民間と行政、その大きな違いは「時間の流れ」
"私は今、40歳。私の仕事のキャリアのほとんどが、ある2つの場所に集約される。
それは、フジテレビと逗子市役所だ。
イメージとしては対極にある存在かもしれない。
お笑いなどのバラエティー番組に象徴されるように、華やかでとても軽いイメージのフジテレビ。社内の廊下では売れ線のタレントさんや女子アナとすれ違うのも珍しいことではない。社員はサラリーマンだが、ほとんど芸能界に身を置いている錯覚に陥るときもある。
一方、逗子市役所はどうか。
高齢者の介護、保育園の入所の相談業務、図書館サービス、そして、みなさんが一番イメージするのは住民票を取り次ぐカウンターで、腕に黒いカバーをした役人がハンコをついているというお堅い仕事であり、職場というものではないだろうか。
フジテレビで私は、総務局を経て、報道記者・ディレクターをしていた。そして、逗子市役所では市長である。
フジテレビには約7年、そして逗子市長としては8年間、在籍した。(ちなみにフジテレビの社員から、国会議員や都議会議員になった人は過去にいたが、市長になったのは私が初めてとのこと。フジテレビ⇒市長というキャリアの人は世の中に他にはいない模様)
一般的なイメージとは別に、実際の仕事で感じた最も大きな違いの1つは、「時間の流れ」だった。
同じフジテレビでもデスクワークが中心の総務局の仕事は、逗子市役所と似たようなところもあった。
しかし、私が入社3年目からやっていたテレビ報道の時間軸と市役所のそれは、まるで異次元空間のものだった。
例えば、報道記者の時は午前10時の編集会議で、今日は経済担当記者として、株価の取材をするように指示が出るとする。最も速いときは、午前11時半からの昼のニュースで兜町の証券取引所から中継リポートを行う。
さらに、午後に踏み込んだ取材をして、夕方のニュースでは「株価はどこまで下がるのか」などの専門家のインタビューを交えた報道をする。世界的な株価下落だとすれば、夜23時からのニュースでも解説する。
一番時間に追われたときは、床で原稿を書いていたら、安藤優子キャスターから「長島さん!」と中継の呼びかけがあり、画面の下から慌てて顔を出してレポートをした、なんて一幕もあったものだ。
報道の仕事は、一時が万事、そんな感じ。指示を受け、その日に成果を出すという仕事だった。
一方の逗子市役所では、例えば市民から「公園のすべり台を新しいものに取り替えて欲しい」という陳情があったとする。それを、4月や5月に受けたとすると、市役所が予算案を作成し、翌年3月の予算議会で承認されて、実際に予算を使ってすべり台を取り替えるまでに少なくとも1年以上かかる。
担当が他の機関や組織にまたがると時間はさらに倍増する。
海岸のトイレを改築するのに、神奈川県と逗子市にまたがった事案は解決まで約4年を要した。また、JR逗子駅のエスカレーターの設置はJRさんと共同で行うため、8年以上の時間が費やされた。
オンエアー直前は分単位の仕事をしていたところから、年単位で仕事をする時間軸へ。
これには大変違和感があった。"
民間企業は利益を追求し行政は公共の福祉を追求する
"同じことをしても、「時間の流れ」が違うと、お客さんの満足度は格段に違う。
「道路に穴ぼこが開いていると市民から陳情を受け、3日以内に対応すれば褒められますが、半年経って直しても今度は逆に怒られるはずだ。
黒澤明監督の映画「生きる」ではありませんが、時間の遅さに加えて、市民がたらいまわしされたら目もあてられない。
こうした状況を改革するには、何が良いか。逗子市で私は以下の三つの手順ですすめた。
1、個別に各担当所管が仕事を受けるのではなく、「すぐやるコール」の直通番号で一括して受ける。
2、仕事の受注状況と、処理状況を市のホームページでチェックできる。特に、どこのセクションの誰が何日の何時何分に仕事を受けて、初期対応、最終処理をいつ行ったか一目瞭然にする。
3、「すぐやるコール 046-872-XXXX」と書いた大きなのステッカーを、ほとんどの公用車に掲示したり、市が毎日提供するラジオ番組で「すぐやるコールの逗子市がお伝えします」などと枕詞にしてPRする。
その結果、逗子市では市民から依頼を受けた陳情の半数以上を「即日で解決」するようになった。
もちろん市民からの評判は上々で、後になって知ったが、韓国・ソウル市でも進捗状況がホームページで一目瞭然という仕掛けを採用しているそうだ。
民間が「利益」を追求するなら、行政は「公共の福祉」を追及する。そして公共の福祉とは、分かりやすく言えば、人々のしあわせを追求することだ。
民間企業ももちろん、製品やサービスの提供を通じて、人のしあわせを作り出してはいくが、手段が違うし、行政サービスはより直接的だ。
市長を辞める直前、同期のアナウンサーと飲んだときに「そっちは生身の人間を相手にしているんだよなぁ」と、しみじみ言われたことが今も印象に残っている。
そういえば、市長を何年もしてから「こんなことも市長の仕事なのかぁ」と思ったのは、電話ボックスに捨てられた赤ちゃんの名前をつけ、届出したときのことだ。自らの身を包む「ペンギンとアシカの模様のこたつ敷き」以外何も持たないその子に、小さなぬいぐるみを買って保護された病院に行った。保育器の中には、何も知らずにすやすやと眠っている赤ちゃんがいた。
市長が、捨てられた赤ちゃんに名前をつけるときは苗字から考え、名付け親になる。
2年近く経った後、その子の消息を聞いたが、お母さんは見つからなかったものの、責任を持って預かってくれる人が見つかったと、報告を受けた。
次回は6月22日に「第2回 市民との合意に基づく市政の“友好的買収”」をお届けします。"