初稿執筆日:2015年5月22日
第二稿執筆日:2016年11月2日
日本の義務教育では、中学校や高校の公民の授業で、日本国憲法の前文を勉強させられる。たが、実は、難解な日本語で今ひとつ何を言いたいかがよく分からない。例えば、
(憲法前文第二パラグラフ)
「人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」
(憲法前文第三パラグラフ)
「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。」
何度読み返してみても非常に難解である。なぜ分かりにくいのかと考えると、それもそのはずで、日本国憲法は翻訳されたものであるからなのだ。
しかし、あたかも戦前の教育勅語のように勉強させられたそれらの文章は、日本人の意識の中に植えつけられ、「崇高な憲法を変えるなんてとんでもない」という潜在意識が刷り込まれてきてしまっているのではないか。
憲法とは何か。ヨーロッパで絶対王政から人権を勝ち取った市民革命を通じて成立してきた近代憲法観からすると、「人権を守るために国家権力を制限する」のが憲法であるという見方が支配的だ。
国家と個人を対立項で捉え、国家の制限規範として憲法を捉える考え方は、それはそれで正しい。しかし、現代における憲法は、国家と国民との約束を示すとともに、国家のグランドデザインを示し、国や社会の基本的価値観を描くものでなければならないのではないだろうか。
戦後70年経ち、新たに憲法を改正するにあたっては、この基本的考え方を憲法の冒頭で明らかにする必要があろう。
1. <前文(日本人が尊重する基本的価値)> 民主主義、自由主義、法の支配、基本的人権といった基本的価値の実現を明記せよ!
日本国憲法前文は「われらの安全と生存」の保持に言及しているが、それは「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」を前提にしている。
だが、この前提は成り立たない。核を保持し、ミサイルを撃ち込む北朝鮮や過激組織IS(いわゆる「イスラム国」)による残虐かつ卑劣なテロだけでなく、尖閣諸島周辺の日本領海侵犯を今も常態化させ、力による奪取の構えを見せる中国の行動などを見れば、自明であろう。
すなわち、日本人が尊重している民主主義、自由主義、法の支配、基本的人権といった基本的価値は、世界では未だ実現していないのだ。日本は、戦後70年間で培ってきた民主主義の歴史を活かし、そういった基本的価値の実現に向けて世界をリードしていく姿勢が必要ではないか。
したがって、憲法前文の冒頭で、以下のように、日本人が尊重する基本的価値について述べることが適切ではないか。
2. <前文(日本の伝統)> 日本人が大切にする日本の伝統、文化のエッセンスを明記せよ!
日本国憲法前文には、日本の歴史や伝統に関する記述は皆無だ。それは成立過程を考えれば「さもありなん」だ。憲法改正を行うにあたっては、やはり日本人が大切にしてきた歴史や伝統について前文で明記してはどうだろうか。各国の憲法をよく見れば、憲法前文だからといってシンプルにする必要はなく、堂々と自国の歴史や大切にする価値観について詳述してよいことが分かる。
このため、憲法前文の中段において、以下のように、日本の歴史や伝統のエッセンスに触れることを提案したい。
3. <前文(未来への責任)> 目指す国家像を明記せよ!
前文の最後では、日本が目指すべき国家像、目指す社会の姿について明らかにしたい。それは、「100の行動」でこれまで論じてきたような、資本主義・市場主義に則って、新陳代謝が行われるバイタリティ溢れる国家だ
さらに、国際社会に積極的に参画し、世界を取り巻く諸問題にも関わる国民。教育を強化することにより、世界を科学技術・文化面でリードする国家。世界から信頼を得て、世界の平和と繁栄に積極的に貢献する国家。そういった姿だ。
そういった我々が目指すべき国家像を日本と日本人の目標として憲法前文の後段で明確にすべきだ。
4. <第1条(元首)> 元首としての天皇の地位の明確化を!
現行憲法において、天皇は、日本国の象徴及び日本国民統合の象徴であると規定されている。現行の日本国憲法は、万世一系の天皇による日本国の統治を規定した大日本帝國憲法との対比から、「象徴」という概念を作り、元首に関する規定を除いたものと考えられる。
だが、「元首がいない」国は、世界の中でも珍しい。もちろん、憲法に明文規定はなくとも学説上天皇が日本の元首であるとする説もあるが、憲法改正においては真摯に考えるべき論点であろう。
海外に目を向けると、例えばドイツは、大統領に政治的実権を与えていないが、憲法で大統領を国際法上の連邦を代表する国家元首としている。隣国の中国では習近平国家主席、韓国は朴槿惠大統領が元首となっている。
また、欧州他、多くの君主国の憲法では、国王は元首であることが明記されている。例えばイギリスは慣習法の国で成文憲法は有さないが、判例法において国王が英国の元首であるとされるし、その他、スウェーデン・スぺイン・タイ・カンボジアなども憲法上に国王を元首とする規定を有している。
一方、日本は総理大臣が政治上のトップだが、元首ではない。天皇が元首であるかどうかも明確化されていない。民主主義が定着した時代において、憲法上、天皇を元首と規定しても、「全体主義時代に逆戻りだ!」といった議論は現実離れしていることは明らかだ。
憲法上、天皇を元首として明確化すれば、元首としての象徴君主である天皇、政治のトップとしての総理大臣と日本の顔が明確になり、外交的にも日本の立場が明確になるといえるのではないか。
5. <第7条(天皇の行為)> 天皇の行為の明確化を!
日本国憲法では、天皇の行為は限定列挙されている。天皇の行為は内閣の助言と承認に基づき(第3条)、憲法に定める国事行為のみを行い、国政に関する権能は有しないとされ(第4条)、国事行為が限定列挙されている(第7条)
このため、憲法で限定列挙される天皇の「国事行為」以外に天皇が行えるのは「私的行為」のみであり、それ以外は認められないといった考え方が一部にはある。例えば、共産党などは、国会の開会式で天皇がお言葉を述べることは違憲だとして開会式に出席していない。
しかし実際は、国会の開会式における「お言葉」以外にも、外国の元首との親書の交換、公式訪問、国賓の接遇、国体などの国民的行事への出席、さらには、東日本大震災の後の東北慰問など、天皇が国事行為以外に行っている「公的行為」は数多くある。そして、それらの公的行為はすべて日本の国益に適うものだ。
日本の歴史が始まって以来、連綿と途絶えることのなく存続してきた天皇制は、まさしく日本の誇るべき文化と伝統そのものであり、もっと肯定的に評価してよいと思っている。長い歴史の中で維持されてきた皇室は日本の強みである。
特に、外交関係においては、日本の歴史や伝統を体現する天皇の存在意義は極めて大きい。天皇陛下とお会いした際にオバマ大統領が思わずお辞儀をしたのは、天皇が体現する日本の歴史や伝統のパワーを表していると言えよう。
もちろん、天皇に政治的な権能を持たせるべきだというつもりはない。このため、天皇の行為を際限なく広げないためにも、憲法に規定する国事行為を再考し、「外国の元首や外交上の重要人物の接受」を国事行為に加えるとともに、天皇の公的行為についても憲法で明確化すべきだろう。
次の100の行動95では、平和安全に関して論じてみたい。