高校時代から陸上競技に本格的に取り組む。走り幅跳び選手として高校3年時にインターハイ優勝。大学3年生の国体100mで10秒19の日本記録樹立。その加速力から「和製カール・ルイス」と呼ばれた。大阪ガス株式会社に入社、ドイツへ陸上留学し、ヨーロッパ競技会を転戦。アトランタオリンピック(1996)初出場し、100mで準決勝に28年ぶりに進出。その後練習拠点をアメリカ、日本へ移す。オリンピックには4回連続出場。世界陸上には6回出場。100mの日本記録を3度更新。自己記録は10秒02の日本歴代2位。2008年には4度目となる北京オリンピックに出場し、4×100mリレーでは、悲願の銅メダル獲得。同年9月競技生活引退。2010年4月に、スポーツを通した子供達の健全な成長と次世代を担うトップアスリートの育成を目的として陸上競技クラブ「NOBYTRACK & FIELD CLUB」を設立。これは大阪ガスグループの地域貢献活動の一環でもあり、引退後も自身のキャリアを社会に生かそうとチャレンジを続けている。妻は、元シンクロナイズドスイミング選手でバルセロナオリンピック銅メダリストの奥野史子氏。一男一女の父親。