Netflixの韓国ドラマ「イカゲーム」が話題です。9月17日の放映開始後28日間で1億1,100万世帯が視聴し、94か国で視聴ランキングの首位を獲得。Netflixでは過去最大のヒット作となりました。本稿では、その理由を探ります。第1回では、日本発のデスゲーム系コンテンツとの比較を行い、主な違いについて分析しました。今回は第2回に続き、イカゲームのドラマの構造を分析し、国を超えて広く共感を呼んだ理由について探ります。(11/25に内容を加筆編集し再公開しました)
労働市場は利己的な個人が競い合う闘技場に
第2回ではグローバル化の影響について説明しました。第3回では「個人化」の影響についてイカゲームの内容を交えて説明します。個人化とは個人主義のことではありません。それは、近代化に伴い、個人が伝統や共同体からの拘束から自由になることです。その代わりに、個人は他者や福祉国家に対する義務を果たすことが求められます。納税や教育、勤労の義務などです。
しかし、個人化は徐々に個人主義的になっていきます。1980年代に入りアメリカとイギリスで福祉国家政策が財政的に行き詰まり、新自由主義的な政策にかじを切ったことがきっかけです(サッチャリズム、レーガノミクス)。東西冷戦が終結した90年代以降、英米を中心に新自由主義的な意味での個人化、すなわち自給自足的で孤立した個人主義、利己的でアトム化した個人主義が広がりました。韓国は近代化が遅れていたにもかかわらず、IMF危機によって、新自由主義的なグローバリゼーションに飲み込まれてしまいます(圧縮された第二の近代*1)。こうして、韓国の労働市場は利己的な個人が競い合う闘技場となりました。イカゲームの世界です。
イカゲームは個人間の「カネ」をめぐる競争が露骨に描かれています。デスゲームに参加する目的はカネを得ることであり、常に見える位置に賞金の札束が吊るされています。参加者が脱落するたびに賞金が増えるので、終盤には巨額に膨らみます。ゲームに勝つためにはほかの参加者との協力が必要ですが、そうした相手とも、いずれはカネを巡って殺し合うことになります。これは韓国の厳しい就労事情(後述コラム)を反映しているのだと思います。
イカゲームに描かれたセーフティーネットの崩壊
仕事を巡る競争は激化する一方、社会のセーフティーネットは脆弱なままでした。その結果、韓国の自殺率はIMF危機後の1998年から急増しました。現在ではOECDで最も自殺率の高い国です。主人公のギフンは、国の社会保障、市民組織や教会、会社と労働組合、核家族という「近代のセーフティーネット」からことごとく見放されたキャラクターです。
韓国の民主化運動で結束していた「市民組織」と民主化運動を間接的に支えた「キリスト教の教会組織」は、民主化を達成したのちに力を失いました。イカゲームの参加者にキリスト教の牧師か神父と思われる人物がいますが、教会組織も新自由主義的なグローバリゼーションの前では無力だということを表現しているようにも見えます。
また、本来は労働者を守ってくれるはずの「労働組合」も力を失いました。ギフンは自動車工場で働いていた時に、労働争議で弾圧された経験を持っています(イカゲームの中で、彼の脳裏にこのときの状況が蘇るシーンがあります)。これは2009年に起きた双竜自動車の労働争議で警察が労働者を抑圧した事件をモチーフにしているようです。
「福祉制度」はそもそもぜい弱で、高齢者の約半分が公的年金の恩恵を受けていない状況です。それが高齢者の貧困問題につながっています。ギフンの母は糖尿病を患っていますが、治療するだけの金がありません。
福祉制度も頼りにならず、労働組合も頼りになりません。こうした状況で家族を抱えることはリスクになり「脱家族化」が進みました。特に老いた親を抱えている場合、共倒れになる危険があります。大学進学率が高いので、子供の教育費の負担も大きいです。その上、大学に進学しても就職難なので投資の回収ができません。韓国の離婚水準はIMF危機の前後から高まり、以来高い水準で推移しています。現在はアジアで最も高い離婚率(2019年度で世界11位、日本は同31位*2)です。また、少子化も日本以上に進んでおり、OECDで合計特殊出生率が1未満なのは韓国だけです。主人公のギフンは失業して借金を背負い、妻と離婚し、娘は一人です。つまり、何もかもが頼りになりません。アトム化した個人は、一度でも負けてしまったら、誰にも助けてもらえずに耐え忍ぶしかない状況です。
現実社会よりも、イカゲームは救いがある
このように、ギフンは韓国の急激な近代化(第二の近代)による歪みと痛みを全て背負っているようなキャラクターです。ギフンは2021年時点で47歳という設定なので、1997年末のIMF危機の直前に社会に出ています。第一の近代の意識のまま、第二の近代の波にのまれてしまいました。急速に「個人化」が進んだ社会において、彼がこうした状況から抜け出すことは困難です。人生をゼロからやり直すしかありません。そのチャンスを与えてくれるのが、イカゲームのデスゲームです。
イカゲームは主催者によって、利己的な個人が「公平に」競い合うことが徹底されています。事前にゲームの内容を漏らした職員は主催者によって殺され、内容を聞き出そうとした参加者も殺されます。縁故や賄賂を徹底的に排除した世界です。この点は、現実の韓国社会とは異なります。祖霊崇拝の儒教では家柄が重視されるため、権力者が自分の親族に便宜を図ることが横行しています。そのため、競争は公平ではありません。主催者側は、公平な競争を徹底していることに対して正義感を持っているように見えます。残虐ですが、この点においては現実の社会よりも救いがあります。
ユダヤ・キリスト教との類似点
イカゲームとユダヤ・キリスト教との類似点を指摘する論考もあります。それはゲーム主催者が人間に対して峻厳で残虐な存在でありながら、同時に救済者でもあるからです。主催者のふるまいは旧約聖書のGODのイメージを呼び起こします。破壊する神は、救済する神でもあるのです。ネタバレになりますが、ギフンがゲームに負けそうになった時に自ら犠牲を払って彼を勝たせる存在がいます。その存在は彼を再びゲームに誘った人物でもあります。そして、その存在は破壊者でもありました。実質的にゲームの全てをコントロールしている、全知全能の存在です。
キリスト教の影響は、埋葬方法にも表れています。イカゲームでは、1人1人が個別に棺に入れられて、個別の焼却炉で火葬されます。何度もこのシーンは出てきますが、これはゲームの主催者が参加者の尊厳を守っていることを示しています。伝統的なキリスト教は土葬ですが、20世紀に入って火葬が普及しました。ただし、遺体を直接燃やすのではなく、棺を高温に熱することで自然発火によって火葬するというものです。これは聖書の戒律に反さない、尊厳ある埋葬方法です。このことから、主催者は残虐ですが、参加者の尊厳を踏みにじる存在ではないことが分かります。これもGODのイメージを補強します。
韓国的な状況が世界に広まっている
韓国でイカゲームが生まれたのは、これらの背景が影響していると思います。そして、それが世界で受けた理由は、ドラマの描写が旧約聖書の世界を髣髴とさせることに加えて、新自由主義なグローバリゼーション(第二の近代化)による社会の歪みが、韓国だけでなく世界中で起きているからだと思います。それはアメリカで顕著です。
現代のアメリカでは社会の分断が深刻化しています。主な原因は経済格差の拡大です。所得分布で上位1%の人々が、全体の60%を占める中間層を上回る富を保有しています*3。下位50%(約1億6500万人)の資産額は、全家計資産の1.9%しかありません(2020年)*4。所得下位50%の成人の平均所得は2万ドル以下です。イカゲームは韓国ドラマとして初めてNetflixで全米1位になりました。
過去、日本でヒットした韓国ドラマは多くありましたが、今回、イカゲームが日本でこれだけ話題になったのはアメリカをはじめ世界で大ヒットしたからです。「イカゲーム」が表した現実の貧困や格差に日本が熱狂的に共感しない、ということは日本がまだ余裕があると捉えることもできるのかもしれません。
IMF危機の際、韓国では企業の倒産が相次ぎ、失業率は2%台から6.8%(1998年)に増加しました*5。その時に働き盛りだった中年男性が老人になり、それが老人の貧困問題につながっています。社会保険の整備が遅れていたこともあり、韓国の66歳以上の相対的貧困率(中位所得の50%以下)は、43.4%(2018年)*6とOECD加盟国中最も高く、65歳以上の年金受給率は53.2%(2019年)*7に止まっています。
構造改革によって失業率は低下しましたが、企業の常勤雇用は増えていません。雇用が増えているのは自営業者(一人社長)と非正規雇用です。IMF危機後、OECDによると自営業者は就労人口の40%に迫る勢いで増加し、ここ数年は25%前後で推移しています。2019年は24.6%*8で、2020年はコロナ渦によって20%を切りました*9。それでも日本の自営業者率(2019年は10%*8)に比べると非常に多いです。非正規雇用者比率は38.4%(2021年)*10で、日本の37.2%(2020年)と同水準です*11。韓国のデータには日雇い労働者などが含まれていないという指摘もあり、実際の数字はこの数字よりも10%以上高い可能性があります。
ちなみに、韓国の労働組合のデータでは2001年の非正規雇用者比率は55%でした。イカゲームのギフンと映画パラサイトの主人公ギテクの共通点は、会社を解雇された後に、自営で飲食店の経営に失敗している点です。これは40代後半〜50代男性のひとつの典型なのでしょう。
多くの雇用が中国や東南アジアに奪われていく一方で、増えた求人もあります。高度IT人材やグローバル人材です。その結果、主体的に自分の人生をデザインしていかないと、生き残れない社会になりました。こうしたことが、急激な大学進学率の増加にもつながります(90年33.2% → 2000 年68.0% →08年83.6%、20年は72.5%*12)。しかし、皆が大学に行くようになったものの、高度人材への求人は限られています。その結果、仕事を巡って個人間競争は激化しました。
<参考>
*1 『再帰的近代化』 1997 W・ベック、A・ギデンズ、S・ラッシュ (著) 而立書房
*2__「世界の離婚率 国別ランキング・推移」グローバルノート 国際統計・国別統計専門サイト
*3_ _「コロナ禍で進む富の一極集中…アメリカでは初めて超富裕層の資産総額が中間層を上回る」2021.10.26 Business Insider
*4_「米金持ちトップ50人の資産2兆ドル、下位50%の1億6500万人分に匹敵」2020.10.09 Bloomberg
*5 「1998年海外労働情勢(要約版)」第1部1998‾99年海外労働情勢_ 厚生労働省
*6 主要統計貧困率 OECD
*7 「なぜ韓国の高齢者貧困者率は高いのですか?」金明中 ニッセイ基礎研究所
*8 主要統計自営業率 OECD
*9 「自営業者の割合が初めて10%台、廃業に追い込まれるのが問題」2021.10.14 東亜日報
*10 「韓国、雇用回復傾向「明確」というが…非正規労働者「過去最多」の800万人」2021.10.27_ Yahoo!ニュース
*11 「非正規雇用の現状と課題」厚生労働省
*12 「韓国の教育熱に異変? 大学進学率、8年間で78%→69%に(1)」2018.03.23 中央日報_