榊原健太郎×伊藤羊一(2)できる、できないではなく、やるか、やらないか 

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リーダーシップの出現メカニズムを解き明かす本連載。前回は、サムライインキュベートを創業し、日本とイスラエルを拠点に100社以上のスタートアップを支援する榊原健太郎さんに、なぜイスラエルに移住したのか、今何を目指しているのかを語っていただきました。今回は、起業に至るまでの道のりについて語っていただきます。(文: 荻島央江)

<プロフィール>
株式会社サムライインキュベート 代表取締役社長CEO 榊原健太郎氏
1974年愛知県生まれ。関西大学卒業。大手医療機器メーカーを経て2000年アクシブドットコム(現Voyage Group)に入社。その後、外資系広告代理店などを経て、08年にIT起業家の育成支援をするサムライインキュベートを創業。14年5月にイスラエルに移住し、日本初のインキュベーターとしてブランチを設立。現在は、イスラエルのスタートアップに投資、インキュベートを手掛けるのと同時に、日本とイスラエルの100社ほどのスタートアップの社外取締役やアドバイザーを務める。

二十数年間の暗黒期

伊藤: 榊原さんはエネルギーのかたまりみたいな人ですけど、昔からそうだったのですか。

榊原: インターネット業界に足を踏み入れてからはそうですね。ただ、それまでの二十数年間は、僕にとって暗黒期でした。小学生の頃は応援団長をするとか目立つことが好きだったし、自分でいうのも何ですがみんなの人気者で、たぶん人生の中で一番躍動していた。このときの自分こそが自分だとずっと思っていました。

その後、中学では単なるガリ勉になり、高校でもそれは変わらず。「このままではやばい」と思って地元名古屋を飛び出し、大阪にある大学を選びました。小学生のときのようにまた目立ちたくて、落語研究会に入ろうとしたものの、度胸がなくてできなかった。パッとしないまま、卒業後は医療機器メーカーに入社しました。

営業職でしたが、医療業界の理不尽さに耐えられなくて、入社半年で転職を考えたほど。その頃は無気力で、休憩中に漫画を顔の上に乗せて営業車で寝ているダメな社会人でした。完全に終わっていましたね。

伊藤: 暗黒期から脱したのはいつ?

榊原: 2000年にアクシブドットコム(現VOYAGE GROUP)に転職した頃です。やっと自分らしさを取り戻した気がしました。当時、僕が社員5人目というまさにスタートアップ。水が合ったんでしょう。一度、マーケティングの勉強がしたくて外資系の広告代理店に移ったものの、出戻りましたからね。主に担当したのは収益上げ責任を持つ営業統括でした。

伊藤: そこからどう起業に至ったのですか。

榊原: 起業したのは、実はネガティブな理由からでした。VOYAGE GROUPでは営業本部長をしていました。そのときミクシィやライブドアから新しい媒体がわっと出てきて、広告の売り上げが激減してしまった。その責任を取って新たにモバイル事業を立ち上げましたが、さほどスケールしなかった。

それに社内には若くて優秀な人材がたくさんいた。でも僕がいるから上に行けないという状況でした。もうここにいるべきではない。これまで何回も転職をしてきたし、今度は自分でやるしかない。そう思って始めたのが、サムライインキュベートです。

伊藤: あまり前向きな理由ではなかったのですね。

榊原: ネガティブでしたよ。前職での経験を生かしてやろうとしたのは、スタートアップに特化した営業業務代行会社。せっかくいい商品やサービスを持っているのに、いい営業マンがいなくて売れずに終わっていたスタートアップの営業代行コンサルみたいなのをしていました。それが、僕が一番生きる部分かなと。今の僕がアドバイスをするとしたら、「そんなのはダメだ」と絶対に言うビジネスモデルです。

起業家の兄貴分

伊藤: 「サムライハウス」を作られたのとファンドの立ち上げはほぼ同じタイミング?

榊原: 同時ですね。僕の部屋からスタートして、09年に練馬の一軒家を「サムライハウス」と名付け、そこで起業家たちと共同生活しながら支援するというスタイルでした。現在までに5号までファンドを立ち上げ、投資した企業は120社以上になります。

ファンドをつくってからがらりと変わりました。お金を持っていると、ぶわっと人が来る。ずっとコンサルのような動き方をしていたら、ここまで名前が売れなかっただろうし、人も集まっていないと思うので、お金の力はすごいなと思いましたね。

伊藤: 最初のエグジットが、スマートフォン広告のノボット。1号ファンドの投資先ですよね。

榊原: ノボットのほか、Synclogue(現SYG)、f4samuraiがうまくいって、そのお金を元手に天王洲アイルのコワーキングスペースをつくった感じですね。そうそう最近だと、ロゼッタが約14億円で買収したエニドアも1号ファンドの投資先です。

伊藤: スタートアップの人たちからすると、榊原さんはベンチャーキャピタリストというより兄貴分というイメージでしょうし、毎月開かれている会もいつもにぎわっていて、鉄の結束を感じます。ほかのベンチャーキャピタルとは色合いが違うなという印象です。

榊原: そう言っていただけるとうれしいです。ただ最近、僕がイスラエルとか、先を行き過ぎていて、なかなかみんながついてこられなくなっているので、もっとファミリー感を出すような施策をしないといけないんですけど。

伊藤: 榊原さんが定期的にメンタリングされているのは今、何社くらい?

榊原: イスラエルも合わせ70社ぐらいあります。最近はM&Aやアライアンス、IPOなどの資金調達とか、大変なときにがっと動くことが多くなってきた気がします。

投資要件は人こそすべて

伊藤: 榊原さんが投資を決める基準は何ですか。

榊原:これは一般的なベンチャーキャピタルと同じだと思いますが、こういう人がこんな課題を持っているので、それをこう解決しますというのがシンプルで分かりやすく説明できれば、第1段階突破ですね。

起業して失敗するのはハートが弱いから。中には奥さんから「そろそろやめて」と言われて、あっさりやめてしまう人もいます。誰から何を言われてもへこたれず、右から左へスルーするくらいの人じゃないとうまくいかない。僕が求めているのはそういう人です。

伊藤: それはどこで見極めるのですか。

榊原: 過去の経験ですね。つらい思いをしたときに、いかに工夫してクリアしてきたかを、飲み会やピッチの大会、メールのやりとりから判断しています。

伊藤: スタートアップの人たちに話を聞くと、「榊原さんは事業計画書をさほど見ないんです」という声があります。やはり人を見て投資を決めているのですか。

榊原: そこは大きいですね。うちは人で決めて、あとは一緒に考えるパターンのほうが成功していると思います。最近注目を集めているエアクローゼットもその例です。

伊藤: あと義を大事にするというか、正しいことをやる人。

榊原: それに加えて、リーダーシップというか、飲み会の幹事や掃除など人が嫌がるところを買って出るかどうか。また将来の目標、会社のミッションをかなり高めに置いている人はどんなことがあってもぶれないので、そこは大きなポイントかなと思います。それと常にポジティブに考えるとか。

伊藤: 全部、榊原さん自身に当てはまりそうですね。

榊原: いや、できていないことがたくさんありますよ。例えば、まだまだ感謝が足りない。いろいろな人にお世話になってここまで来ているのに、きちんと一人ひとりにお礼を伝えられていないとか、結構できていません。

できる、できないではなく、やるか、やらないか

伊藤: 以前見せていただきましたが、今日も人生カレンダーを持ってらっしゃいますか。

榊原: はい。若者たちに「これを書くと達成できるよ」という話をするために常に持ち歩いているので、もうボロボロです。

伊藤: これは何年前に書いたものですか。

榊原: 会社をつくったときなので、10年前ですね。半年に1回くらいチェックしたり、修正したりしています。

伊藤: これを書き上げるのに、どれぐらい時間がかかりましたか。

榊原:ちょびちょび思い付いたときに書いて、3カ月ぐらいかかりましたね。なかなか一気には書けません。最初に書いたのは5年分のカレンダーです。

伊藤: 榊原さんは昔から緻密にというか、事前にしっかり計画を立てられるタイプなのですか。

榊原: ベンチャー企業の立ち上げに初めて参加したときに、業績も急激に伸びたこともあり、30歳までに達成したい年収目標額を達成してしまい、自分の目標を見失ってしまった。改めて会社をつくるにあたり、目標をきちんと定めないとおかしくなってしまうと思い、これを作りました。

僕は「人生を通して、できる、できないではなく、やるか、やらないかで世界を変えることが数多くできて、社会的、世界的にも認められるとき、自分にとってそれが最高の成功である」と思っています。

僕の会社や僕の行動を見て「俺にもできる」と思ってもらえたらと、これを目標に掲げました。だから「榊原さんがいたから頑張れた」と言ってもらえたときは、最高にうれしいですよね。

伊藤: 読者の中にも、今、つらい状況にある人が結構いると思います。何かここを抜けるポイントはありますか。

榊原: 一歩前に踏み出すことですかね。僕自身は新卒で入った医療機器メーカーを辞めるときが一番怖かった。その頃は転職が一般的ではなく、みんなから「なんで辞めるんだ」と反対されました。ただそれをクリアしたら、何でも平気になりました。

伊藤: 安定したところから一歩踏み出すと新たな展開が生まれて、自由になれると。

榊原: だから嫌なことがあったら逃げるというか辞める。僕の場合、医療機器メーカーから逃げてうまいこといって、そしてまたVoyage Groupから逃げてうまいこといったという感じです。

伊藤: やりたいことに向かって突進するのもそうだけど、逃げたいときには逃げる。それが大事なのかもしれませんね。

榊原: 僕は120年続く琴、三味線屋の5代目なので、インキュベーターとしての仕事をやり終えたら、後を継ごうと考えています。父は全く想像していないでしょうけど。僕が技術や伝統を守らなければいけない。そのためには例えば、グーグルグラスみたいなものをうちの親父にかぶらせてVRデータを作成し、職人技をいつでも再現できるようにするとか。そうすれば技術が受け継がれていきますよね。琴、三味線に限らず、それ以外の分野も全部回ってつくろうかなと思っています。

《インタビュー後記》

榊原さんは、私がベンチャー企業とのネットワークを持つようになったきっかけとなった方です。2012年、私が前職で事業を統括していた頃に初めてお会いしたのですが、とても情熱的で、ビジョナリーで素晴らしいな、こういう方がどんどん活躍されるようサポートしたいな、と思い、お会いしたその場でサポートをさせて頂くことにしました。それ以来、様々な形でご一緒させて頂きました。私にとっては、とても大切な仲間です。

2014年からは日本からイスラエルへとフィールドを広げられましたが、向かうべき方向性や、ベンチャー企業と向き合う基本的なスタンスは全く変わらず、本当にしっかりとした軸をお持ちだな、と改めて感じました。

高い志を持ち、そこに向かってアクションし、志が高くなっていく。そうしてアクションも力強くなっていく、そうした回転のサイクルをガンガンと回していかれている印象です。

逆に言えば、最初から高い志を持っている、というよりむしろ、最初は一歩踏み出すことから始まり、アクションしているうちにどんどんと、志やアクションが大きくなっている、ということですね。

加えて、ゴールを見据え、見直し、振り返り、修正しながらもう一回進んでいくエネルギーを得る、というサイクルを実践されている。常にエネルギッシュなので、「榊原さんだからできるんだよ」と言われることが多そうですが、裏ではそのような努力をしっかりとされているのがとても印象的でした。

これからも、「できるかできないかではなく、やるかやらないか」という信条に従い、どんどん、大きなビジョンを持たれ、フィールドを広げていかれることと思いますし、そんな榊原さんを、大切な仲間として、私も心から応援していきます。

※前編はこちら

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