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平尾誠二氏―『人は誰もがリーダーである』

投稿日:2007/03/01更新日:2019/04/09

文化的背景がゲームの本質を決定づける

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なぜ日本人は野球では世界のトップに立てて、サッカーやラグビーでは困難なのか――。よく言われるのは技術や体格差などの問題ですが、『人は誰もがリーダーである』を拝読し、そのカギは、むしろゲーム自体の持つ特徴、あるいはそれを作り出した文化的背景にあると感じました。

平尾氏: 確かに、どんなゲームにも、それぞれ固有の特性があります。どんなゲームを戦うか、という本質を理解しなければ、真に強いチームは作れません。日本人は(監督に)指示を仰ぎ、実践する、例えば野球のようなゲームでは優れた能力を発揮しますが、他方、サッカーやラグビーのような“プレイ創出型”のゲームは、あまり得意ではありません。

サッカーやラグビーは、事前にどれほど戦略や作戦を立てても、そのとおりにゲームが進むことは、まずあり得ません。野球のように、決められた地点で攻守が入れ換わるわけではなく、ターンオーバーがいつ起きるとも分からないからです。つまり、一旦ゲームが始まれば監督の指示が及ばなくなる。また、情報化が進んでいますから、前回、奏功した作戦が今回も奏功するとは限りません。

従って、個々のプレイヤーが鋭い洞察力と瞬間的な判断力を発揮し、移り変わる状況に主体的に対応していかない限り、勝ち得ないのです。ただこれは、訓練によって構築できるものと私は信じており、「(協調性は高いが、主体性を発揮することは少ない)日本人には無理だ」と、諦めるのは早計です。

個々のゲームの特性と、それが生まれた国の国民性とは、密接に関わりがあるということでしょうか。ヨーロッパは“個”の主体性を重んじる印象があるのですが、似たようなスポーツでも例えば、「欧」と「米」では違いがありますか。

平尾氏: そうですね。アメリカのゲームは娯楽性が強いですから、とにかく点数がたくさん入ります。バスケットボールなどは、その典型ですね。他方、例えばラグビーやサッカーといったイギリスのゲームは、わざと得点が入りづらくしている。これはスポーツに教育効果を求める彼らの思想が反映されているものと私は思います。ラグビーでは例えば、パスは後方にしか出してはいけないのですが、そうした厳しい条件の下では、知力、体力やチームワークを結集しないことには得点はできない。つまり、皆が当事者意識をもって戦わざるを得ないゲームにすることで、強い個の育成につなげているわけです。

スポーツの世界にビジネスの論理が入ってくることで、ゲームの本質が変化にさらされる局面もあるのですね。

平尾氏: そのとおりです。観客を引き付け続けなければならない、娯楽性を高めなければならない、と、どんどんプレイする側より観る側の論理に寄っていく。例えば、勝敗をきっちりと付けるようになるのも、その一つの表れです。サッカーのPK戦でのサドンデスというのも、バレーボールのラリーポイント制の導入も、ゲームの終了時間を予測可能な範囲にしたいというテレビ側の事情によるところが大きい。

大体がボールも水を吸えば重くてうまく扱えない時代には、得点が容易にできないことから、ほとんどのゲームが引き分けだったのではないでしょうか。だからノーサイドの精神(試合後は敵も味方もないというラグビーの精神)が成立し得た。ゲームの特性がそうした精神を自然と引き出すようになっていたのです。それを、無理に白黒つけるようなルールにして、形だけノーサイドの精神とか言うのは、おかしいと、感じています。

かわいい子には失敗を与えよ、強い「個」は初等教育から

個が、組織全体の目標達成のために主体的に行動する組織作りの重要性というのは、スポーツの世界のみならず、企業、行政などでも言われ始めています。

平尾氏: そうですね。情報化、多様化が進んでいますから、あらゆる局面で柔軟かつスピーディーに動く組織が求められる。それはスポーツでもビジネスでも符号するところでしょう。

では、自ら考え、判断し、行動する個とは、どのようにすれば育成できるのでしょうか。日本人は武道にせよ何にせよ「型」を重んじる傾向が強く、これと主体性や柔軟性は、ある種の二律背反にあると思います。

平尾氏: 確かに「型」派が多いですよね。そして例えば、高度成長期には、それがプラスに働いたとも思います。年功序列のシステムで上司が戦略を立てて、部下はその指示に忠実に従うことで成果を挙げてきた。ただ、先に述べたとおり、高度な競争社会では、上司の指示を待っていては時々刻々と変化する状況に対応できない。決められた「型」どおりに動くだけでは不十分なのです。個性と協調性の両立が不可欠であると思います。

ここまで社会が変容している以上、“大人”に意識改革を迫るだけではなく、次代を担う子供達をどう育成するか。初等教育から考えていかなければいけないのかもしれませんね。平尾さんは、大人達は子供とどのように接すれば良いとお考えですか。

平尾氏: 傷つかないように、失敗しないように、と先回りして解答を与えないほうがいいですね。私達の時分と比べると、今の若者は凄く真面目な感じがする。無理や無茶をあまりやらないから傷つきはしないかもしれないけれど、ハチャメチャをやったなかから得られる楽しさや成長も手に入れられてないように見えるんです。

どこまでやったらケガをするか、そういうことを身体感覚で分かるようにさせるためにも、小さな失敗を親が恐れてはいけない。例えば、みんなでケーキを食べるときには、「どれがいいか?」と先に選ばせる。そうすると子供は、「イチゴのショートケーキは色がきれいだけれど、チョコレートケーキのほうが上に乗っている飾りが多い」など、持てる限りの情報のなかから意思決定をします。値段だとか材料だとか、親のほうが持っている情報は多いのだけれど、それを教えてやったり、(選んだものが気に入らなかったからといって)交換してやったりはしない。与えられたものを無条件に食べるのではなく、自分で判断して選ぶ、選ぶというのはリスクを伴うことなんだということを、常に体験させ続けなければ、判断力も情報収集力も醸成されないと私は考えています。

少子化で一人っ子が増えているからか、町で子供達が学年を超えて遊んでいるような姿はほとんど見なくなりました。最近の子供は喧嘩も下手なような気がします。互いの距離感の測り方が危なっかしいというか・・・。

平尾氏: そうですね。生まれたときから豊かだから、兄弟が一緒の部屋でオモチャやスペースの取り合いをしたりといったことがない。喧嘩しても仲直りのできない子供が多いですね。私が子供の頃は毎日、兄と喧嘩をして、でも夕食を食べる頃にはケロッとして肩を抱き合っていた。

先刻、建築家の安藤忠雄さんと話をする機会があったのですが、「近代建築が“プライバシー”を作ってきた」と言われるんです。つまり、旧来の日本家屋が長屋であったり縁側や障子であったり、外との関係性が残る仕切り方をするのに対し、西洋建築は、この関係性を完全に遮断する仕切り方をする。その功罪を社会学の視点から、きちんと議論していかなければいけない、と。

家が家族やコミュニティのあり方を決めるようなところはあるのでしょうね。私は、ゲーム機だとか最近のオモチャを見ると、大人が遊び方を決めているように見えて怖いことがあります。

平尾氏: 創造性というのは、決まっていないこととか、足りないものが多いほうが養われます。三角ベースってご存じですか。野球に似たゲームなんですが、私が小学生の頃は、「仲間が9人しか集まっていないけれど、試合をしようぜ」なんて話になると、まず5対4に分けて、「ただしキャッチャーは5人のチームから出そう」というように、自分達でルールを作って楽しんでいました。キャッチャーは敵味方なく、一所懸命ボールを捕りますし、アウト・セーフで揉めたりもしない。フェアプレイの精神というよりは、そんなことで時間を使うのはもったいないと皆が思っているからです(笑)小学校の低学年でも、そのぐらいのことはできる。

「選択肢を減らすことが効率性を高める」という考え方もあるでしょうが、選択肢を幅広く持つことで可能性が広がるという逆の側面を、私達は忘れてはいけないと思います。

積み木型の組織構築でチームの力を拡大せよ

そうですね。それが個性を育む土壌にもなるのでしょうし・・・。では、異なる“個”をチームとしてどうまとめるか。平尾さんは、“積み木”型の組織づくりを提唱していらっしゃいます。

平尾氏: ええ。“パズル”のように個々の凸凹を削って無理やりチームという型にはめれば、絶対的な力の総量は減る。ならば、まずは多少の出っ張りは気にせず積み上げ、個々が得意な領域で最大のパフォーマンスを発揮することで全体の力が増すような、そんな新しいチームづくりに挑戦してきました。

個々の凸凹を尊重するということは、マネジメントの手法も従来のような「右向け右」というわけにはいきませんね。それぞれの特性を踏まえてのコーチングが必要になるのではないかと思うのですが、選手のモチベーションは、どのように維持・向上させているのですか。

平尾氏: これは重要なポイントです。例えば、「チームを日本一にする」「初の連覇を達成する」といった目標は皆で共有できます。しかし連覇が続くと、飽きてくるんですよね(笑)。

「飽きる」というのは決して悪い意味ではなく、常に上を求め続けるという才能を、人は持っている。これはスポーツに関わらず、ビジネスの世界でも同じことです。例えばトヨタの凄いところはトップを走りながら、それでもどんどん「次」を設定して、それを達成し続けているところだと思うのですが、勝つだけでは飽き足らなくなったとき、どのような目標設定ができるか。個々の選手の自己実現に、どんなアドバイスができるか。この、目標設定力もリーダーの重要な要件の一つと思います。

理想的な目標とは、どのようなものであるべきでしょう。

平尾氏: 「必死でやってギリギリ手が届くぐらい」の難易度が良いでしょうね。いきなり、絶対に達成できないような目標を言われると、しらけますから。そして、具体的であること。チーム全体の目標は、個々がそれぞれの目標を達成し、全員が持てる能力を同時に最大限に発揮したとき、かなうようなものであるのが理想的だと思います。

個々のモチベーションを高める考え方として、『人は誰もがリーダーである』では「内発的モチベーション」「外圧的モチベーション」というキーワードを使っていらしたのが印象的でした。

平尾氏: 自分自身の選手生活を振り返っても、「ラグビーが好き」「楽しい」という内なる気持ちに突き動かされてきたから頑張れたし、他責にせず課題に立ち向かい続けられたと思うんです。「先生に叱られるから」「他人に見られて恥ずかしくないようにしよう」といった外圧に動かされたモチベーションは長続きはしない。「負けてはいけない」「勝たなくてはいけない」という気持ちより、「勝ちたい」という気持ちが勝っているべきなのです。

従って選手に対しても、「どうしたらラグビーをもっと好きになってもらえるか」という視点で接しています。例えばスピードに欠ける選手を、カラダの大きさを活かせるような使い方をしたら相手チームを圧倒できた。そうすると、面白くなる。弱みも徐々に強みに転化されてくる。そのうえで、規律と自由のバランスを目指していきます。

ああしなさい、こうしなさいと、上から命令したり、「説得」したりするのではなく、個々の選手が何によって動くかを「洞察」するわけですね。

平尾氏: ですから、監督と選手の関係は、1対10ではなく、1対1が10あるという考え方をするようにしています。自分が話しているときも、実は相手が何に興味を示すかを“聞いている”。五感をすべて使って傾聴しているのです。

このあたりは、『人は誰もがリーダーである』にさらに詳しく書いていらっしゃるので、是非、多くの方にお読みいただければと思っています。本日は本当にありがとうございました。(聞き手は、加藤小也香)

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