榊原健太郎×伊藤羊一(1)ノーベル平和賞を取る道筋は見えた 

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インタビューはヤフーの新オフィスで実施しました

活躍中のリーダーたちにリーダーとして目覚めた瞬間を問い、リーダーシップの出現メカニズムを解き明かす本連載。第11回は、IT起業家の育成支援をするサムライインキュベートを創業し、現在はイスラエルに移住してスタートアップに投資、インキュベートを手掛けるなどグローバルに活躍中の榊原健太郎さんにお話を伺いました。(文: 荻島央江)

<プロフィール>
株式会社サムライインキュベート 代表取締役社長CEO 榊原健太郎氏
1974年愛知県生まれ。関西大学卒業。大手医療機器メーカーを経て2000年アクシブドットコム(現Voyage Group)に入社。その後、外資系広告代理店などを経て、08年にIT起業家の育成支援をするサムライインキュベートを創業。14年5月にイスラエルに移住し、日本初のインキュベーターとしてブランチを設立。現在は、イスラエルのスタートアップに投資、インキュベートを手掛けるのと同時に、日本とイスラエルの100社ほどのスタートアップの社外取締役やアドバイザーを務める。

単身、イスラエルに移住

伊藤: 榊原さんから初めて「イスラエルに進出しようと思う」と言われたとき、よく覚えているのですが2014年1月、一緒に宮崎のイベントにでたときですね。そのときは正直「何を言っているんだ、この人は」と思いました(笑)。全然、イメージがわきませんでした。でもすぐに行動に移され、2014年5月に移住され、7月にテルアビブ市内にオフィスを設置しています。

最初にお伺いしたい質問なんですが、なぜイスラエルだったのですか。

榊原: イスラエルはハイテクベンチャーの集積地として世界中から注目を集めています。実際、米国や中国、韓国の企業がイスラエルの新興企業を買収し、次々と研究開発拠点を構えているほか、グーグルやフェイスブックもイスラエルの技術を基に新しいサービスをつくっています。でも日本企業は中東情勢を懸念してか、ほとんど進出していない。最初に行ったとき、「僕のために市場を残しておいてくれたのだ」と思いました。

伊藤: 当初イメージした通りにいっていますか。

榊原: 向こうに行ったときは、日本のスタートアップに投資家や優秀なエンジニアを組み合わせて世界へ打って出ようと考えていましたが、その目論見は外れました。反対に、日本のハードウエアメーカーとイスラエルで支援しているスタートアップを合体させて、日本を元気にするという感じの取り組みが非常に多いですね。

日本にいたときはインターネット系企業とのお付き合いが中心でしたが、こちらでは大手の自動車メーカーや精密機器、食品、薬品メーカーなどとがらりと変わりました。想像するに、日本のメーカーはイスラエルが様々なものをゼロイチで作っているのは知っていたけど、何となく怖かったのでしょうね。でも僕が住んでいるから安心して来るようになったのではないかと思います。15年1月に安倍(晋三)総理大臣がイスラエルを訪問したのをはじめ、日本から多数の政府高官が訪れたこともあって大手メーカーの進出が増えるなど、ようやく波が立ち始めた気がします。

伊藤: それは想定していたのですか。

榊原: 目論んではいましたが、日本のメーカーは商社などを使いつつ海外展開をしているので、僕なんかにイスラエルの情報収集に来るとか、コラボレーションができるなんて夢にも思っていなかったので、驚いています。

伊藤: 失礼ながら、海外経験が豊富というわけではなかったですよね。

榊原: 英語も得意ではなかったし、TOEICも365点だったので、我ながら何を考えていたのかなと思います(笑)。向こうではこれまで日本で取り組んできたことを信じて、同じようにやっただけ。思った以上の成果が出て、自分でもびっくりしています。

伊藤: 日本と同様に、インキュベーター、ベンチャーキャピタル、有名な起業家を回り、ミートアップなどを開いてまずネットワークをつくったのですね。その次に何をしたのですか。

榊原: 投資やインキュベーションをしたかったので、僕らにとってどういうスキームが一番合うかを聞き、それをフィックスさせて、ロスチャイルド通りという日本で言えば表参道、渋谷、六本木のような場所にコワーキングスペース「サムライハウス」をつくりました。そこに決めたのは、「無名だからこそ、スタートアップ企業が集まるところに置いたほうがいい」と考えたからです。

あとはイベントを開きまくりましたね。彼らは杉原千畝さん(参考:「杉原千畝の葛藤――認知と行動、どちらを変えるか?」)の影響で、日本が大好き。そこで最初の催しでも京都のお寺やアニメーションを紹介したり、剣道を教えたり。「日本文化に触れ合いたいならサムライハウスに行けばいい」という流れを半年ぐらいかけてつくりました。

ミサイルが飛んできても帰らなかった

伊藤: ただサムライハウスをオープンした直後の14年7月に、ガザ侵攻が勃発した。

榊原: あのときは「終わったな」と思いました。

伊藤: でも日本へ帰らなかった。なぜですか。

榊原: 逃げるのが嫌だった。それでもミサイルが飛んできた初日は、それは落ち込みましたけど。サムライハウスオープン1週間前で、ここからというところだったし、みんなから応援されてこちらへ来た手前、簡単には戻れないという意識もありました。日本人が常駐している日本企業は10社程度、日本人ビジネスマンは20人ほどしかいなかったものの、最終的には皆さんほぼ帰国し、僕1人だけが残ることになったんです。

紛争中もイベントを変わらず開催していたのですが、オープニングイベントのとき、イベントの終わりの際に、1人の女性が前に立って、「健はミサイルが飛んで来ても帰らない。この人はラスト・サムライだ」と言ってくれた。僕の本気が伝わったのでしょう。おかげで今は約5000人のコミュニティーへと成長し、イスラエルの中でもベストテンに入る規模になりました。

伊藤: 実際のビジネスにはどうつながっていったのですか。

榊原: 最初の1~2カ月はとにかくイベントを開催していました。その後、「投資を開始する」と言ったら、初月から100社ぐらいの応募がありました。「日本メーカーのどこどこと組みたい」とか「日本の市場に行きたい」「自分たちのサービスをまず日本市場に投入して、磨き上げてから世界に打って出たい」といった話がわーっとくるようになりましたね。

伊藤: それはいつぐらいの話ですか。

榊原: 9月、10月ぐらいから、もうぶわっと。あとは15年7月に、僕に代わって、現在イスラエルの代表を務めてくれているヨニー・ゴラン氏が来てくれたので、そこからうまく回り始めました。彼はユダヤ人で、おばあちゃんが杉原千畝さんに命を救われたといいます。不思議なつながりをひしひしと感じましたね。

僕は今、41歳。実家は名古屋市で琴・三味線屋さんを営んでいて、父はその5代目です。祖父はインパール作戦で、父の顔を見ることなく命を落としました。戦争によって夢や希望を断たれた祖父から「お前が争いごとを止めてほしい」と言われているような気がしています。

ノーベル平和賞を取りたい

伊藤: そうそう、榊原さんはノーベル平和賞を取りたいと公言されていますよね。いつからそう考えるようになったのですか。

榊原: 08年にサムライインキュベートを設立し、ベンチャー投資を始めてしばらく経った頃からだと思います。創業前だったと思うのですが、あるベンチャーキャピタリストの方と話す機会があり、僕が大学時代の一時期、NGO(非政府組織)に所属していて、カンボジアでのボランティア活動に参加したことがあると言ったんですね。すると、その人が「健ちゃん、目の前の人を助けることで自己満足を満たせるかもしれないけど、大勢の人は救えないよね。俺がなぜベンチャーキャピタルを手掛けているかといえば、多くの起業家を生み出したほうが雇用拡大につながり、社会貢献ができるからだよ」と諭すように話してくれました。

僕はそれまでベンチャーキャピタルに対して、あまりいいイメージを持っていなかったのですが、彼の言葉で考えを改めました。「そうか、起業家を輩出することが一番手っ取り早く世の中の人々を笑顔にできるのか」と思い、今の仕事を始めたわけです。その頃からぼんやり頭に浮かび始め、より具体的にイメージするようになったのは、インキュベーターの元祖である渋沢栄一さんの存在が大きいと思います。

09年ぐらいに、支援先の何人かから「榊原さんって、渋沢栄一さんを目指していますよね」と言われまして。そのときは渋沢さんについて詳しく知らなかったのですが、調べてみると500以上の事業を立ち上げ、その功績によりノーベル平和賞候補にもなったことが分かりました。「だったら僕は渋沢さんを超えるインキュベーターになって、ノーベル平和賞を取りたい」と思うようになったというわけです。

伊藤: そうなんですね。「ノーベル平和賞を取る」と宣言するのって、結構ハードじゃないですか。

榊原: そうですね(笑)。

伊藤: ぷっと笑う人だっていると思う。そこへの抵抗はないのですか。

榊原: もうなくなってきました。口に出していたら、普通ならお目にかかれない人に会うことができたんですよ。2006年にノーベル平和賞を受賞したグラミン銀行創設者のムハマド・ユヌスさんや渋沢栄一さんの息子さん、杉原千畝さんの息子さん、国境なき医師団の理事長さんとか。メンバーも最初は「何バカなことを言っているのだろう」という感じでしたが、こうしたことが徐々に現実になると、「この人の言っていることはあながち妄想ではないのかもしれない」と思ってくれているんじゃないかと。

これを言うと、また吹き出されると思うんですけど、ノーベル平和賞を取る道筋は見えました。今、僕たちはユダヤ人のほうにメインで投資していますが、今後ガザ地区やパレスチナにも投資をしてインキュベーションをして、40%という高い失業率を少しでも改善すれば、たぶん取れるでしょうね。

最初は僕個人でノーベル平和賞を取りたかったのですが、いつからかサムライインキュベートでと考えるようになり、今は日本という国で取りたいと思っています。無理しているわけではなくて、自然と考え方が昇華していったというか、だんだんとそっちのほうがかっこいいかなという感じになってきている感じがします。

さらに言えば、ノーベル賞を上回る、サムライ賞というものをつくりたいなと思っています。世の中をよくしたとか、ビジネスがうまくいっていない国をよくした人に、サムライ賞を日本が与えられるようになればいいかなと。

近隣諸国を侵略した日本はひどい国だったと思う。しかし、原子力爆弾を落とされて、敗戦して、ゼロからここまで平和な国に立ち上がってきたことって、すごいこと。そのノウハウをちゃんと読み解いて教えれば、パレスチナ問題だって解決できるんじゃないかと思う。もちろん難しいのは分かっていますが、少しでも穏やかな日々が世界に増えればいいかなと。

伊藤: 話のスケールが以前とは圧倒的に変わりましたよね。正直2年半前にイスラエルに行くと聞いたときは、全然イメージがわきませんでしたが、今は榊原さんが国際的に活動される姿が、想像がつきます。

榊原: 今は1カ月ごとにイスラエルと日本を行き来していますが、イスラエルに行くようになって2年半ぐらい。でも、もう5~6年はたっている感じがします。もう1回同じことをやれと言われたら、ちょっとしんどいかもしれない。

伊藤: よくぞここまで形にされましたよね。

榊原: 「英語ができないのに、どうしてそんなに周囲の人を巻き込めたのですか」とよく聞かれます。「英語が話せないので、助けてください」と言ったのがよかったんだと思います。みんなサポートしてくれましたよ。付け加えるなら、「僕はイスラエルと日本をつなぎたい。イスラエルを日本のように平和な国にしたい。最近弱っている日本に力を貸してほしい」と言い続けたことが大きかったかもしれません。

伊藤: 今後はどのような展開を考えていますか。

榊原: 次は、世の中を穏やかな世界にする目標を持った起業家に投資していくというピースファンドをつくりたいと思っています。その中の1億円をガザ地区やパレスチナに投資したい。1社にあたり100万円程度で起業ができるので、そこでも雇用を生むことで紛争を止め、貧困をなくし、穏やかで豊かな世界をつくる手助けをしたいと考えています。バイオもやりたりですね。また他の新興国でも起業家育成に取り組みたい。実際、ルワンダ政府から声がかかっています。

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