スプリー・安藤氏×ウォンテッドリー・仲氏×ETIC・宮城氏 「新たなワークスタイルが社会を変える」 講演 

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佐藤大吾氏(以下、敬称略):あすか会議には毎年寄せていただいているけれど、今回の参加者は史上最大の900人。本分科会も全体会のようでやりがいを感じる。ただ、壇上の3人とは長いお付き合いだ。くだけた雰囲気でいきたい。それで、今日は打ち合わせもしていない(会場笑)。大事な話は会場の皆さんと共有したいから事前のお話をほとんどしていなかった。従って、まず「最近何やってるの?」というところから入ろう。ちなみに、僕自身はジャスト・ギビング・ジャパンおよびドットジェイピーという2つの非営利団体を運営している。あとは議論のなかでおいおい触れていきたいが、3人にも同様に、普段どんなことをしているかを伺いたい。今日は会場にも早めにマイクを振りたいので、今から質問を考えておいて欲しい。では、ミッフィーから。(01:10)

31462 安藤 美冬氏

安藤美冬氏(以下、敬称略):グロービスさんとのご縁は、軽井沢で去年開催された「G1ニューリーダーズサミット」からだ。ただ、そこでご一緒に登壇したのが古市(憲寿氏:社会学者)さん、駒崎(弘樹氏:認定NPO法人フローレンス代表理事)さん、そして為末(大氏:一般社団法人アスリートソサエティ代表理事)さん。いきなり「ネット炎上4人衆」と紹介されて4人で炎上トークをしたという(笑)。だから今日は登壇2回目にしてようやくちゃんとした話ができそうだと(笑)、前のめりでわくわくしている。(04:20)

私自身は2004年から7年間、集英社に勤めた。営業部で採用され、広告部や宣伝部で唯川恵先生や北方謙三先生の文芸作品プロモーションから始めている。で、その後ライトノベル系の「スーパーダッシュ文庫」担当になった。ちょうど来週封切りされるハリウッド映画の原作として話題になった「オール・ユー・ニード・イズ・キル」を出している文庫だ。そこで、当時は担当した単行本でシリーズ累計ミリオンセラーが出たりしていた。その集英社を辞めたのが4年半ほど前。現在は小さな法人で代表を務める傍ら、多摩大学でソーシャルメディアやキャリアデザインの講義を週3日持たせていただいている。こちらは選任講師という感じで、皆にも相変わらず「ミッフィーさん」と呼ばれる感じだけれど(笑)。で、週の残り半分は引き続き、複数の雑誌で連載を持たせていただいたり、書籍の執筆をしたりしている。あと、今年は「ピースボート」に乗ったり海外取材に何件か行ったり、書く仕事にも力をいれたり、企業さんと一緒に商品開発やイベント開催も行ったりと、多岐にわたって仕事をしている。(05:17)

ただ、私は学生時代に起業していたといった経歴がまったくない。むしろインドやタイで1日1ドルぐらいの部屋に泊まりながら、友人とバックパッカーで海外を周り続けていたような大学時代だった。「起業して社会を変えよう」といった大志を抱いていたタイプでもない。だから今日は壇上で恐縮しているけれど、楽しい話を何かひとつでもできたらいいと思っている。(会場拍手)(07:06)

佐藤:ミッフィーは新しいワークスタイルをつくった人として認知されていると思う。たとえばミッフィーのことを自分の友だちに説明するとき、皆はなんて言うんやろう。(会場から「ノマド」の声)。「ノマドのミッフィー」と。それ、嬉しいんですか?(07:51)

安藤:そこは自分としても大切に考えてきた部分なので。「働くことは人生そのものだ」という言葉もあるけれど、実際、仕事を抜きにして自分の人生を語れない。だからそこはなるべく自分らしくありたいと思っている。私は以前一度、抑うつ状態で休職をしたこともあるので、「心身とも健やかに働けるやり方ってなんだろう」ということは真剣に考え続けていた。そういう意味ではありがたいと思う。(08:21)

佐藤:続いて、仲ちゃん。フェイスブックジャパンの社員がまだ3人だった頃、彼女はその一員だった。“大”フェイスブックの日本オフィスは当時、マンションの一室だった。そこで副社長だった僕の友だちを訪ねてマンションへ遊びに行ったら、若い女性が頑張っている。「どんな仕事をしてるの?」と聞くと、全世界にいるフェイスブック社員のなかでただ1人英語が喋れなかったその副社長に英語を教える仕事だと(会場笑)。大変気の毒な状況だったけれど、最近はどんな仕事をなさっているのだろう。(09:03)

31463 仲 暁子氏

仲暁子氏(以下、敬称略):私は京都大学の経済学部経営学科というところにいて、学生時代から会社をつくったりすることに興味津々だった。それで学生の頃から起業のようなことをして失敗したりもしつつ、結局、新卒時は大企業に入っている。ただ、その後ご縁があってフェイスブックジャパンに入り、さらにそのあと、これもまたタイミングが良かったということで2011年頃にウォンテッドリーというサービスを1人で始めた。当初は周囲にエンジニアやデザイナーもいなかったので自分でコーディングなども行ってプロトタイプを作ったりしていた。それがある時、「TechCrunch」というウェブ系メディアに取り上げていただいたことで一気に火が付き、仲間も増え始めたという流れになる。これは元々ウェブサービスとして始めたのだけれど、最近はモバイルアプリのほうが主流になってきている。今はiPad版やアンドロイド版も開発し、サービスを使えるようにしているところだ。(10:09)

ちなみにウォンテッドリーをご存知ない方はどれほどいらっしゃるだろう(会場若干挙手)。あ、結構いらっしゃる。一言で表現すると、「会社へ遊びに行けるサービス」になる。「リクナビ」さんや「マイナビ」さんといった就職情報サイトを活用する場合、会社へ行くときはまず面接になるけれど、ウォンテッドリーはその一歩手前。「遊びに行きたいボタン」を押して、その企業とカジュアルに話をする。ひとり説明会のような言い方ができるかもしれない。で、行ってみて「良かった」と思えば、そこから採用プロセスに入る。今は月間30万人ほどの方にご利用いただく規模に成長した。ユーザーは20〜30代が中心で、東京の方が多い。利用される企業さんの数もかなり増えてきた。当初中心だったウェブ企業に加えて最近はナショナルクライアントさんも増え、今はおよそ3300社に使っていただいている。代表的なところではヤフーさんや「スープストックトーキョー」を展開するスマイルズさん。あと、サントリーさんにも最近は使っていただいているし、リクルートさんにもいろんな部署で使っていただいている。(11:36)

私たちのミッションは何か。我々は「シゴトでココロオドル人を増やす」という言い方をしている。仕事がお金を稼ぐためだけの手段になってしまい、月〜金は死んだように生きて土日にストレスを発散しているような方は今の世の中に多いと思う。そうした方を1人でも減らし、自己実現を仕事に重られる、あるいは仕事を通じて社会貢献できるような人を増やしたい。目をきらきらさせて仕事をするような人たちを増やしたいというミッションの下にやっている。(13:21)

佐藤:たとえばご自身がゴールドマン・サックス証券に入社した頃と比べて、何か変わってきたなと感じる部分はあるだろうか。(14:09)

仲:最近は優秀な人がスタートアップに興味を持つ機会が増えてきたというか、スタートアップのことを怪しいと思わない人が増えてきたと感じる。たとえば今では300〜400万人が使っている「グノシー」というニュースアプリの会社は、当時東大院生だった方が大企業の内定を蹴って始めたスタートアップだ。まだ設立2年目だけれど売上も上がっていて上場間近と言われている。弊社サービスを利用する企業にスタートアップが多いこともあるけれど、ほかにもそうした事例は増えてきたように思う。「食べログ」のソーシャル版と言われる「Rettyグルメ」もそうだ。まだ誰にも知られていなかった頃、三菱商事に入社して5年目ぐらいの方がCFOとして参画した。そんな風に、優秀な層がスタートアップにどんどん参加するのを周囲でよく見るようになった。(14:35)

佐藤:一方で、大手新聞社が先日行ったアンケートでは、「親が子供に希望する就職先」ランキングで、「設立間もないベンチャー企業」が最下位になっていたということもある(笑)。(15:46)

仲:(笑)うちもスタートアップとして何人か新卒を採用しているけれど、たしかに親御さんの顔色を伺ってしまうことはある。「安心してもらいたいな」と思うけれど。(16:25)

佐藤:「もう22歳やねんから自分で考えろ」と思うけど、親の影響で進路を決める人が世の中に多いのも事実だ。特に設立間もないベンチャーの創業者にとって、親御さんの説得が大事というも分かる。(16:35)

仲:ただ、ベンチャー企業である私たち自身がスタートアップを支援しているからというのもあるけれど、「それを変えなければ」という思いはあるし、「変わってきているな」という感覚もある。10年前に比べたら環境はまったく変わった。特に資金調達の状況はここ数年で大きく変わってきた。たとえば3年前なら2億円の調達ができればすごいというレベルだったけれど、最近は未上場でも、あるいは売上がそれほど立っていない状態でも、たとえば15億円も調達するようなところが出てきた。これは明らかに、優秀な人たちが集まれば大企業じゃなくてもお金を出す人がいるということ。そして、ウォンテッドリーのようなサービスでも人が集まると。それで、ヒト・カネ・モノが集まれば、よりスピーディに大企業と互角に戦える時代が来ている。その事例が次々出てきてメディアに取り上げられていけば、風潮も変わっていくのかなと。その結果として、先ほどのランキングでもスタートアップが1位になんていう話になればいいなと思う。(16:52)

佐藤:ただ、設立間もないベンチャー企業でも、一部はメディアでいきなり露出されたり大型資金調達に成功したりして、いきなりショーアップされてバンと出てくるところもある。グノシーやナナピのように。たとえばグロービスが出資しているところは、だいたい最初から一気に出てくる。あれ、何が違うのだろう。「その他多くの創業間もない危ういベンチャー」と、「有名な創業間もないベンチャー」の違いが知りたい。(18:15)

仲:全体的な話になるけれど、肌感覚で言うとメディアもスタートアップに優しくなってきたのかなと感じる。ウォンテッドリーもこれまで日経さんに10回ほど取り上げられている。10年前ならあり得ないことだ。本当に小さな、ほとんど誰も知らないようなスタートアップも名前レベルではあちこちから出てきているし、もしかしたらメディア側で伝える人達も温かい目に変わってきているんじゃないかなと思う。(19:00)

佐藤:では、そんなベンチャーたちを勃興期から今に至るまで、生き字引のようにすべて見守ってきた宮城さんにも自己紹介などをお願いしたい。(19:32)

31464 宮城 治男氏

宮城治男氏(以下、敬称略):大吾さんとは学生時代から20年近いご縁だから昔話をすると長くなってしまうけれど、私はこれまでずっと、スタートアップに挑戦する若い世代の応援を仕事の中心に置いてきた。また、大学生を中心とした若い世代による新しいキャリアへの挑戦も応援しつつ、次世代のリーダーを育てていくということにも取り組んできた。今の仕事はまだ学生だった1993年、まさに安藤さんや仲さんのような人が出てきて活躍できる世の中にしたいという思いでスタートしている。(19:52)

自分は早稲田大学時代、好き勝手なことをしている先輩たちをずいぶん見てきた。当時はバンドブームだったから音楽をやる人たちもたくさんいたし、早稲田は演劇が盛んだったから夕方になるとキャンバスが発生練習で蛙が鳴いているような状況になっていた時代だ。「政治を変える」と息巻いている雄弁会の先輩もいた。ただ、そういう人たちも皆、4年生になると足を洗って、偏差値で選ぶような就職活動を始める。それで就職するのはいい。でも、卒業後も部室に来たりして、仕事の愚痴とか、とにかくつまらない話ばかりする。そういうのを見て「格好悪いな」と思ったし、もったいないとも感じていた。「好きなことがあって、しかも本当ならそれを仕事にしようとしてチャレンジできる環境なのに、それをやっていないのはどういうわけなんだろう」と。(21:13)

自分たちの世代は生まれた時から物質的には恵まれていたし、飢えや戦争や差別といったものを脱したと思われるような時代に生まれ育った。それなのに、あえて自分で人生の可能性を縛っているのは申し訳ないというかもったいないと、当時は強く感じたことを覚えている。じゃあ、どうすればそこで風穴を開けられるかと考えた時に出会ったのが起業家という生き方になる。それで、「起業家になれる力のある人はなるべきだ」と。また、起業家の生き方に触れることで、自分の人生をもっと自由に選んで、かつチャレンジ精神を持つことは企業に勤めていてもできると感じた。だからそれに気付く機会をつくりたいと思い、大学に起業家の先輩をお呼びしてお話ししていただくといった活動を、サークルの形で始めたのが1993年になる。(22:35)

で、その後はITベンチャーブームがやってきたので、スタートアップの支援や、彼らのところにインターンを送り込むといったことを90年代にやっていた。で、その後、ベンチャーを支えるマーケットやエコシステムが日本でも少しずつできていった。1990年代半ばぐらいは、たとえば経産省がいくらと旗振りしてもベンチャーをやろうなんて考える人間はほとんどいなかった。でも、インターネットが登場してITベンチャーがブレイクし始めてから一気にその様相が変わる。彼らを支えるベンチャーキャピタルを含め、ベンチャーで挑むことが日本でもエコシステムとしてずいぶん定着してきた感がある。自分としてはそのなかで、よりインパクトがあり、かつそれを支える人がいない領域ということでNPOのスタンスをとってきた。それで2000年以降はいわゆる社会起業家と言われるような、社会の課題解決を事業にする人々のチャレンジを主に応援している。従って、私は親御さんが反対する仕事に挑む人の応援を続けてきたわけで、近寄ると危険だ(会場笑)。実際、そうした人々のご家族にはずいぶんと心配をかけたと思う。ただ、ご本人が挑んで後悔しているという話は聞いたことがない。(23:53)

佐藤:設立当時から株式会社でなくNPOとしていたのはなぜだろう。当時はまだ互いにサークルをやっていたから任意団体だった。(26:00)

宮城:株式会社にしないと強く決めていたわけでなくて、ノンプロフィットで仕事をすることの面白さにはまっちゃっていたというのがあると思う。(26:47)

佐藤:当時はめちゃくちゃマニアックだった。非営利というものの想像がつかないというか、選択肢として思い浮かばなかった時代だと思う。(26:57)

宮城:私としては常に最も自分らしく、かつ社会に最も大きなインパクトが与えられるスタイルを選ぼうとしていた。だから当時もNPOとしてストイックにやったというよりは、自分の強みとやりたいことを掛け合わせ、最も戦略的な選択をしたと自分では思っている。学生時代はお金もなければ権力もないわけで、人の力を借りるしかない。それで当時から行政やメディアの力をよく借りていたし、起業家の先輩方にもボランティアで来ていただいていた。実はオフィスも設立後7〜8年は無料で借りていた状態だ。結局、自分のスタンスがニュートラルで、志を掲げて仕事をしていればいろいろな人たちの心やリソースが動くという話だと思う。だからこそ、ノンプロフィットというスタンスは社会により大きなインパクトを与えることができると考えた。僕の場合は最初からそれだったから、NPOにはまってしまった。たぶん自分の体質というかキャラに合っていたのだと思うけれど、それで現在までこのスタイルで続けてしまっている。(27:03)

31465 佐藤 大吾氏

佐藤:ビットバレーのITベンチャーが華やかだった時代から、宮城君はそのど真ん中にいた。僕はてっきり、宮城くんは当時…、今となっては大きくなったけれど、生まれたてほやほやだったベンチャー企業の株式をほぼ全社ぶん、少しずつ持っているのだと思っていた。だから、当時はなんとでもできた人だ。宮城君のおかげでお金持ちになった人はいっぱいいる。(28:54)

宮城:オフィスも渋谷マークシティにあったし、どう見ても儲かっているだろうと思われていた。でも、それが一度もない。たとえば、当時は「ビットバレーアソシエーション」というNPOもつくっていた。シリコンバレーには「シリコンスマートバレー公社」という、シリコンバレー発展のプロセスにおいて重要な役割を果たしたNPOがある。業界団体というか、地域でコミュニティが形成されるための世話役や事務局みたいなことをやっていた組織だ。で、日本でも、「国内ではどこがシリコンバレーのように成り得るのか」といった議論が90年代ぐらいからずっとあったけれど、ITベンチャーが勃興し始めた時、彼らは気付いたら渋谷に集積していた。誰が集めたわけでもなく。そこで、たまたまそうしたベンチャーの大半と知り合いで、かつインターンを送り込んだりしていた僕が、いわばスマートバレー公社の日本版をつくるという話になった。だから、そんなふうに業界のど真ん中にい過ぎた僕がどこかに偏ってしまうと、先ほど申し上げたノンプロフィットのニュートラルなポジションがずれてしまうという懸念があったわけだ。だから、あえて1社に肩入れしないと決めていた。どうも後で聞くと、そう決めていたのは自分だけで(笑)、ほかの人たちはうまくやっていたらしいけれど、それでも特に後悔はない。フォープロフィットでも成功させられる力が自分にあれば良かったのだろうけれど、自分はNPOで精一杯だったから。(29:28)

佐藤:だからこそ、今の立場というか存在感や影響力もあるのかなと感じる。(31:36)

会場から「成功する人としない人にはどんな違いがあるか?」など質疑応答をまとめた後編はこちら

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