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私たちがアベグレン氏からもらったもの -ピーター・カービー氏

投稿日:2007/06/18更新日:2019/04/09

2007年5月に他界された、ジェームス・C・アベグレン氏の足跡を、近しく接せられた方々から寄せられた追悼文で振り返ります。2番目にご登場いただくのは、ピーター・カービー氏。カービー氏は、アベグレン氏がBCGを辞めた後に設立された、AAS(アジア・アドバイザリー・サービス)に正社員採用第1号として入社されました。

I'll never forget the day I first met Jim Abegglen in the spring of 1986. I went to an office near Hanzomon for a job interview with a small foreign-affiliated consulting firm about which I knew little else, having sent in my resume in response to an anonymous Japan Times recruiting advertisement. When I entered Jim’s office, I immediately recognized the author of the recently-drafted Kaisha: The Japanese Corporation, and was pleased to meet this man I'd often read about in the business press. But at the same time I became nervous, fearing I was too young and inexperienced to work for such an esteemed consultant. I left not expecting to receive an offer, but truly excited to have been interviewed by him.

Fortunately, I was wrong about the offer. Jim hired me as the first full-time consultant in his new company, Asia Advisory Service (AAS). He had recently retired from Boston Consulting Group (BCG) and was still recovering from an illness requiring hospitalization, but Jim was not slowing down. After he left BCG many former clients continued to reach out to him for help or to refer others to him, so in addition to writing and teaching he decided to continue consulting. At first he worked from home employing ex-BCG independents and his graduate students on a project basis, but by early 1986 Jim decided to open an office with full-time staff. He then continued to grow AAS’s consulting business for about five years before joining forces with Gemini Consulting.

Jim’s decision to form AAS was the start of my consulting career, and of a mentor-mentee relationship and a broader family friendship of more than 20 years. I soon learned that hiring me despite my relative inexperience was typical of Jim. If he had confidence in people he did not hesitate to put them in roles that would stretch their capabilities. At first I was surprised to be asked to present at or organize meetings with client executives, but I soon grew into the role. Likewise when Jim had to travel overseas I suddenly found myself substitute-teaching his Sophia University course of graduate students my age and older, and I quickly learned to engage the class with lessons from our client projects.

Jim was a tough but understanding teacher who invested some of his time to train young AAS consultants. I remember a series of Saturday morning study sessions in the Hanzomon office or at his weekend home in Kanaya, when Jim taught the basics of accounting and how to read a company’s financial statements. He used real examples of competitors’ relative performance over time to illustrate the fundamental differences between American and Japanese corporate financial models. In this way he developed many young consultants and grew a stable business, providing his clients ongoing advisory services and project support.

Jim and I worked together after he sold the AAS consulting business to Gemini in 1991, but it wasn’t the same. His style was more suited to operating independently than being part of a large corporate entity. Jim always sought the right and intellectually honest answer to a client’s business problem, regardless of organizational politics. He preferred straight answers to “consulting-speak”, frankly giving clients his opinion and “firing” them or turning down work if he didn’t consider a project or relationship worth his time or the client’s investment. After a few years he left Gemini to teach and write while doing some independent consulting, once again setting up his own office at age 70.

I worked with Jim for just a portion of the last 20 years when he was already in his 60s and 70s, yet his impact on my career and life were substantial. I can only imagine how many others’ lives he touched professionally as consultant, manager, teacher or author. And I hope that as a manager and mentor I will make as much of an impact on just a few of my team members as Jim did on me and so many others.

編集部翻訳文

ジム・アベグレンに初めて会った1986年の春の日を、私は決して忘れることはないでしょう。その日私は採用面接のため、東京・半蔵門に居を構える小さなコンサルティング会社を訪ねました。ジャパンタイムズの採用広告から見つけたその会社のことを、私はまだよくは知りませんでした。

オフィスに入ってすぐに、私はそこが彼の会社であることを知りました。最近、「カイシャ-次代を創るダイナミズム」を著したばかりの彼、ビジネス誌などで幾度も目にしてきた彼と、直接に対面できたことは私にとって大きな喜びでした。

しかし同時に、まだ若く、経験も浅かった私は、ジムのように高く評価されているコンサルタントの面接を受けることに、幾ばくかの不安と緊張を感じました。

私は、合格通知を受け取ることができるとは期待せぬまま、彼のオフィスを後にしました。彼の面接を受けられたというだけで充分すぎるほどの興奮を感じていたのです。

幸運にも、「きっと不合格だろう」という私の予想は外れていました。ジムは私を彼の新会社、アジア・アドバイザリー・サービス(以下、AAS)初のフルタイムのコンサルタントとして採用してくれたのです。

当時、ジムはボストンコンサルティンググループ(以下、BCG)を辞したばかりで、入院の必要な病気から、回復しきっていない状態でした。

しかし、ジムが減速することはありませんでした。BCG時代の顧客は彼を頼り続け、また、新たな顧客を送り込み続けていたからです。そのためジムは、執筆や教育の活動に加え、コンサルティング業を継続することを決めました。

当初、ジムはBCGから独立したコンサルタントや大学院の彼の教え子などをプロジェクト毎に起用する形態を取っていました。しかし1986年の初めにはフルタイムで働くスタッフを採用し、オフィスを開設することを決めたのです。その後、5年間、ジェミニ・コンサルティングに事業売却を決めるまで、彼はAASを拡大し続けました。

AAS設立は即ち、私自身のコンサルタントとしてのキャリアの始まりでもありました。そしてまた、ジムと私はメンターとメンティーという関係を超え、家族ぐるみの付き合いを20年以上にわたり続けることとなりました。

AASに入社後すぐに私はジムが未経験者の私を採用したのが、極めて彼らしいやり方であったことに気づきました。

ジムは一旦、その人に素質あり、と見ると、その素質を伸ばすための大きな役割を臆することなく与えるタイプでした。

クライアント企業の経営陣に対してプレゼンテーションを行ったり、彼らと会議をする役割を与えられ、私は最初こそは戸惑いましたが、しかし、すぐにその役割に見合った働きができるようになりました。また同じようにして、ジムが海外出張で不在の際には上智大学での彼の授業の代講を任されることもありました。自分と同年代やそれ以上の学生に対して授業をしろ、というのです。しかしこれも、クライアント企業の事例を織り込み、授業を構成するやり方をすぐに体得することができました。

AASの若いコンサルタントにとってジムは、常に厳しさと深い理解力を兼ね備えた良き師でした。そして、惜しむことなく若手の育成に時間を割きました。

私が忘れられないのは、ジムが土曜の朝に半蔵門のオフィスや、千葉・金谷にある自分の別荘で開催していた経営学の勉強会です。彼はそこで、会計学の基礎や財務諸表の読み方を教えていました。

競合し合う企業の実際の業績などを例に取りながら、彼は米国と日本の企業経営の根本的な違いを描き出して見せました。そうすることによって、彼は多くの若いコンサルタントを育成し、ひいては、クライアントに継続的なサービスを提供する安定したビジネスの基盤を構築したのです。

ジムと私は、彼が1991年にAASのコンサルティング事業をジェミニ・コンサルティングに売却した後も共に働き続けました。しかし、それは以前と同じようにはいきませんでした。彼のやり方は、大会社の一部として在るより、独立の機能として在るほうが適していたのです。

ジムはクライアント企業の悩みに対して、常に的確で誠実な答えを求めました。そして、組織内の政治的な思惑などには無頓着でした。

彼は、顧客の役に立たない“コンサル的な語り”を嫌い、率直に自分の意見を述べました。プロジェクトや顧客との関係が、自分自身が時間を割き、また顧客がお金を支払うに値しないものと判断すると、迷うことなくその仕事を断る人だったからです。

ジムは僅か数年でジェミニ・コンサルティングを離れ、執筆や教育、そして独立したコンサルタントとしての仕事を続けました。そして70歳にして、再び自身でオフィスを開設することになるのです。

私がジムと仕事を共にした6年間は、彼の人生の後半のほんの一時期であったかもしれません。それでもなお、ジムが私のキャリアと人生に及ぼした影響は計り知れないほど大きなものでした。そう考えると、彼が、コンサルタントとして、上司として、教授として、或いはまた、執筆者として、影響を与えた人の数というのは、一体どれほどに上るものかと圧倒されます。そして今はただ、ジムが私自身、そして数え切れないほど多くの人々にもたらしてくれたものと同等のものを、私自身も自分の周囲の一握りの人々に対して与えることができればと願っています。

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