初稿執筆日:2011年8月15日
第二稿執筆日:2015年2月13日
人類は、数百年かけて本、新聞、雑誌、ラジオ、テレビへと情報量を増やし、リアルタイム性を高め、「マスメディア」を育て上げてきた。そして今、そのマスメディアは、新たなインターネット、更にはフェイスブックやツイッター等のソーシャルメディア(ここでは敢えて2つを分けて記載する)の台頭により、急激な環境変化にみまわれている。
インターネットやソーシャルメディアは、経済性・双方向性・伝播力などの面で、爆発的なイノベーションをもたらしている。ソーシャルメディアなどの進化に伴い、マスメディアを経なくても数多くの人々から情報を入手でき、さらに無数の人々に発信できるようになってきた。
またテレビを介さなくてもニコニコ動画、USTREAM、ツイキャスやV-CUBEなどの手法で、リアルタイムで数多くのユーザーに、動画が伝わるようになってきた。2011年8月に行った孫正義氏との「トコトン議論」も多くの人々が、ネット配信により議論の行く末を3時間25分間、中断なしで見ることができた。しかもアーカイブとして保存して、自由な時間にインターネットで見ることができるのだ。グロービスでも、2014年12月末より「知見録」というアプリとウェブでさまざまな動画コンテンツを配信し、好評を得ている。
これらの動きは、携帯型のスマートフォンやタブレット等の機種の出現により飛躍的に加速されつつある。
その結果、マスメディアの主要な収入源である購読者や広告出稿が、低下傾向となっている。マスメディアの経営、さらには存在意義という根本の部分が今問われているのである。しかしながら、マスメディア業界は依然として旧来制度・体制が続いており、自己改革が遅々として進展していない。
この環境変化は、マスメディアが大きく自己革新する絶好の機会といえよう。今後は、新たな媒体とオープンな競争を繰り広げることにより、マスメディアが進化することを期待すると共に、そのプロセスを通してさらに高度なジャーナリズムが生まれることを切に願う。
注:ここでは、新聞、雑誌、ラジオ、テレビなどの旧来型のメディアを「マスメディア」と呼び、インターネット、ソーシャルメディアを「新興メディア」、そして全体を「メディア」として表現するものとする。
1.マスメディアとしての責任・自覚を持ち、公正な報道を貫け!
『間違いを犯すことは1つの問題であるが、それを認めないのはもっと大きな問題である』(スティーブン・リチャーズ・コヴィー氏)
朝日新聞が慰安婦問題の誤報を認めた。32年もかかり、遅きに失した感はあるが、評価をしたい。ただ、日韓関係を悪化させ、海外での日本のイメージを貶めた罪は重い。強制連行など、そもそもなかったのだ。そうなると、全米で作られている慰安婦像は、何なのだろうか。国連で議論されている人権問題は、何を根拠にしているのだろうか。なぜに日韓関係がここまでこじれる必要があったのだろうか。世耕弘成官房副長官は、NewsPicksで次の通りコメントしている。
朝日新聞は吉田証言を参照して決議や報告を行った国際機関等(国連人権委員会や米下院)に対して、きちんと説明を行うべきだと思います』
これからが朝日新聞社の使命だ。その誤報(「捏造」?)の結果、悪化した日韓関係や国際的な誤解を解くために、積極的に間違いを訂正し、世界に発信して欲しい。
一方、テレビ朝日「報道ステーション」が川内原発を巡る誤報道を通じ、世論を意図的に誘導しようとしたことが放送倫理違反であると、BPOが指摘したことは記憶に新しい。同番組はISILによる人質事件報道についても外務省が報道内容の訂正を求めて抗議するなどの事態が起こっている。
さまざまな議論や意見を示すこと、政府の姿勢を監視し伝えることはメディアの役割として重要なことではある。しかしながら、視聴率を稼ぎたいからとセンセーショナリズムに進んだり、世論に迎合してポピュリズムに走ったり、偏向した論客ばかりを揃えたりすることを、見過ごすべきではない。
新聞はある程度、主張が偏っていても良いと思う。だが、「公共の電波」を扱うテレビの場合は別である。テレビの持つ影響力は絶大である。その公共の電波を扱う「責任」と「自覚」を持ち、事実に基づいた「公正」な姿勢を貫くことが何よりも重要である。
2.ジャーナリズムを発揮せよ~批判のみならず提言・政策を!
「ジャーナリズムとは何ですか?」と田原総一朗さんとの対談で、質問した。田原さんは「ジャーナリズムの役割は、権力を批判することだ」と言っていた。そして、「批判ばっかりしていたら毎年首相が交代してしまった。もっと政治家はタフだと思っていた」と続けられた。僕が「批判だけではなくて、提言あるいは良いことに賛同してはどうでしょうか?」と問うと、「批判は楽だが、提言・提案はしんどいのだ」という本音の答えが、ある新聞社の主筆の言葉として紹介された。
不祥事・事件・事故などの社会問題に対して批判的に報道することは当然のことではある。だが、社会的に意義があることについては賛同したり、あるいはどうあるべきかを広く社会に提言したりする姿勢が重要だと思う。常に批判ばかりだと、建設的な議論が行われずに、矢面に立つリーダーが消耗されていってしまう。勇気ある挑戦者を応援する姿勢が、もっとあっても良いと思う。
また、政治報道は「政局」より「政策」を期待したい。某三大紙の政治部編集委員との会合が経済団体の会合であると聞いたので、とても楽しみに参加してきた。ところが、45分間「政局」の話ばかりで、「政策」の話は一切ないのだ。これには、正直ガッカリした。僕は、手を上げて思わず質問した。「日本の政治報道は、政局ばかりで政策はないという批判がありますが、その指摘にどう反論しますか?」と。残念ながら納得のいく回答は得られなかった。
政治報道では、政局解説よりも、政策的な課題に十分に焦点を当てて欲しい。国民に正しい判断基準を提供するためには、政策論議が不可欠である。その政策論議において、テレビは公共の電波を使うので難しいが、各新聞紙は、ある程度明確なポジションを取っても良いと思う。原発への対応は、新聞社各紙に特徴が出たので、それはそれで良いと思う。但し、明確な事実に基づく報道であることを切に願いたい。
3.ジャーナリスト教育を強化せよ!
「日本の記者は、スクープ主義だ。夜討ち朝駆けで情報を取ることに専念するが、欧米の記者は、それらはロイターやAP通信などの通信社に任せ、記者は情報を得た後に、有識者に当たりながら、どう世の中が変わるかを考え、執筆することに専念する」と聞いたことがある。僕は、ファイナンシャル・タイムズや英国エコノミスト誌を講読している。鋭い視点にいつも感服する。日本の記者にも優秀な人が数多くいる。是非とも良い教育を受け、たくさんの人と出会い、世界的な経験を積む機会を与えて欲しい。そして、唸るような記事が多く出ることを期待したいものだ。
日本のマスメディアの記者ほど、学ぶ機会が現場のみに限定されている、つまり、これほど教育費がかけられていない職種はないのではと思うことがある。欧米の記者は、ジャーナリズムの学校を出ていたり、MBAや公共政策大学院に通学したりする人も多い。ハーバード・ビジネス・スクールのクラスメイトにもジャーナリストがいた。
また、日本の場合には、記者が会合に参加する費用や出張費がなかなか出にくい環境だと聞いた。経費削減のために仕方がないのだろうが、読者が期待しているのは、質が高い視点や知恵、そして専門的なことをわかりやすく伝える知識と技術だ。それは、教育と多種多様な人との交流を通して高められるものであろう。当然優秀な記者はいる。僕の友人でG1に参加する優秀な記者も多い。だが、社会全体として「ジャーナリストを育てる」観点での仕組みができているかは、疑問が残る。
ダボス会議等に参加して思うのだが、欧米のジャーナリストは、積極的にモデレーターやパネラーとして登壇する。だが、日本のジャーナリストで登壇できるのは、ごく稀である。僕の知る限り、朝日新聞の前主筆の船橋洋一氏とNHKの国谷裕子氏のみである。これでは、「日本は海外でのプレゼンスが低い」と嘆くあるいは批判する資格は、マスメディアには無いであろう。
鋭い視点を持つ優れたジャーナリストが発信する、様々な情報や違った価値観や考えに触れながら、国民一人ひとが自分の頭で考えて判断する力を身につけていくことが大事だ。
4.海外発信の役割を積極的に担え!
今やメディアが国際化する時代だ。CNN、CNBC、アルジャジーラ、BBC、CCTVなど、米国、中東、欧州そして中国のメディアが、世界に向けて英語でニュースを配信している。新聞も、ニューヨーク・タイムズ、ウォール・ストリート・ジャーナルやファイナンシャル・タイムズなどは、国際紙としての位置付けを持ちグローバルな報道体制を敷いている。さらに雑誌ではフォーチュン、フォーブス、ブルームバーグなどがある。日本のメディアにも世界で頑張って欲しいものだ。
日経新聞が、Nikkei Asian Reviewを開始し、2014年のダボス会議でもアジアの要人を招待してお披露目をした。さらに、NHKもNHKワールドを通して国際化に挑んでいる。
日本のメディアによる世界への発信が可能になれば、日本のことを海外にアピールする機会が増えることになる。今後は、テレビ番組の輸出や、情報の多言語での発信など、メディアが取り組むべきことは少なくない。政府も海外発信の予算を増額し、積極的な取り組みを進めている。メディアには、これまでのコンテンツの蓄積をもとに、世界中に配信することへの意識向上を期待したい。
5.徹底的な規制緩和を行い、ネットを活用しオープンに競争ができる環境を!
近い将来、「放送と通信の融合」が否応なく進んでいくことになろう。テレビがインターネット配信を躊躇している間に、恐らくテレビに代わるネット上の新たな媒体が更に台頭し、テレビを凌駕することになろう。
夏野剛氏によると2010年は、インターネットメディアが認知された元年だという。小沢一郎氏がニコニコ動画を使ってインターネットで配信した。更に、尖閣諸島の衝突動画もYouTubeに投稿され、それを既存マスメディアが追随報道した。既にネット媒体は、大きな存在感を発揮しているのだ。
また、NewsPicksやSmartNewsなどSNSと連動した新たなキュレーション型、アルゴリズム型のメディアが、存在感を増していくことだろう。インターネット、ソーシャルメディアなどの新興メディアは、始まったばかりだ。これからさらに進化を遂げ、メディアそのものの定義を変えていくことになるであろう。既存メディアはこれらの変化に対応しなければならない。
テレビ広告のあり方も変化する。今テレビをつけると、お笑いタレントを主体とするバラエティが目につく。テレビが既存の枠組みのままだと、有識者によるテレビ離れはさらに加速され、広告費が削減され、最終的には低俗な番組のみが残るという悪循環に陥ることになろう。メディアには、教育効果があるのだ。劣悪な番組のみ報道すると、国民の知的レベルも劣化する。これは、是非とも避けなければならない。
僕の予想では、ここ数年で全てのコンテンツがインターネット上に集約されていくと思われる。ネット上で本・新聞・雑誌・ラジオ・テレビが、テキスト、音声と動画として融合され、メール、SNS、ツイッター等の「飛び道具」を駆使しながら、コンテンツの質と伝達力で競い、視聴者を奪い、その結果、広告費を得る競争が深まるのではないかと思う。当然、旧来型のマスメディアも革新が要求される。まさに、世論形成の主戦場は完全にインターネットに移行することになるであろう。
僕は、インターネットやソーシャルメディアを「直接メディア」、既存マスメディアを「間接メディア」と呼んでいる。違いは、編集者の意図が入るか否かだ。トコトン議論では、動画は3時間半ノーカットで流れ、テキストも9万字そのまま掲載された。様々な専門家や市民がコメントし、国民が善し悪しを判断した。
マスメディアが関与すると偏った編集意図が入るし、解説により歪められる。ネットの良さは、多種多様な意見を誰でも自由に表明でき、取捨選択しながら自らが判断できる点だ。一方、当事者も自分の見解を直接、視聴者に説明できる。「直接メディア」の方が、一部の人間により歪められる「間接メディア」の世界より健全な気がする。
既存マスメディアは、是非インターネットやソーシャルメディアの「直接メディア」に積極的に取り組み、新たなモデル構築を開発することに期待したい。一方では、新興メディアには、既存マスメディアにできないモデルをどんどん世に出して欲しい。
質の高い情報をリアルタイムに届け、目が覚めるような知見や視点、解説を双方向にふんだんに得られることになれば、国民皆が恩恵を受ける。新たなメディアを使いながら、進化して欲しい。オールドメディアには、進化を止める抵抗勢力に決してなって欲しくない。積極的なイノベーションと進化、それがマスメディアに望むことである。
そのためにも、各マスメディアにおける特殊性・重要性を十分に勘案しながら、これまでタブー視されていた、「再販制度(再販売価格維持制度)」、「放送法・電波法改正(免許・電波の開放など)」、「マスメディア集中排除原則(クロスオーナーシップ規制など)の見直し」などの、既存勢力を守り新規参入を拒む規制・法律は、積極的に撤廃することを願いたい。また、最近では改善の傾向にはあるが、まだまだ閉鎖的な記者クラブ制度を、多種多様なメディアに公開することにより、メディア間の健全な競争促進を促すことを期待する。
さて、「メディアに望むこと」として5つ提言してきた。G1サミットでも「マスメディアへの批判」をよく聞く。しかし批判だけでは何も変わらないのだ。そこでG1サミットに参加しているメディアのメンバーが議論して、「G1メディアアワード」を創設することにした。狙いは、批判ではなく、褒めることである。(1)新しいメディアを提案し創造した取り組み、(2)世界に向けて日本を発信した取り組み、などの称賛を通じて、マスメディアが健全に発展し、これからのよりよい日本をつくるために果たされる役割に期待している。
メディアには、大いに期待したい。