SOUP STOCK・遠山氏×ロート製薬・山田氏×DEAN & DELUCA・横川氏 「新たな業態のつくり方 〜"儲かる"と"喜ばれる"の両立に向けて」 前編 

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高島宏平氏(以下、敬称略):皆さん、こんにちは。起業されている方というのは「新しいことをやりたい」「イノベーションを起こしたい」「世の中に無いことをやりたい」という思いと、でも一方で「お金を儲けたい」「少なくともそれを継続できるだけの収益性を上げたい」ということを共通して思っている。それを成し遂げた皆さんに、今日はお話を聞いていきたい。会場の皆さんは、どんな話を聞きたいのか。

<会場からの質問>
・それぞれの創業の想い、事業計画がある中で経営されていて、自分の好きなことにこだわったのか、生き様について
・やっている本人が喜ぶことと、相手が喜ぶことと2つある気がするが、その辺のバランスについて
・「儲かる」と「喜ばれる」は、ある意味で二律背反する。どういう価値観でどちらを重要視し、バランスをとっているのか
・商品設計とプライシングについて【00:01:55】

高島:三者三様なので、まず簡単に三分ぐらい面白おかしく自己紹介していただきたい。どのような事業をやられて、どういう業態をつくられたかということを、遠山さんから。【00:04:46】

30721 遠山 正道氏

遠山正道氏(以下、敬称略):「SoupStockTokyo」、リサイクルショップの「PASSTHEBATON」、ネクタイの「giraffe」、ファッションの「mypanda」という4つをやっているが、いわゆる「会社四季報」的にはバラバラ。最初「SoupStock」を始める時の企画書に、「スープを売っているがスープ屋ではない」とか書いてある。私はスープを売るために生まれてきたのではない、要するに共感なんだと。共感の最初の旗がスープ、それに集まってくる仲間と良いものを作って世の中に提案して、お客と共感の関係性ができればそれがどんどん広がっていくだろうということ。だから、ラーメンではなかった。ラーメンだったら、今ここにいないと思う。また違うことをやっている感じがしている。だから、私は飲食業をやっているという感じがあまりない。

今年は社内外ベンチャー推進室というのを作ろうと思っている。飲食などで集まってくると、個人で「バーとかやりたい」というようなことがある。そういうのを大事にしたいと思っていて、かっこよく言えば、仕事と生きることはすごく重なっているから、その生きることをうまく会社も活用してあげる場をどんどん提供してあげていきたいと。そうすると、我々の業態は何というのかまだわからない、考えていないが、「会社四季報」の飲食店でないことは確か。【00:05:00】

高島:続いてG1ベンチャーの中で、社歴100年を越えたベンチャーの山田会長にお願いする。

30722 山田 邦雄氏

山田邦雄氏(以下、敬称略):ロート製薬の山田と申します。今年115年経った。私も一昔前は若手経営者と言われていたような気もするが、こうやって拝見すると、もうほとんどoldest経営者になっている。オールドエコノミー代表なのだが、それでもいろいろ頑張っている。そういう事例として今日は出させてもらった。

うちの本業は目薬とか、化粧品を最近やっているが、その他にもいろいろな新しいことにチャレンジしている。最初にお断りしておかなければいけないのは、新しいほうはまだ芽が出かけくらいで儲かるところまで行っていない。成功例という意味ではあまり参考にならないかもしれない。

我々は一般用の薬をずっとやってきている。よくよく考えると、薬を使うというのはあまり幸せなことではない。花粉症とか、僕らは花粉が飛ぶと喜ぶが(笑)、皆さんにとって決していいことではない。またドライアイで目薬も結構売れるが、そもそも目が乾かないほうがいい。そういう意味で、商売としてはいいが、もう一つやり甲斐がないというか、どこか自己矛盾みたいなものがある。本当の意味で、皆さんにプラスで喜んでもらえることをしたいというのがある。私は継いだ立場だったが、そういうことはずっと思っていた。一つはビューティー。美しくなるというのは本当に女性全員の、そして最近は男性もニーズがあるので化粧品のほうへ行った。でもよくよく考えると、健康のほうへ行かないといけない。それも、病気になってからの健康というのもあるが、やはり健康を増進するほうの医療への取り組みというのを今始めている。

それからもう一つは、「医食同源」という言葉があるが、薬より食べ物で健康になったほうがいいということで、食の分野で我々が何をできるかを考えている。しかしサプリメントを作っても、他にもいっぱいあるので面白くない。それなら一から作ろうということで、農場で一緒にやったりしている。また、植物工場という話題を皆さん聞くと思うが、実は本当に素晴らしい技術が日本には沢山埋もれている。環境をちゃんとコントロールして、工場の中で作った野菜のほうが、むしろ健康で栄養素もある良いものができるのではないかと、そんなことにも今取りかかっている。

それから、日本の中だけではどうしても狭いということで、ずっと海外展開をやっている。とりわけ中国も含むアジアの各国で、ずっとビジネスをやっている。これからもっと東南アジアの国々で、今やっているビジネス以外もやっていきたい。そこに今の「食と医療」が入ってくるのではないかと。収穫できるのはまだ5年ぐらいかかると思うが、オールドエコノミーがベンチャーにチャレンジしている、という状況だ。

高島:山田さんが社長に就任された時の売り上げはどれぐらいだったか。

山田:私が社長になった時は、250億くらいだった。今、国内は800億くらいだが、海外が500億くらいになった。売上構成比としては、売上の半分くらいがスキンケアの化粧品とか、リップクリームも含むがそういう商品になる。「ロート」といえば有名な目薬で、そこそこ堅い商売だが、今は30パーセントくらい。

高島:今のメインは化粧品事業で、社長になった時はほとんど無かった事業がそこまで拡がっているということか。

山田:そうだ。

高島:では、G1初登場の横川さんだ。【00:06:50】

30723 横川 正紀氏

横川正紀氏(以下、敬称略):もう朝から非常に緊張している(笑)。このすごいアウェイ感から始まって、昼ぐらいにはすっかり学校に戻ったような気分。さんざんいじっていただきたい。

私は「ウェルカム」という会社と「DEAN&DELUCAJapan」という2つの会社をやっている。「ウェルカム」は2000年創業で、「CIBONE」とか「George's」といった主にインテリアの事業を中心としたセレクトショップをやっている。「DEAN&DELUCAJapan」は、ニューヨークのソーホーに37年前に生まれた「DEAN&DELUCA」というブランドがあるのだが、それをロイヤリティビジネスで2003年からやっていて、去年で10年になる。

僕は体が小さいので喧嘩すると勝てないものだから、勝てない喧嘩はしないというのが子どもの頃からの癖。自分が勝てないところに行かずに、何か人と違ったことをするのがずっと好きだった。学生の頃に、洋服も好きだったので古着を売る仕事をしていた。僕らの頃はアメリカ西海岸から古着を持ってくるのが流行っていたが、なかなか勝てない。それでアンティークの家具の業界に行って、そこでバイトをさせてもらって勉強した。その後デザインが好きになり、建築がやりたくなって大学に行き、大学を出た後に3年勤めた。

その後、今の「ウェルカム」という会社を立ち上げた。家具屋から始まって雑貨屋、雑貨屋になんとなく洋服を入れ始めて、それでもお客が来ないのでカフェをやり始めて、という感じ。今僕らは「生活提案型事業」とか「ライフスタイルショップ」とか一応言っているが、最初に設計したというよりは、足りないことを足していく、自分の中に欲しいと思うことを足していく中で垣根を越えていった。「儲かると喜び」と書いたが、やればやるほど儲からなくなっていった10年間だった。

大体無理なことをして3年ぐらいで学んで何とか形になって、また無理なことをしてまた形になって、というのを繰り返して4回目の3年に入っている。感覚的に感じていたことも確かにあるが、そういう意味ではマイナー性を常に追いかけてきていた。もう一つは自身の価値観。自分の好きなことばかりやっていたもので、自身の価値観が洋服から家具、家具から家インテリア、家インテリアから器、器から食べ物、食べ物から人が集まる場所と、だんだん内面的な価値観に移っていって、それを素直に事業にしてきた。なんとなくそんな感じ。【00:12:53】

高島:3人ともすごくいろいろなことをやられている方々だが、今日は話をシンプルに学びやすくしたいので、それぞれ絞って話を伺いたい。さらに、「この人すごい」で終わらないようにしたい。そのために僕たちが明日からアクションに落ちるような学び、真似できるようなことを引き出したいと思っている。

遠山さんは、スープ屋という今までの世の中にない業態をつくられた。山田会長は、薬屋さんが化粧品業界に殴り込みをかけて穴を開けて、さらに農業界にも今手を伸ばしている。化粧品は山田会長の「ロート」さんによって、かなり業界が激変した。それから横川さんは、業態輸入という形で「DEAN&DELUCA」というマンハッタンの業態を日本に持ってきた。それぞれ違ったアプローチで一つ業態をつくり上げて、「喜ばれると儲かる」を両立されている。そこに絞って話を聞きたい。

最初の質問は着想。「何をやろう」という発想をどのように作り上げてきたのかということを聞きたい。遠山さんの場合は、「スープの有る1日」だったか、スープ屋と言われるのは違うかもしれないが、どういう着想できたのか。【00:16:23】

遠山:持って帰れる話ということで、最近私は社内で「四行詩」と言っている言葉があるので、それをお知らせしようと思う。

高島:既に真似できない感が満載だ。(笑)

遠山:そんなことはない。(笑)最初が『必然性』、2つ目が『意義』、3つ目が『やりたい』ということ、4つ目が『無かったという価値』、という4つだ。ビジネスは大変、苦労のほうが多い。「SoupStock」も利益が安定したのは8年目ぐらい。「giraffe」も黒字転換は7年目、「PASSTHEBATON」も4年目。潰れる機会はいくらでもあった。それでも、やりたいとかやるべきとか、立ち戻るところがあるから「もう一期やらせてくれ」と言って、それでなんとかたどり着いている。そういうことを踏まえて先程の4つがある。

例えば「SoupStock」でいうと、『必然性』としては、私は三菱商事のサラリーマン10年やった時に「サラリーマンで終わりたくない。社長とか1回やりたい」という、起業がまず根っこにあった。それから『意義』というのは、ファストフードの「安かろう、悪かろう」ではなく、「20円安いより、200円高くていいから良いものを食べたい」ということ。それから、『やりたい』ということは、スープを軸にした共感を作っていくということ。『無かったという価値』というのは、「これはオリジナル」ということ。最近、シンガポールに出店したが、海外に行くことを考えると、オリジナルであるということは非常に精神衛生上やりやすい。「私はこうです」と言えるだけで、全然違う。スープを最初に思いついた時にいろいろと調べていたら、ニューヨークでスープ屋があるというのを後で知った。行列になっている、雑誌にも出ていた、ということで見に行ったりもした。でもその順序が逆でなくて本当によかったと思っている。今まで私は「なぜスープか」と500回くらい聞かれているが、もしも、その度に「雑誌見てたらニューヨークにスープ屋があって、行列になってて、なんかイケてるからパクった。儲かりそうだからやろうと思った」と言っていたとしたら、本当に今の自分はない。目的が全然違ってしまう。「儲かるらしい」といったって、「だって儲からないじゃん」と言われたら、「ですね」で終わってしまう。

我々は海外未経験だが、「ガラパゴス」などと言うが「ガラパゴス」は最高。オリジナルの塊みたいなもの。140年前にちょんまげ結ってたとか、めっちゃイケてる。超アバンギャルド、お歯黒だ。(笑)そういうオリジナリティの宝庫だと思うので、オリジナルにたどり着くためには「どうしてだっけ」と自分から発する必要がある。うちはマーケティングというのが無い。そもそも私は絵の個展から始まっているが、アーティストは絵のテーマを決める時に客に。「何を描けばいいか?」、「今何が流行っているか?」など聞いたりしない。やはり自分が「これを描きたい」というのがあって、それでも独りよがりではなくて世の中の大きな流れも見た上で、「今はアブストラクトだけではなくて、もっとペインティングのほうに行きたい」とかがあって着地する。そのように、アートだって霞を食って生きてはいけないから、売れないといけない。アートとビジネスは似ていると思う。

20世紀は経済の時代、21世紀は文化の時代、これは耳障りのよい言葉ではない。21世紀は需要と供給が全く逆転してしまっている。経済の眼鏡で市場を見ていても、無理だと思う。経済の眼鏡ではなくて、もっと価値そのものを我々が喜んで提案しなければいけない。それに対し世の中がイス取りゲームだとすれば、イスを持って寄ってきて、共感して来てくれるということ。だから文化をちゃんと提示できないといけない。それは楽ではない、すごく難易度の高い話だと思うが、そういったことをやっていかないといけない。そういう時に、先程の4つの言葉を繰り返しながらブラッシュアップしている、という感じだ。【00:18:22】

高島:ちなみに「SoupStockTokyo」を立ち上げた時に見た世の中の流れはどういうものか。

30724 高島 宏平氏

遠山:私は自分の本の一行目に「『なんでこうなっちゃうの?』という、世の中に対する苛立ちや疑問からSoupStockは生まれました」と書いた。ファストフードは「速い」という意味なのに、悪いものの代名詞のようになってしまっている。母親が娘に「あんたファストフードばかり食べてるんじゃないわよ」みたいに。それから、最近我々はファミレスを始めたが、「ファミレス」もファミリーで行けるレストランなのに、独特のものになってしまっている。「我々がファミリーで行けるレストランをやったらこうなる」というのを、我々なりに提案したい。要するに「おかしいよね」というところ、ダメなところを発見するとときめく。「あ、これ良くすりゃいいんじゃん」、「我々だったらこうするよね」というのが1つの着想。

高島:世の中のイマイチなところを見つけてやっていくと。

遠山:そう。だから発明とかではなくて既にあるものでいいと思っている。

高島:なるほど。遠山さんはニューヨークのスープ屋を先に知らなくてよかったと仰ったので、次に横川さん、ニューヨークのマンハッタンの「DEAN&DELUCA」を持ってきたというところを…(笑)。元々デザインの会社をやっている中で、出会いがあってやられたと思うが、どうしてやろうと思われたのか聞かせてほしい。【00:24:33】

横川:僕は遠山さんの本を最近改めて読んで、「スープの有る1日」という企画書に感動したが、あの時(1998年)にあれを書かれたのはすごい。逆に僕はどちらかというと、やりながら考えてしまうタイプ。すごく素直に海外に対する憧れが人一倍強く、高校の頃はアメリカに行きたくて、留学して帰ってきて、今度はヨーロッパに行きたくなって、バックパックみたいなものでいろいろなところに行っているうちに仕事でも出張に行けるようになった。

海外に行く中で見るファッションであったり、カフェという文化だったり、ギャラリーだったり、公園だったり、街で見たり体験したりするもので「自分の周りになんとなく無い」、「あるけどちょっと違う」と思うことに対して、「日本でもあったほうがいいのに」とか「自分の住んでいる街、友達に届けてあげたい」とかそんなところからいつも事業をやってきた。

インテリアも買い付けは海外がメインだったが、一緒に連れて行ってもらったり案内してもらったりする先輩が、「たまにはホテルではなくていわゆるアパートメントハウスみたいなところに泊まって、地元の人みたいに地元で食材を買って、自分たちで料理するほうが面白くないか」といった話をされた。ある時から出張のスタイルが、そういうスタイルに変わっていった。そんな頃に、ロンドンに行くと「ハロッズ」があったり、「ハーヴェイ・ニコルズ」があったり、ニューヨークの「DEAN&DELUCA」も然り。自分が好きだと思う街にいつも格好いいグロッサリーがあった。

僕の街には「西友」があったが、「大好きな西友が〜」とはあまりならなくて、「自分の母親が行って料理を作ってくれたスーパー」のイメージ。「自分が大人になってあそこに行きたい」とならない感じがして、そこを自分たちで形にできないかと思い、いろいろ企画書を作った。それを業界の方に「こういうのをやりたいと思う」とお持ちしたが、総スカンだった。全然ダメだと。基本的に食物販というのはもうルーツの形がはっきりできているし、それだけいいものをやりたいと思ったら百貨店に勝てないと、そんな店をいきなりやってもできない、といった話をされた。

諦めかけていた頃に、自分たちが勉強していた「DEAN&DELUCA」側から逆に日本でやりたいという話が来た。実は、「伊藤忠」さんもその話はあるが実際にそれをやってくれる人がいない、というところで「DEAN&DELUCA」との出会いがあった。だから僕らは「DEAN&DELUCA」をやりたかったというよりは、何かスタイルのあるグロッサリーを作りたいという想いがあって、その時に自分たちが憧れていた店と偶然出会った。そういうことから始まって、アメリカのまんまを持ってくるというよりは、それをどう一緒に実現していくかをやってきた。【00:26:16】

高島:そうすると、やりたいオリジナルというのは自身の中にあって、「DEAN&DELUCAアメリカ」をツールとして使ったということか。

横川:結果的に一つの手段になったと思う。あんなに「絶対ダメだ」と言っていた人たちに、同じように「DEAN&DELUCA」の企画書を持って行ったら「是非やろう」と言われた。この違いは何だろうと思った。でもやはり世の中は、それなりに何か既成のものがあると安心し、無いと「何か保証は?」という話になる。そこがなかなか突き抜けられなくて、雑貨屋を小さく始めた時はまだできたが、グロッサリーの場合はどうしても結構投資などが大きかったので、なかなかそれが前に転がっていかなかった。だから自分たちの力だけではどうしようもない時は、人の力を借りるというところは正直あったかもしれない。そういう意味で「DEAN&DELUCA」という歴史と信頼が自分たちのやりたいと思っていたことを押してくれる一つのきっかけになり、そこから本格的にやっていったというのは確かに事実だと思う。【00:30:14】

高島:では、山田会長に化粧品事業の立ち上げの頃のことを聞きしたい。他の2人とは違って全てを自分お一人で考えたというよりは、若い社員の発想と山田さんの方向性がうまくかみ合ったのではないかと思う。どのようにして社員のアイデアを目利きして、今これだけの柱になるような事業を着想されたかというところを教えてほしい。

山田:去年テレビ番組の「カンブリア宮殿」に出たが、その中で「入社何年目の女子社員が、ある日突然会長のところに寄ってきてヒソヒソ喋って、それで決まった」というストーリーになっていた。半分は本当。彼女が中心になって「新しいブランドを作りたい」とやってくれた。ただ、僕の側としてもあの分野をやろうと密かに思っていたので、手柄は譲っているがボーッとしていたわけではない(笑)。あまり既存の概念にこだわらない若手のパワーが実際にあったのは一つの事実。

見ていると、遠山さんは改めてアーティストというか、まずファッションが全然違うし、哲学者でもある。それに比べてうちは、大学のサークルのノリに近いかもしれない。どちらかというと若手の社員がワーワー言う中から「じゃあ、これをやってみよう」というノリ。特にマーケティングのほうは比較的そういうノリ。ただ、2人の話を聞きながら少し違うとこがあると思った。一応製薬会社だし、基本的にはサイエンスに突き動かされてというのがある。いわゆる「肌研(ハダラボ)」の場合は、ヒアルロン酸を限界まで入れたらどうなるのかといろいろ実験をすると、「これはなかなかいいぞ」というデータが出たりする。その前にはビタミンCの「オバジ」というのをやっていたが、これも「ビタミンCを20パーセント入れたら、ものすごく効果がある」と。それまでのものは3パーセントも入っていたらすごく入っているとされたが、濃度でこんなに違ってくるという発見があった。基本的にはそういう技術のほうのシーズが、よくよく考えたらいっぱいあったかと思う。

それから今日午前中のセッションでも、「アカデミア後の連携」ということがテーマの1つになっていた。これは本当に大事なことで、日本のアカデミアというのは分野にもよるが、5年10年の蓄積でないものがアジアの新興国に比べてもある。しかしそこに埋もれているものもいっぱいあって、それはもっとビジネスの側が引き出して形にしていく必要がある。僕たちの場合、マーケティングのほうは後から付いてきたというか、ノリでやっている部分もある。これまではわりに、そういうパターンがうちの場合うまくかみ合ったかと思う。【00:31:26】

高島:当時、化粧品事業を始める時は薬の元々の事業も堅調で、新しい事業をやらないと潰れてしまうという状態ではなかったと思う。かつ、化粧品の事業というのはかなり堅いというか、大手の方々が多くて、薬屋さんが化粧品の事業に行くのは非常に勇気の要る決断だと思うが、その辺りのためらいとか抵抗とかはなかったか。

山田:会社が長くやっているし、それなりに内部留保もあるので、今日明日潰れるという状況ではもちろんなかった。でも、うちのポジションとしては大手にどちらかというとやられる立場だったので、このままではいけないという危機感はすごくあった。だから、背中から押されて前へ行ったというのに近かった。これが業界ナンバーワンで圧倒的に強ければ、そんな冒険はしなくても、ということになっただろう。幸い業界で10位ぐらいにいたので、それぐらいだとどうでもいいレベルに普通なってしまうので、そういう危機感というのはあった。【00:35:56】

高島:まず3人の着想の部分を聞いたが、その後どうやってそれを実行していくかというところを聞きたい。遠山さんは、チーム作りでどういう人を身の周りに置いたのか。経営するアーティストということで、非常に多彩であり、且つかなり偏りのある方だと思うが(笑)、どのようなチームを作ったのか。先程「事業作り担当」もいると仰ったが、着想を実行するにあたってどういうチームでどうやって実行したか。【00:37:20】

遠山:うちは元々三菱商事が株主だったこともあり、意外に皆まじめな人たち。ちゃんとした人がたくさんいる、うちの会社は(笑)。上手くバランスをとっている。でも最初やるときのチーム作りみたいなものはある。スープでいうと3人で最初は始めた。青山の「パレス青山ビル」というアパートの六畳二間の和室で、畳を床に貼り替え、障子はそのまま残した。一人何役もやる感じ、野球を4人ぐらいでプレイしている感じ。

それは新しい事業をやる時もそう。私が「PASSTHEBATON」を始めた時は、リーマンショックがあり、事故米という事件を起こしてしまい会社がすごく大変な時だった。その時に物件ありきで、丸の内でこれやりたいと思い、だれにも言えなくて経営会議でこっそり年度末ぎりぎりにそっと出して、なんとなく認めてもらい、アジトのような会社の隅で始めた、みたいな感じだ。【00:38:00】

高島:最初に身の周りに置く人の人選はどうしているのか。自身のできないことをできる人とかなのか。

遠山:皆そうだ。私は会社で、経営は副社長、人事は人事部長、営業は営業部長にやってもらっている。経営会議では私の発言は、ほぼ無い。「うん、うん」とか言って。新しいプロジェクトのプロマネのようなことを面白くてやってしまうことはあるが、あとは皆やってもらっている。だからよくわからない(笑)。大事なのは「自分が全部できる」と勘違いしないということだろう。

高島:でも自分ができないことが、周りにとって判りやすいというのは結構大事。そうすると周りが、何は自分がやらないとまずいか判る。

遠山:うちは皆「自分が営業ビッチリやらないと、このままじゃ潰れちゃう」と思いながらやってくれている。格好よく言えば、「なんかやれ」と言えば言うほど、仕事の喜びを奪ってしまっている感じがある。与えられたことをやるのは「作業」で、自分でやるのが「仕事」と、うちの会社ではなっている。【00:38:00】

高島:次に横川さん。最初は誰もが信じてくれなかった夢を、「DEAN&DELUCA」で具現化したと思う。そこに持ってくる時の最初のチーム作りはどうだったか。

横川:最初のチーム作りは、企画書の時もそうだったが、規制があるとその障害もあるということを感じた。そもそも日本にある業態ではなかったので、経験者を集めることがまずできなかった。しかし同業の食物販系とか、スーパーの経験者とかには逆にいかず、基本的には経験者を採用しないというところからスタートした。経済的にも経験者はだいたい高いというのもある。そういう数字的なところもあるが、基本的には「未経験者だけど、やりたいということに共感ができる人」というのを選んだ。うちは「公私混同」というのを大事な価値観の一つにしているが、普段から食べることが好きで、集うことが好きで、という価値観が共有でき、経験はないがそれをやってみたいという人を採用した。結構乱暴だが、シンプルな採用基準で始めた。

確かに料理をするというところでは、調理経験者、外食経験者というのは必要だった。しかし総菜と外食というのは、やってみて改めて思うが、全然違うものだった。ほぼスクラッチでやっていくことで、ルールの無いところに自分たちでルールを作り、仕組みを作っていくので、全てにおいて、おのずと責任を持つようになっていった。今では、自分たちが持っているルールや仕組みというのは自分たちで決めたことだから、いつでも自由に変えていけるという発想でやっている。【00:41:08】

高島:価値観の共有はすごく大事だと思うが、うちの会社でも採用の面接で多いのは、「私は食べ歩きが好きで」とか「グルメが好きで」みたいな人。「すごく美味しいものがいっぱい食べられる」みたいな感じで来る人が多くて(笑)。「食べ歩きが好き」と言った瞬間に、もう「ダメだな」と思う。価値観を共有するだけの人はいっぱいいると思うが、その中でさらにどういうところで、チームを作ったのか。

横川:人を採用する時に2回か3回面接をするが、その中で、「何が好き」、「どこが好き」とか「どう食べるの」、と結構しつこく聞く。ただ食べ歩くではなく、どう食べるか、何を食べるか、どうしてそれが好きなのか、結構徹底的に聞く。3人が面接して、そこに関しては3人全員がOKを出さないと採用しない。どんなにスキルがあっても、どんなにパフォーマンスが良くても、資料が綺麗でも、そこがずれている人は絶対に採用しない。それは基本的に経理とか、物流とか、直接食品に現場では触れることのない人も同じようにしている。

過去に同じようにしないでやった採用が何回かあった。成長期の時に採用窓口が追いつかず分けたら、会社が急にバラバラになってしまった。結局そうやって入ってきた人は皆辞めざるを得なくなったので、それ以来もう一回そこは徹底的にやるようにしている。【00:43:21】

高島:好きな度合いが特殊なレベルまで行っている人を選んでいくという感じか。

横川:そうかもしれない。ただ正直なところ、「経理をやってきた」という人がそこまでマニアックかというと確かに温度差は部門ごとに多少ある。これは父親が外食産業をやっていた時、子どもの頃に聞いた笑い話だが、仕事が終わって皆で食事会に行った。食べないでずっと時計を見たり、ハラハラしている社員がいた。『お前大丈夫か、体調悪いのか』と聞いたら、『僕、外食嫌いなんです』と。そう言われたのがショックだったというのを、なぜか飲む度に父親が言う。僕もそこは癖で、好きな人としか遊べないし、好きな人としか旅に行きたくない、好きな人としか仕事をしたくない。それはあるところまで行くと成長の妨げになるのかもしれないが、結構そこはシンプルにこだわっている。【00:45:25】

高島:次に山田会長にお聞きしたい。この中では、ゼロから業態をつくる人たちもいると思うが、ある業態をつくっていて次に別の業態をつくろうとしている方も多い。そういうのはエース人材がなかなか指名できなかったり、社内の抵抗勢力に遭ったりするかと思う。化粧品の事業を始めるにあたって、どういうチーム作り、マネージメントをされたか教えてほしい。

山田:人と組織の難しさの問題については、喋りだしたら半分グチになって延々と出ると思う(笑)。たぶん大半の皆さんのところと違うのは、会社が古いから勤続30年、40年という人が珍しくない。なかなか真面目で良い人なので、とにかく切るわけにはいかない。かといって人間は長く同じ仕事をしていると、どうしても保守的になるし、どうしても抵抗勢力になる。そこはうまくローテーションしたり、違うポジションにしてみたり、転勤させてみたりとか、人事権を使って揺り動かさないといけない。

でも大きくチェンジするのに力を発揮してくれたのは、一つは女性パワーだ。もちろん化粧品という分野だから、女性のほうが興味あるというのもあるが、自分の気持ちをストレートに出して、ここはいいとか悪いとかいうのを、年齢に関わりなく開発の人も営業の人もやってくれた。やはり女性パワーで結構変わった部分がある。

もう一つは、新しいことを始めようというので、外部からいろいろな方をリクルートした。今、うちの管理職の半数ぐらいは、そういう転職組。これで中の血と外の血が、うまく混じり合った感じになった。それから、これからの新しいベンチャーというのは、社内にはリソースがないので、ますます社外の人と一緒にやっていくことになる。これまでは「会社の中がある程度一致団結していればいい」ということだったが、「社外の人とこれからどうやっていくか」というのが一つのテーマかと思っている。

社内のほうは昭和な会社だから、運動会をやってみたり、5年に1度で今年も社員旅行があるが皆で北海道へ行ってみたり、そういうことをすると、言葉で説明するのではない会社全体の共通体験、イメージができる。うちは「社是がどうだ」とか「うちのミッションは〜」とか理屈っぽいのは無い。どちらかというとやや感覚的なもので、一体感は出せているかもしれない。【00:47:06】

高島:組織が大きくなってくると、事業をつくるのと組織をつくるのとどちらが先か、といったところを悩む。山田会長のところは、新規事業が生まれやすい風土、雰囲気を上手に作られていると思うがどうか。

山田:次々に新しいことをやってきたので、もう「やるのは当たり前」というか、「また何か始まったな」という多少うんざり感は皆あるかもしれない。しかし「これはもう取り組まないといけないんだな」という文化はだいぶできてきたかもしれない。

高島:役職で呼ばない、とか?

山田:役職で呼ばないのは他社でもあるが、5、6年はなんとなく抵抗があった。今は普通になって、僕らも圧倒的にそのほうがやりやすい。役職も結構変わるから(笑)。一番コストの安いコミュニケーション改善の方法ではないかと思う。

高島:20代の社員の方が「邦雄さん」と呼んでいるのは、見ている方がハラハラするが。

山田:慣れていない方がたまたまそういう場面を見て、「ひょっとして(小指を立てて)コレですか?」と。(笑)後で質問されたことがある。「そうじゃなくて、会社の皆がそう呼んでいる」という笑い話がある。【00:51:01】

30725

高島:最後に三人に質問したい。皆さんへのアドバイス、忠告とか、特にやめておいたほうがいいというものがあれば教えてほしい。事業をつくっている僕たちは親バカみたいなものだから、自分のやっている事業がうまくいかなくても、「うまくいくのではないか」という期待感を常に持ちがち。しかし、「そこを頑張るのだったら、別のことを頑張ったほうがいい」というところもあるかと思う。今まで成功体験の話が多かったが、失敗も恐らくいろいろされているかと思う。「こういう時は危ない」とか、「こういう時は注意したほうがいい」とか「やめたほうがいい、他のことをやったほうがいい」とか、「失敗に気付いたのでこういうふうにうまくいけた」とか話してほしい。【00:53:06】

遠山:どうだろう、いつも苦労しかない。日々、苦労だから。ちょっと違う答えになってしまうが、具体的なプランでいうと、私自身が三菱商事の関連会社「ケンタッキーフライドチキン」に出向して、その子会社でスタートした。とにかく離れて、関連会社のその子会社ぐらいのところでスタートすると、スタートしやすいというのはすごくあると思う。未来のことは神様にしかわからないわけであって、未来のことの合理的な説明なんて無理。それを合理的に説明しなくてはいけないような不毛な議論は、かなりきつい。そういうことではないところでスタートしたい。

だから私も今度「社内ベンチャー推進室」というのを作る時に、自分がジャッジしないような仕組みを作らないとまずいと考えている。私はついつい「美意識」とか言ってしまうわけだ。そうすると皆そこで腰が引けてしまう(笑)。「儲からなくていいが、恥ずかしいことはやめて」とか言うんだが、そうするとそれ以上話せなくなる。だから私はジャッジしない仕組みみたいなものを作ったほうがいいかと経験から感じている。【00:54:11】

高島:いかに自由にやれる環境を作るか、あるいはやらせる環境を作るかというのが大事と。横川さんはどうか。

横川:失敗も多いし、やらせる環境を作りたいと思いながらついつい自分でやっているのを反省する今日この頃だが…。初めにどなたか「半歩先」という話をされたが、僕らは商品を分類する時に、「見せ筋」、「売れ筋」、「死に筋」と一般的にいう筋の中にもう一個「売り筋」というのを作っている。僕らの中で「売れ筋」と「売り筋」の違いは、「売れ筋」は「今」で、「売り筋」が「半歩先」だと思っている。半歩先だから外れることもあるが、基本的には「売り筋」を売りたい。「見せ筋」も大事だが、「見せ筋」は結果「死に筋」になるケースが多く、あまり商売にならない。30年もののバルサミコビネガーが3年ぐらい棚のうえに乗っていても、それも大事だが、そればかりだと困ってしまう。【00:56:00】

だが「『売れ筋』でいいのか」と社員の中でよく議論になる。その時に僕はいつも「売り筋」に帰るようにしている。「何をやったほうがいい、やったほうがよくない」で言うと、「売れ筋」が売れていることで満足をしないほうがいい。「売れ筋」と「売り筋」はうちの社内でもしっかり区分を分けていて、「『売れ筋』比率が『売り筋』比率と同じくらいになるように常に『売り筋』を考えなさい」と言っている。大体「売れ筋」は放っておいても売れるし、だんだん正面に積まれ、レジ前に置かれる。「売り筋」は頑張って説明したり、頑張ってPOPを作ったり、売れないが一生懸命可愛がってやらないと伝わっていかない。だから楽しもうとすると「売れ筋」が前に出て来て、それが下の方に置かれる。そして短期的には売上も在庫回転も原価率もよく見えてしまい、数字だけ見ると「A店は頑張っている」となる。しかし実は「売り筋」を一生懸命売ろうとしているB店のほうが業績は悪いが、結局3年後どちらが残っているかというと圧倒的にB店のほうが強い。

うちはトートバッグが売れていて、皆さんに「カバン屋か」と言われるが、自分たちでも驚くぐらい売れた。時代の流れにも乗れたし、メディアの方の協力やお客様の協力もあって売れた。しかし、アメリカもそうしているが、トートバッグは入り口の正面に基本的には置いてはいけないというルールがある。そのため、最初はお店の一番奥に置くよう言われた。すると一番売れていた時は、入り口で2、3人に1人は「トートバッグはどこか」と尋ねる。さすがにお客様に奥まで行かせるのは失礼だということになり、最近は売場に「ツリー」(カバンをかけるもの)が3つも4つも増えて、奥にもあるが前にもあるようになっている。特に売れていた時、放っておいても売れると思う時に、なるだけそれに頼らないでそれ以外のものを売る。それがきっかけで来たお客様にもう一個何か買ってもらうという努力をする。事業でいうと、うちの場合グロッサリーのほうが儲かりにくく、カフェのほうが儲かりやすいが、カフェを後回しにして先にグロッサリーをやる。常に「売れ筋」の売上に満足せずに「売り筋」を出していくことが大事かと思う。【00:57:23】

高島:「売れるものを売る」だけではなくて「売りたいものを売る」というのは、「DEAN&DELUCA」さんの「らしさ」の追求になるかと思う。立ち上げの頃は英語の商品ばかりだったと思うが、途中からかなり和総菜とか蕎麦とか増えたので、途中で「らしさ」というものの定義をし直したのかと思ったが、そういうのはあったか。

横川:それはある。海外のグロッサリーとか、ニューヨークのソーホーの本店に、よくも悪くも社員全員が憧れてしまっていて、英語表記のPOPとかが大好きだった。「グラム」ではなくて「パウンド」を使うとか(笑)。魚もクラッシュアイスを使って並べていた。でも日本は魚文化なので、しっかり丁寧に切り身にして置かないと売れない。どうしても上手くいかなかった3年目ぐらいの時に、創業者のうちの一人、デルーカさんに「どうしても売れない、なかなかニューヨークのようにいかない」という話をしたら「君はパスタと蕎麦のどちらが好きか」と言われて言葉に詰まった。パスタも蕎麦も好きだからという意味もあるが、パスタと蕎麦のどちらを今まで沢山食べたかといえば、やはり蕎麦だ。

その時デルーカさんが「僕は蕎麦が好きだよ」と言って、レストランに連れて行ってくれ、「オレはここの蕎麦が好きだ」と言われた。その時、この人たちはアメリカンなスタイルを言おうとしているわけではなく、(もともとイタリア系のアメリカ人だが)自分たちが素直に美味しいと思うものを、アメリカンとかイタリアンとかジャパニーズといった見方ではなく、自分の好きなものを素直に自分らしく提案していく、ということをやっているのだとわかった。それを聞いた時に、我々としては日本食をやるというよりは、素直にパスタと同じように蕎麦も見る、という「らしさ」に変わっていった。それが六本木で2007年頃だ。【01:00:34】

高島:では、山田さん。

山田:今日来ている皆さんは、もう自分でビジネスを立ち上げられた方が多いと思うので、ビジネスセンスということで僕が敢えてアドバイスすることは無い。半分お願いだが、人間一人で理解できるよりも世の中は広いし、世界も広いので、そこを完成したと思わないようにしてほしい。もう残る歳も少ないというぐらいになっても「しまった、もっと勉強しておけばよかった」と私も思っている。その「まだまだ感」というか、皆さんが「まだまだ、もっと知りたい」というチャレンジャーでいる限りは、たぶんクリティカルな危機というのは無いと思う。「これでOK」とか「俺はやったぜ、ナンバーワンだ」と思うとその辺りからおかしくなってくる。永遠にチャレンジャーでいてほしい。滅多にない機会なので、私からのメッセージとしたい。【01:03:26】

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