前もって受講生に提示しておきます。受講生があらかじめ、しっかりとケースを読み込み、与えられた設問に対し、自分なりの仮説を立て授業に臨まなければ、授業で深い議論を行うことは不可能です。一般に、ビジネススクールの受講生は予習に5〜20時間を割いてから授業に出席することが求められています。
自分と他人の考え方の違いに触れて、視野を広げるためには、なるべく異なる発想を持つ受講生が一つの教室に集まることが理想的です。欧米のビジネススクールの中には、人種や所属する業界、宗教、性別など、クラスにおけるバランスを最初から規定し、多様性を担保しているところも多く見られます。
社内でケースメソッド研修を実施する場合は、なるべく普段は接しない部門の社員同志が混在し、誰もが発言しやすいクラス編成にするのがよいでしょう。例えば、会議で部下が発言しにくいような企業が、部長クラスと若手社員を同じクラスにしてケースメソッド研修をすると、なかなか議論が盛り上がらないという困った事態に陥りかねません。部長が発言した途端に他の受講生は普段の癖で考えることをやめてしまい、発言すらしなくなるとか、「部長と同じ考えです」、「部長の方針が最善だと思います」という発言で議論に発展しなくなるのです。
もちろん上司と部下が混在するクラスを否定するものではありません。ただ、混在クラスでケースメソッド研修をする際は、「研修での対立を職場に持ち込まない」ことを事前に取り決めておく必要があるでしょう。議論の中で部下が上司と反対の意見を出したとき、上司は「自分が批判された」と感じ、その感情を職場に持ち帰りかねないからです。結果として部下が働きにくくならないように、「あくまでも研修の中での話」という意識をあらかじめ根付かせるのが大切です。
最終回となる次回は応用編として、ケースメソッド研修を導入している企業の事例を交えながら自社の状況をケースにして研修を進める方法を紹介します。