小説家 真山仁氏 「お金は人を幸せにするのか?〜強欲は善か悪か〜」 講演(3/5) 

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真山:もう一つが原発だ。原発輸出をテーマにした『コラプティオ』(文春文庫)という小説を2011年に発表した(2014年1月文庫化)。

我々はもっと真剣に原発のことを考えなければいけない。福島で事故が起き、放射能の問題も未だ終息せず、私には理解出来ないが都知事選でも原発が争点になってた。ただ、原発に反対する方のなかで原発の仕組みを知っている方、あるいは何故あのような事故になったかを分かっている方はどれだけいるだろう。実は私も原発には反対し続けていたし、正直に言えば今でもなくなって欲しいと思っている。ただ、今のように電力を消費し、火力発電に頼り切った状況では、日本の赤字は膨らむばかりで立ち行かなくなる。本当に原発をすべて廃止するなら、たとえば本会場の蛍光灯を8割は消さなくてはならない。そういう生活が出来なくなってきてしまっている現代で、「原発は危ないから止めましょう」と言ってよいのか。「文明をなんだと思っているのか」という問いが何故出てこないのかと思う。

再稼働する際に「こうなったら止める」ルールをつくるべき

真山:再稼動に関しては、私としてはまず最低限、「こうなったら止めます」、ひいては「こういう原発を止めます」というルールをつくるべきだと思う。そのうえで、「この原発は再稼動します」という話にするのがスジではないか。しかし、そういう議論をする人はいない。原発の話になった途端、「右か左か」という議論になってしまう。そうでなく、たとえば都知事選で「原発をゼロにします」と言うのなら、まず東京都民に、「東京都は電気をこれまでの半分しか使わず、電気代は倍にします。そうやって皆で原発を止めましょう」といった提案をするべきだ。今はそれをすっ飛ばしている。だからこそ、これほど電気に対して多くの方が興味を持った今でも、自分たちが使っている電気がどこで発電されたかも気にしていない訳だ。

私も中国での原発建設と事故を描いた『ベイジン』(幻冬舎文庫)や地熱発電を取りあげた『マグマ』(角川文庫)を書くまで、原発や電気のことはよく知らなかった。原発の取材で、「ちなみにこの電気は何原発(から来ているの)ですか?」と聞いて笑われたこともある。原発で発電した電気は黄色で火力発電は赤と色がついているわけはなく、どの方法でも発電されても同じように集められ、必要なところに電力を回している。ヨーロッパで「我々は電力を選びます。原発を使っていません」といった国も出てきているが、「では原発の電線と火力発電の電線は違うんですか?」という質問をすべきだ。実際にはそうした国でも、発電の種類ごとに電線を変えているわけではなく電気代を消費者が選択できるシステムにしている。つまり、再生可能エネルギーは発電コストがかかるので高いお金を払うと原発を使っていないことになるという理屈だ。

今の日本にはこのように、色々な歪みがある。私は様々な分野の専門家にお話を伺いながら、「恐らくここが問題だな」、「ここに関しては知らないことが多いな」といったことを考え、小説を書く糧にしている。もちろん小説は面白いことが大事だが、私としては小説を通してそうした社会の問題にも興味を持って欲しいと思っている。

3.11以降の日本は空回りしている気がしてならない

真山:しかし、世の中で今行われている議論はすごく不毛だ。我々に必要なのは、未来がどのように開かれていくか、あるいは子供や孫にどのような社会を残すかという議論だ。批判のための批判や後ろ向きの議論ばかりがなされている現在の状況を見ていると、3.11以降の日本は空回りをしている気がしてならない。だからこそ、アベノミクスによる株価上昇も、我慢出来ない日本人が期待値として市場を元気にしているという話なのだと思う。どんな産業で日本が元気になるのか、どの領域で頑張れば皆の生活が豊かになるのかという問いかけが、もっと必要だ。

では最後に、私の志と信念は何かというお話もしておきたい。志というのは難しいけれども良い言葉だ。恐らくそれは、「自分は何故生きているのか」という問いかけでもあり、困ったときに振り返るものだと思う。私が小説家であり続けている理由は、少しでも未来のために何かを残し、尽くすことが出来たらいいなと考えているから。敢えて志として表現するとしたら、少しでも良いから未来が楽しみになる社会を、小説として提案するためにベストを尽くすということだと思う。

また、信念ということで申しあげると、私は一人でも社会を変えることが出来ると考えている。「誰かがするだろう」、「皆がやらないから変わらないだろう」と言う人もいる。しかし社会は、誰か一人が最初の第一歩を踏み出すことでしか変わらない。たとえば「原発を止めたいから電気を使うのを少しでも減らそう」と行動することでもいい。今は言葉ばかりが先に進んでしまって、行動がついてきていない状態だと思う。その意味で、「私が変える」という信念を持つことが大事になると感じている。

ここに来ることを目的にせず、ステップにしてほしい

真山:MBAを学んでいる、あるいは社会の第一線で活躍している皆さんに申しあげたいのは、そうした自覚があれば未来は変えられるということだ。「誰かが変えるだろう」ではなく、皆さん自身が変えようとしない限り、これほど硬直した国は変わらない。「リーダーになりたい」という思いを持っているからこそ、貴重な時間とお金を使ってここにいらしているのだと思う。そうであればリーダーとしてリスクを取って、「何か変えよう」、「自分で前に進もう」という気持ちがなければ現在の努力も報われない。だからこそ、ここに来ることが目的になるような自己満足で終わらず、ここに来たことをステップにすること。そして自分と同じ価値観を持った人と学んだことで、自分たちは社会に何を還元出来るのかと考えていくことが、きっとこれからの時代には重要になるのだと思う。私自身はそれを小説で発信しようと思っている。果たして今日のお話が皆さんにとってどれほどプラスになるかは分からないが、ぜひ、それぞれの志を遂げていただけたらと思う。(会場拍手)。

田久保善彦氏(以下、敬称略):今日はまず、「あり得ないと思いたい日本人」といったお話があった。現実を直視せず、見えているものを放置して先送りにしてしまうような、日本人の悪い点でもあると思う。また、チャレンジするアメリカ人を強欲と表現し、遠ざけてしまっている面もある。「俺たちは俺たちの美徳がある」と言って、見たくないものに蓋をしてしまっている感じだ。「日本のリーダー、特にビジネスリーダーにはそうした意味でグリードが欠けているのでは?」ということも小説のメッセージだと感じる。

真山:40代以下のリーダーに足りないものはあまりないと思う。大切なのは年寄りが退くこと。日本も年功序列ではなくなってきたが、人口的にも今は60代以上の方が非常に多く、しかも皆お元気だ。電車でも小学生とその世代が一番喧しい(会場笑)。元気があるのはいいが、これまでそうした世代が色々とチャンスを得ることが出来ていたのは、恐らく、さらに上の世代がほどほどのところで道を開けてきたからだ。特に今は人口が多いぶん、60代以上の方々が譲ってくださらないと下の世代が上がれない。今はたとえばIT系であれば20代で社長をやるような方もいるが、若い世代がチャンスを得ることが出来るか否かという意味では、日本社会全体では難しくなっていると思う。アメリカはその辺の新陳代謝が活発だ。年齢に関係なく前に進めない人は自然に敗退していくような仕組みが出来ている。しかし日本の場合は儒教的なベースもあり、「年上を敬いましょう」という状態になっている。

田久保:道を開けていただくため、20〜40代自身が何か出来ることはあるだろうか。

実績がある人ほど謙虚

真山:あまり敵対せず、「ちょっとチャンスをいただけませんか?」という風に接したら良いと思う。日本人はその辺のコミュニケーションがあまり上手くない。「こっちは優秀なんだからそっちが退くのは当然」と若い世代が言えば、絶対にどかなくなる。優秀なら謙虚に、下手に出て道を開けて貰う努力をすれば良い。取材をしていても感じるが、大変な実績を持っている人ほど謙虚だ。本当にやりたいことがあって、かつ実績もあるという若い人が次にやることは、上の世代に気持ち良く退いて貰うということだと思う。

田久保:アメリカ人にとっての「グリード」とはモチベーションやチャレンジ精神なのだというお話もあった。もしかすると、そうした精神を失った人が自動的に追い越されるような仕組みがアメリカにはインストールされているのかもしれない。

真山:昔の日本では隠居の立場というのが大変良いポジションで、色々なことを達観出来る方がそこにいた。今の日本では何故か皆がカリスマ経営者になりたがっていて、経営者になった瞬間に退かなくなる。本当にカリスマと呼ばれたいのなら隠居して欲しいと思う。

田久保:「グリード・イズ・グッド」というお話について、もう少し伺いたい。たとえば敬虔なキリスト教徒の方々には、どこかこう…、「神がお決めになった」という過程のなかで、「選ばれた人が頑張って成功したのなら、それに対して誰が文句を言う権利もないじゃないか」と。そうした、そこはかとない宗教観のようなものを、数少ないアメリカ人の友達と話していて感じるときがある。「グリード」を書くにあたって多くのアメリカ人を取材した際、そうした宗教観をお感じになったことはあるだろうか。

日本人に分かりにくいアングロサクソンの「フェアネス」

真山:それほど多くのアメリカ人を取材した訳ではないが、これまでアングロサクソンは、ルールをつくってとりあえずフェアな状態ということにして戦いを勝ち抜き、その結果、「ほら、選ばれたでしょ?」と言っていた。それで今のところはアングロサクソンが勝っている状況なのだと思う。その辺は日本人にとって分かりにくいところだ。実際、日本がこれから世界と向き合っていくためには、宗教観に対する固定概念や無知を改める必要もあると思う。

田久保:日本では違いを理解するという前提があまりないなか、理解したいという思いが先走ってしまっていると感じる。それで違いを認められず、「何故駄目なのか」と。そんな感覚があるかなと思った。昨日、フェンシングの太田雄貴選手が「IOCのルールメーカー側に行きたい」と話しているニュースを観た。彼は、「日本人は“ルールが変わると日本にとって不利になるのでは?”という話をすぐはじめる。でも、そこは問題ではない。最大の問題はルールを決める側に日本人がいないことだ」と。それで、「日本人の美徳とは少し違うのかもしれないが、敢えてそこの線を踏み越えてルールメーカー側に行く」といったことを仰っていたのが印象的だった。そんな風にして、分かったうえで先方に飛び込むことも、真山先生がお伝えしたいことの一つなのかなと感じる。

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