アシックスの海外進出裏話からオニツカタイガーの誕生まで 

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アシックスのグローバル戦略[1]

Ebc2dd3d246efa6d074e04d4ef6d2cc7 尾山基氏

尾山基氏(以下、敬称略):今は懸命に走っている最中だし、本来なら今までやってきたことをサマリーとしてお話しできるような立場にはない。2005年に日本へ帰ってきたとき、今は内閣官房参与で2020年オリンピック・パラリンピック東京大会推進室室長の平田(竹男氏)先生から、「早稲田大学で講演をして欲しい」とのお話をいただいた。それで学生を前にお話をしたのが、人前でこういったお話をする最初の機会だ。以来、今までやってきたことを含めて資料にまとめてお話ししている。ただ、今日の50分ではそのすべてはお話しできないので、アシックスグループの概要と欧州の事業変革、そして時間があればマーケティング事例についてお話ししたい。

まずグループ概要から。ちょうど昨日、BSジャパンの『日経スペシャル 私の履歴書』で当社創業者の鬼塚喜八郎が取りあげられていた。終戦直後の荒廃した神戸で路頭に迷う子どもたちを見た鬼塚が、スポーツによる健全な青少年育成を目的に創業したのがアシックスだ。当時は中卒の社員1人とデスク1つでやっていたが、技術が分からなかったために神戸の製菓会社で1ヶ月ほど見習いをしたりしていた。そして現在、従業員は全世界でおよそ6500名。日本を含め世界中でショップやアウトレットといったリテールを広げていて、従業員は毎年数百名増えている。子会社は製造部門を含めて国内13社、海外40社となった。

私自身は1998年と1999年に約200億の引当をさせられ、そのあと2000年8月にヨーロッパへ赴任した。そうして、2000年当時は売上高1264億で海外売上比率は30%だったものが、2013年度はFYで売上高3295億で海外売上比率がおよそ70%となった。なお、今年から決算期を変えていて、2014年は変則決算になる。2004年1-3月期は2015年に入り、2015年から1-12月CYの決算になる。そのうえで、2014年通期予測は2013年度を上回る約3400億という発表をした。また、近年はアメリカとヨーロッパの売上が同じぐらいになってきた。当初はヨーロッパが先行していたが、アメリカとブラジルがこの2年ほどで急激に伸びてきている。

次に、ブランド価値を見てみたい。インターブランドというロンドンのブランディングファームが2014年に発表した「Japan's Best Global Brands」で当社は18位になった。2009年版でもすでに26位だ。ただ、このランキングには海外売上比率が30%以上であること、そして東証やSEC(米国証券取引委員会)に上場していて財務情報を開示しているといった基準がある。従って、三菱東京UFJ銀行や楽天やユニクロといった企業はランクインしてない。彼らがその基準を満たせば我々はいくつかランクを落とすかもしれない。一方、特筆すべき点もある。同ランキング上の日本企業はエレクトロニクス等が多いのだけれど、我々は資生堂やキッコーマンやユニチャームといった、いわゆるソフト系の商品を売る企業としてランクインしている。

事業領域としては3つのドメインがある。まず、皆さんご存知の「アスレティックスポーツ」。そして、「オニツカタイガー」をはじめとした「スポーツライフスタイル」。10日ほど前にも蜷川実花さんがデザインした「オニツカタイガー」の靴やウェアを発表したばかりだ。以前はHarrodsともタイアップも行った。で、三つ目が「ヘルス&コンフォート」になる。私は1991年から2000年までこちらを担当していた。歩きやすく、足に良いビジネスシューズまたはパンプスの領域だ。日本の少子高齢化を考えると、今後は相当注目すべきエリアになると思う。それで、先月も兵庫の西宮に「Tryus(トライアス)西宮」という機能訓練特化型デイサービス施設を立ちあげた。そこで、たとえば歩けない方が歩けるようになるための指導プログラムなどをご提供している。

グローバルなグループ概要もご覧いただきたい。2005年に日本へ帰ってきてからいろいろつくった。EMEA(Europe, the Middle East and Africa)はASICS Europeで、アメリカはコンチネントで括ったASICS America。カナダやブラジルもこれに入る。メキシコでも今年立ちあげた。一方、アジアは大きく分けると、日本、韓国、グレーターチャイナ、それ以外のSeas、オセアニアとなる。アジアのヘッドクォーターはシンガポールに置きたいという考えもあってASICS Asiaという名前にした。グレーターチャイナとはテイストも違うし、距離的にもシンガポールから少し遠く、香港のほうが近い。ただ、昨今のデモを見てもお分かりになる通り、長年見ていると香港はもうほとんどチャイナの分身のようになっている。ヘッドクォーターはなるべくニュートラルなポジションに置きたいという思いもあって、シンガポールを選んだ。

さて、1995年から当社にいた従業員は同年1月17日の阪神・淡路大震災を経験しているが、2011年3月11日は取締役会をやっていた。神戸も揺れた。東京から来ている役員もいて、携帯がすぐに鳴った。それで幕張から車が出られなくなったといった話を聞いて、「取締役会は一旦中止しよう」と。テレビを観ると港を津波が超えている状況で、仙台港にある当社アウトレットショップでは5人が行方不明になっていた。翌々日の日曜日昼までにその5人全員の安否もOKであると確認できたが、とにかくその翌日の月曜日8時に危機管理委員会を立ち上げた。小さなチームがいいと思ったので、5~7名の責任者を集めた。

そこで震災後2週目に立ち上げたプログラムが「A Bright Tomorrow Through Sport」になる。「スポーツを通して皆を元気付けよう」と。19歳未満を対象に、スポーツ用品を毎年継続的に提供している。ただ、時間が経つにつれて被害規模がどんどん大きくなってきたことも分かったので、対象者としてご両親を亡くされた方という前提もつけた。今は約200名が登録している。で、今はその子どもたちを神戸に連れてきて、「ぼろぼろだった神戸も20年経ってこんな風に変わったよ」と伝えたり、現地にスポーツ選手を送り込んで元気付けたりしている。去年は桐生(祥秀氏:陸上選手)君が行ってくれた。彼は18歳だったけれど、子どもたちは大変な元気をもらったと思う。

さて、ASICSという社名はラテン語の「Animas Sana In Corpore Sano」から来ている。1977年に3社で合併したとき、その頭文字をとった。「健全な身体に、健全な精神があれかし」。鬼塚喜八郎さんの創業における原点だ。兵庫県教育委員会の体育局長に、「この言葉で子どもたちを元気付けよう。それで国も明るくなる。それにはスポーツだ」と言われたという。それで、私もヨーロッパのリストラで皆を集結させるものが必要だと考え、これをコーポレートフィロソフィというかファンディングフィロソフィとしてブランドのキャッチにした。日立の‘Inspire the Next’と同じ。‘Sound Mind Sound Body’という英文にした。‘Sound’はヨーロッパでは健康等の意味で取られないから少し時間がかかったけれど、今はブランドのキャッチコピーとして深く理解されている。

歴史も振り返ってみたい。大正生まれの鬼塚さんは生涯にわたって隙のないファッションをしていたが、1960年にローマオリンピックを視察したのち、1964年の東京オリンピックで多くの海外選手にシューズを提供した。その結果、バレーボール女子やレスリングで21個の金メダル獲得に貢献している。この頃から海外プロモーションをしていた。で、1972年にはアメリカのシカゴに事務所を開設したのだけれど、あまりに寒いということで翌年ロスに移った。その後はアディダスとプーマの本拠地であるドイツのデュッセルドルフに進出したのち、1977年にアシックスが誕生している。オリンピックの流れも併せて、アシックスは突然バレーボールのユニフォームやユニフォームの上に着るジャケット、あるいはバレーボール用のバッグもすべてつくることにしている。ご本人も、「今後はすべて統一のブランドにする」と発言している。そこで、靴会社だった当社はアパレル2社と合併した、と。これが1977年の話だ。

1979年も同じだ。ビジネスオンリーではないけれど、慶應大学バレー部の監督だった加藤明さんがペルー女子代表監督として同国に招かれた際、そのサポートを兼ねてペルーとブラジルに事務所をつくった。で、当時は外資規制で儲けたお金を外に出せなかったから、数百万ドルを投下して男女バレーボールのスポンサーになった。そのせいか、ブラジルでは現地生産会社からマーケティング販売会社に変えていったのだけれど、この3年で前年比50%増となった。10月一杯では同60%ほど伸びた。ドルとの掛け算をするからバリエーションは減っているけれど、当時の感覚では200万ドル以上のスケールになっている。遠い昔の意図しなかったマーケティングが、数十年を経て回収されてきたという良い例ではないかなと思う。

ただ、全体を見るといい話はない。すべて赤字だ。1980~1990年代初頭までは日本でもスポーツ用品が大変売れていたから、国内で稼いだお金でアメリカとヨーロッパの赤字を埋めていった。極端なのは1994年。ノイスというデュッセルドルフの隣町からオランダのアムステルダムに移り、借金・赤字をすべてドイツに残していった。とにかくいろいろなことをやって2003年に黒字転換している。借金をぜんぶ返したと言うと格好良く聞こえるけれど、経理的にはミゼラブルな状態だったと思う(笑)。

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私自身は先ほどお話しした通り、2000年8月にヨーロッパへ赴任している。ユーロへの移行が2002年1月1には決定していただから、次のヨーロッパ戦略を考える時期としては遅かったと思う。ただ、幸いだったのは、JCC(オランダ日本商工会議所)の講演会でプライスウォータースクーパース(PWC)にいらしたコンサルタントから、「欧州における経営環境変化と企業の対応」という話を聞くことができたことだ。登壇者は日本人の方だったのだけれど、フランスの大学を出た方で非常に詳しくお話をしてくださった。それで、実はその方にプライベートで40時間をかけてドラフトづくりの手助けもしてもらった。彼が独立したときはコンサル契約も結んでいる。

講演の内容は次のようなものだった。まず、EU委員会によるEU法の整備が進む。ただ、そこにはローカル法がずっと残っていく。また、2002年1月1日からトルコ等を除いてユーロが使われていく。従って国ごとの税関もすべてフリーになるし、はんこも押さなくなる。そしてEUはさらに拡大基調を続けるという。それまで各企業は国ごとに対応していたが、United States of Europeとして上代もすべて一定にしなければいけない。私はそこでキヤノンおよびニコンの方々と個別に知り合ったほか、そのコンサルの方ともお話をして事業変革の戦略をまとめた。ただ、そこでまとめたものを持って12月に帰国し、その説明を5人ほどに行っても、社長を含めて皆が書類を後ろに放ってしまうような状態だった。管理担当の人だけは読んでくれたが。

というわけで、待っていられないから勝手に進めた。今はコンプライアンスの問題があるからそういうことはできない(笑)。当時の話も今だからできる。まあ、そんな風にして本体側が理解できないことは多いと思う。ただ、いずれにしても事業変革の背景には、統一通貨適用を契機とした欧州市場の統合加速があった。通関を含めて国別に設けられたさまざまな障壁は廃止され、国境の壁はますます低くなる。移動に関してはゼロだ。また、大手小売業は全欧州的再編で組織拡大を図り、流通支配を強めていく。恐らくマニュアル化も一本化されるし、共通言語は英語になる。

一方、当社は国ごとでばらばら。現地通貨ごとに上代をつけて統一もしていない。カタログもばらばらだ。キャッシュフローを考えると小さなユニットで個別にやっていても仕方がない。あと、問題になったのは「人」の部分だ。雇われの身なのに自分の国で皆がキングのようになっていて、その意識を変えるのが大変だった。結論としては3人のクビを切った。それぐらいしないと人の心というものは変わらない。

組織変革の基本方針についてお話をすると、まずはビジネス・モデルの共有が必要だった。それと当然ながらP/Lに表れてくるから…、今はB/Sをいろいろ直している最中だけれど、コスト構造を軽減しなければいけない。あと、英語を話さない人はもう無理だ。恐らく1980年代初頭から、ドイツも含めてヨーロッパでは英語教育が行われていた。だから今はライティングも話し言葉もすべて英語。だから汎ヨーロッパレベルで情報を共有できる。また、ボーナス制度を含めた評価制度も重要になる。

今、我々はグローバルで大変な競争をしている。ファッショングッズの側面もあるからデザインによる浮き沈みも大きい。だから日本のように年功を積んで、ある年齢になればポジションを手に入れるというやり方はほぼ必要ないと、個人的には考えている。実際、海外の競合は皆そうしている。プロの採用や専門職の育成が大事なのであって、昔のいわゆる総合職は通用しない。専門職をいくつも束ねることができ、かつ、それぞれの専門分野でもかなり話せる人材が初めて総合職になるのだと思う。

それと製品・サービスの質を向上させる必要もある。これは日本の得意なところだ。自分たちで研究して開発するというのが日本の特徴だと思う。ほぼファブレスで相手に任せてしまったり、良いものを獲ってきてそこにブランドを貼るというのもあるけれど、日本は研究開発をきっちり自分たちでやっていくという点が特徴だと思う。

価値を伝えるコミュニケーションも重要だ。これにはマーケティングも入る。1対1でも言葉やビジュアルで相手を説得できるプレゼンテーション…、TEDみたいなものだろうか、その力も必要だ。また、セグメントをはっきりさせて、どのチャネルが最も強いかを考える必要もある。(イゴール・)アンゾフが『ストラテジック・マネジメント』(中央経済社)で書いていることだ。あれは1972~73年に出た本だけれど、僕はあれが正しいと思っていまだに使っている。そして、グローバル化。特定の地域に限定されず、どこでも誰でも受け入れることのできる普遍的価値を持つこと。そうすれば自動的にグローバルでも受けることになるのではないかなと思う。

それと、私たちもどれほどできているか分からないけれど、2000年からは組織統合にあたってノレッジマネジメントということをしきりに言っている。我々は各国で概ね首都にオフィスを置いているから、本来ならグローバルにローテーションしたらいい。ただ、なかなか環境が違うので。

では、何をどう変えたのか。1980~90年代の日本企業は皆が欧州本社を設けたうえで各国に販売会社をつくっていた。で、各国販社にも経理や社長を置いてローカルマーケティングも在庫管理もすべてやらせていたわけだ。そのなかで在庫が移転していく。そして欧州本社は単なるペーパー。やっているのは各国販社だから言うことを聞かないという構造だった。そこで僕らは…、コミッショネア・モデル、Stripped Buy-Sellモデル、エージェント・モデル等々、オペレーションにはいろいろあるけれど、地域販社のエンティティはすべて残すことにした。で、そこは地域での販売とローカルマーケティングと商品の回収をする。当然、そのための発注もする。ただし、地域販社はそこまで。倉庫は欧州本社が持つ。従って、イン・トランジットから倉庫に入って、どこにどれだけ行って回収がどうなっているかをすべてウォッチできる。そこにすべての機能を集中させ、「地域販社は販売促進とローカルマーケティングと顧客管理をやってくれたらいいんだよ」という形に、ヨーロッパだけはしている。(00:47)

なぜか。銀行や商社はロンドンにヘッドクォーターを持って行ってブランチにしたけれど、僕たちは倉庫がある。イタリアの倉庫で何かあれば、オランダ私のところへその話が来る。組織が一体だから。また、EU法はあるけれどもローカルの法とタックスは残っている。従って、ユニットで残しておいたほうが、責任回避という意味ではないが物事も大きくならない。それで販売会社を別途残し、マージンコントロールをしている。今はまだオランダのヘッドクォーターですべて吸い上げたわけじゃない。ローカルにもだいぶ残っている。まあ、そのいい加減なところがいいのかなというか、ローカルの税務署もガバメントもあまり嫌な思いはしていないと思う。

あとは物流。今はSCM(サプライチェーン・マネジメント)の部隊をつくって全世界で物流最適化を考えている。自分たちでやるのか、それとも3P(サード・パーティー)でやるのか。専門性の追求、膨大なプログラミング、各国での雇用とその管理といったことをすべて自分たちでやるのかと考えると、恐らく3Pのほうがいいと思う。ただ、なぜ中央倉庫をオランダからドイツに持っていったか。今のところヨーロッパは5つほどの倉庫群ですべてやろうとしているけれど、それは第一弾。今後は真ん中に持ってきてトラッキングでやろうとしている。ただ、問題は倉庫の労働力だ。たとえばオランダには二千何百人しかいない。だから、倉庫会社の社長とも話をして、「あ、やっぱり難しいのかな」と。その辺が課題だと思う。ロジカルには3Pで専門職とアライアンスを組んでいくのが正しいと思う。今、日本のEコマース系はほとんどそうしているけれども。まあ、これもいろいろ考えているところだ。

あと、ガバナンス改革のお話もしたい。実はそれまでペーパーも稟議書も何もない会社だった。そこで、先ほど言ったように本体は何もしてくれないので自分で走り出した。PWCのコンサルやアーンスト・アンド・ヤング(E&Y)の監査人と意見や情報を交換したし、幸いなことにオランダ経済投資省のサポートを受けることもできた。それで、できることは自分たちで、分からないとこは彼らに聞いて進めていった。

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まず、内部統制、管理システム、そしてレポート・フォーマットを作成していった。統括会社内に子会社の経理に関する管理部隊をつくった。実態は国ごとですべて動いているから、そこを早く財務的に把握できなければ彼らが何をしてマイナスになっているのか分からない。200億の引当はほとんどが未回収だ。私も商社にいたから分かるが、回収にはL/C(信用状)やB/C(代金取り立て手形)、前払い等々、いろいろなテクニックがある。でも、それが分からないまま商品を送って、「お金を送ってくれ」と言っては相手が夜逃げしたり、「お金がない」と言われたりしていた。それで2年も払っていなかったりする、と。当然、会計的には1年を超えるとすべて引き当てさせられる。それが赤字の原因になっていたわけだ。

また、それに関連してController会議、日本で言うところの管理者会議を設けた。日本では「人」の漢字が示す通り、管理部門と営業部門が助け合う構図になっているが、海外ではそれが絶対にない。あちらではCEOのあとにCFOが付く。だからCEOが何かしてもCFOが絶対にチェックできない。だから、「ヨーロッパも見ているぞ」と。「あなたたちはヨーロッパの一員だよ」ということで、Controller会議を開催して彼らの目線をこちらに向けさせていった。それと、月次与信会議(Credit Control Meeting)も開催していった。日本では当たり前だけれど、これさえやっていなかった。そこで「A」から「D」まで、今で言うエマージングの新規アカウントをつくって「C」と「D」は潰していった。そこで赤字のほとんどがつくられていたからだ。これを1年ほど続けると経理的な与信会議が営業戦略会議に変わっていく。本来、そういうものだ。営業によって売掛金も買掛金も生まれるわけだから。今は会社に大きなディビジョンができているのでそういうことはしていないけれども。

稟議規定(Limits of Authority)も設けた。ただ、最初に簡単なものをつくっていたのだけれど、各地域はそれぞれ大きさが違う。それで、たとえば最も大きなイタリアの社長には、「これだと俺はぜんぶ書かなきゃいけない」と言われた。だから各国のビジネススケールに合わせて稟議書をつくっていった。それを今は全世界のヘッドクォーターで使っている。現在の日本における事業変革の中身は、このときやったことがすべてだ。それをグローバルレベルに変えているだけと言える。

各国で行動規範(Code of Conduct)も決定していった。日本人はこれをつくらないから僕も分からなかったけれど、これをつくって各地域の社長と本体のディレクターレベル全員にサインを求めた。あと、従業員マニュアル(Employee Manual)の作成には2年ほどかかった。僕らはアメリカ的に「カーキのズボンにポロシャツでいいよ」なんて言っていたのだけれども、「それはノーだ」と言う。「服装指定はダメだ」と。そこから混迷の世界に(笑)。「やっぱり違うんだなあ」と思った。夏は短パンを履いて裸みたいな格好で仕事をしている。これ、僕は良くてもルール的にはダメだと思ったけれど(笑)、服装に関してはいまだにフリーだ。こういった従業員契約も重要になる。

あと、これは今となっては月並みだけれども、コーポレートガバナンスも強化していった。たとえば何人もの従業員を切っている。いつも(仕事と関係のない)ウェブサイトを見ていたりするような従業員は管理系が探してきてくれたので。そういう方が辞めていくとどうなるか。会社が球体になる。そこから飛び出た変な人は周囲の人間にも悪影響を与えてしまう。だから弁護士をきちんと入れて、民法に従って切っていった。すると職場がだんだん明るくなっていった。

それと会議体も統一していった。現在は「神戸のヘッドクォーターで取締役会があるときは、予算を通しましょう」と。そこにアメリカやヨーロッパ各地域のボードが決めたものを上げる形にしている。ただ、それだけでは堅いので欧州経営会議というものも設けた。そこでマーケティングや物流といったいろいろな話をしていく。で、リーガルには各国の子会社取締役会とヨーロッパ取締役会を通ったものがグローバルヘッドクォーターに上がってくる。あと、オランダに旧代理店を買収した販売会社と統括会社があるので、「2社は不要だ」ということで1社にした。それでヨーロッパ統括会社のなかにオランダのビジネスディビジョンをつくった。

あと、資本の流れもばらばらだったので、フランスの会社を本体から買い戻したり、ドイツでも本体の株を買い戻したりしてキャピタルフローをすべて一体にした。アシックスジャパンの下にヨーロッパの会社があり、その下に子会社がある形にした。それで、無配だったのを「2円配当してください」と、本体に13億の原資で配当してもらった。配当は思ったほど出てこないけれど、月間黒字でも配当していない会社は銀行で「A-」の評価になる。1円でも配当すると「A+」に変わる。格付けじゃないけれど、たとえば本体が2円の配当をすることでアシックスジャパンおよびグループ全体の銀行内評価が「A+」になる。そんな話を聞いて、「それでいいからやれ」と。それで今は伸ばし続けていて、世の中の状況を見ながら配当額を決めているところだ。

ちなみに2002~2003年頃からはヨーロッパでもSEC会計基準が採用されるようになっていて、実務的には他のドイツ会計基準等が使われなくなってきた。すべてSEC系だ。たぶん日本もアメリカ型会計システムになっていく。ヨーロッパですら完璧にそうなっているので。会計学の学校でもドイツ会計基準やヨーロッパ会計基準といったものはもう死語になっていると、個人的には思う。

ということで、2003~2004年頃からは攻めに転じてテリトリーを拡大してきた。今、ヨーロッパでは全ロシアとCIS(独立国家共同体)にも広げていて、モロッコと南欧では今年10月にスプリングボクス(ラグビーの南アフリカ共和国代表)のレプリカジャージを販売する契約をした。すでに私たちの手で市場に出している。ただ、トルコは昨日か一昨日に諦めた。まだ政情・財政面で不安があるので。あとは並行輸入。アメリカも含めて世界中で「オニツカタイガー」が動いていている。こちらには生産時にペーパーのRFIDチップを入れ、どこで流れているかをすべてチェックするようにした。

変革に関してはこのぐらいになる。まとめると、やはり形通りペーパーでルールをつくって、それを伝達し、組織を運営していくことが大切になるのだろうと思う。

残り時間で「オニツカタイガー」の話もしたい。これはひとつのブランドの顔というか、イメージとしてつくった。「PITTI UOMO(ピッティウォモ)」というイタリアの展示会発表に合わせ、日本を含めて全世界の担当を集めて会議を行った。そこでルールをすべて決めて、グローバル統一展開を始めた次第だ。ブランドとしてどこへ行くかといったポーションも決めていった。ブランドのキャラクターとしては‘Heritage’と‘Japanese’という二つの要素が強く、これが他社との差別化につながっている。

欧州での成功を振り返ると、ラッキーだったのはクエンティン・タランティーノ監督の映画『キル・ビル』で主人公を演じたユマ・サーマンが「オニツカタイガー」を履いてくれたことだ。ヨーロッパではそのプレミア上映に評論家を呼んだりDJに商品を送ったりして、フランスのテレビでは2回ほど無料で紹介されたりしていた。バーニーズ・ニューヨーク、アンドレアポンピリオ、蜷川実花さん等々、今はいろいろなところとコラボをしている。また、世界各地にショップもつくってブランドの世界観を表現していった。

そうして「オニツカタイガー」がドメインを牽引していった結果、2007年と2008年には「アシックススポーツスタイル」と合わせて250億超の売上になった。ただ、我々はそこでブランドをリセットしている。「オニツカタイガー」をブティックブランドにして、その他のスポーツスタイルはビッグボックス(大規模小売店)に売ろう、と。横から見ると同じだけれど、要はトヨタさんのマークIIと同じだ。あれは(マークIIとクレスタとチェイサーで)3つあったと思う。そのことが頭にあったので、ブランドを大切にする意味で「オニツカタイガー」は限られた登録ブティックで販売していった。で、「量販したいものはビッグボックスでやってくれ」と。それで売上自体は落ちてきた。

ただ、大変自信づけられたのは、2002~2003年頃にトヨタさんやBMWさんがヨーロッパで消費者調査をしていて、たとえばBMWさんが「MINI Cooperの顧客にはオニツカタイガーの顧客が合う」と言ってくれていた点だ。それでしばらく契約していた。MINI Cooperのモデルは世界中で「オニツカタイガー」を履いている。逆に僕たちは「ブランドイメージはアウディにしよう」と言ったりしていた。車のデザインやイメージは僕らにも大変使えるものだったから、その辺はすんなり理解できた。それで2004年アテネオリンピックの際、MINI Cooperディビジョンの社長に契約サインをいただいた。

だいたいこんな感じだ。当社には「アスレティックスタイル」ということで野球や100mもあるけれど、「オニツカタイガー」の世界をもっと拡大することで異なるブランディングを行って、顧客層を広げたい。あとは堀先生との対談で何かあればご質問いただきたいと思う。ありがとうございました(会場拍手)。

→ アシックスのグローバル戦略[2]は5/5公開予定

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