ポジションパワーとナレッジパワー 

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個を活かす「ナレッジパワー」の思想

新春の雑誌・新聞記事を見ると、雇用流出、製造業空洞化などの言葉が目につく。製造コストで新興国にはもう勝てない。日本は付加価値で勝負をしていくべきだ…。本稿では、私自身が預かる部門での実話をベースに、様々な知恵を集積することがますます重要になっている現代において、管理職がどのような姿勢で仕事に臨んだら良いかを考察してみたいと思う。

グロービス経営大学院は、2006年から英語のクラスを開講し、2009年にはパートタイムの英語MBAプログラムを開始、さらに2012年にはフルタイムの英語MBAプログラムを開設する予定だ。フルタイムプログラムには、アジア各地から選りすぐりの生徒を集め、学校が掲げる「アジアNo.1のMBAプログラム」に向けて大きな一歩を踏み出す。

私は、グローバル研修を含め、英語のプログラム全般を統括する立場にある。英語事業部門は、米・ベルギー・日本から成る多国籍軍で、日本人も帰国子女が多い。また、メンバーの大部分がMBAやMAなどの学位保持者である。異なる文化やバックグラウンドを持つメンバーが一緒に仕事をしているため、その多様性から、意見がぶつかることがよくある。

昨秋、タスクアサインに関してちょっとした対立が起こった。マネジャーが提示したタスクアサインが、メンバーが適当と考えるタスクアサインと異なっているという。

一般的に、企業は、「ポジションパワー」に基づき運営されてきた。ポジションパワーとは、ポジション(役職)が高い人が大きな力を持つことを指している。社長、ディレクター、マネジャー、シニアアソシエイト、アソシエイトなどという明確なヒエラルキーがあり、より上位のポジションが、より大きな決裁権限と影響力を持ち、組織の方向付けをする。ここでは、ランクが上がるに従い、能力もリーダーシップも高まることが前提となっている。

では、現代のように変化が大きく、先を見通すことが難しくなった場合にもこのようなポジションパワーに基づく経営を続けていて良いのだろうか。ましてや、我々は経営学(マネジメント)を扱う知識産業である。経営学には、戦略、マーケティング、オペレーション、アカウンティング、ファイナンス、リーダーシップ、アントレプレナーシップ(起業家精神)など多くの領域がある。たとえ、マネジャーといえども、ある専門領域において博士課程や修士課程を履修してきた部下に、該当領域でいつも上回れるものだろうか。

同僚の松林博文講師(「クリエイティビティと組織マネジメント」などを担当)からアドバイスを貰い、自らの身体(氣)に問うて、私は以下の結論を出した。ポジションパワーはポジションパワーとして認めつつ、ナレッジパワーという別概念を立て、シニアアソシエイト達が持つ領域のナレッジを積極的に活かそうと(ナレッジパワーとは、その該当領域に対する好奇心や行動力、知識や知恵と定義したい)。すなわち、定型業務などで経験がモノをいう仕事においてはポジションパワーを大切にする。しかしながら、新しい領域の知恵を創出するような仕事では、ポジションパワーよりもナレッジパワーを重視しようと。

ただし、ナレッジパワーを重視するということは、どうやらちょっと業務のやり方を変えるだけでは済まないことが少しずつ分かってきた。例えばマーケティングを中心にMBAを学んできた者のナレッジは必ずしもマーケティング領域に留まる訳ではなく、趣味の音楽について深い造詣を持っている場合もあるだろう。すると、マーケティングに関するタスクがメインにはなるが、趣味の音楽が活用されて大きな貢献をすることもある。つまり、ナレッジパワーを重視するということは、その人の個性やライフスタイル、成長欲求などをも考慮して、最大限の貢献機会を作るということを意味するのだ。

そこで、知恵が重視される、知恵を創出する仕事においては、タスクをテーブルに並べ、部員が自らの貢献可能性、稼働状況、成長欲求に基づき、取り組むタスクに手を挙げて決めていくことにした。

これで、本当に適正なタスクアサインが出来るのか。読者の皆さんならきっと疑問に思わるに違いない。何を隠そう、私も不安に苛まれることはある。けれども、メンバーに知恵を出してもらうことを期待する以上、最大限働きやすく、意見しやすい環境を作っていきたいと思っている。もちろん、発生する業務負荷のアンバランスを調整する“行司役”として自分は存在している。しかし、ナレッジパワーを尊重するという意味でも、できることならば、行司として自分が出ていく機会は最少としたい。

人が輝き、組織が躍動し、自分の視座も変わった

このような組織運営を始めて、メンバーの皆さんは楽しそうに働き始めた。自らのやりたいことを自己主張するものの、誰かが担わなければならない部門の仕事も積極的に拾うようになった。一人ひとりの強みや関心に気が配られている分、知恵の創出もスムーズになったように思う。

そして、これは予想していなかったことなのだが、自らの視座にも変化が起きた。第一に、メンバー一人ひとりを本当に深く知ろうと努力するようになった。この人のナレッジは何か。そのナレッジはどのような環境下で生まれることが多いのか。何がナレッジのアウトプットの障害となるか——。

次に、自らの仕事観が広くなった。従来は仕事とはこのようなものという枠があって、この中にはまらなければOB(ゴルフで言うOut of Bounds 2打罰で打ち直し)と認識していた。しかし、ナレッジの生み方は人それぞれ様々であることが分かってきた。また、事業部の目標を遂行するという立ち位置からメンバーを見ていたが、ナレッジを活かすために個々のメンバーの立場から仕事を眺めてみると、全く違った形に仕事は見え始めてきた。時速60kmのオートバイで走っていたため、流れていただけの景色が、時速20kmで自転車に乗り、時速4kmで歩くようになると、道端の花の姿や芝生の香りが飛び込んできたのである。

第三に、一人ひとりの成長欲求やキャリアにおいて目指す姿に触れて、彼、彼女らにもう一段思いきったエンパワメントができるようになったように思う。

このような形に自らの視座を変えてくれたメンバーの皆さんには、心から感謝申し上げたい。「ありがとう!よくぞ、進言してくれた」と。付加価値を出せと日々言われている管理職の方々には、次のように申し上げたい。「ナレッジパワーを意識して活用すると、組織に氣が流れやすくなり、社員の顔が明るくなります。その結果として、付加価値もきっと生まれると思います」と(既にこのような組織運営を実施されている管理職の皆さんには、本稿への叱咤激励を賜れれば幸いです)。

最後に大好きなMax DePreeの“Leadership Is an Art(邦題『リーダーシップの真髄』」)”の一節を引用して本コラムの結びとしたい。

「ある機械工が残した詩」

私の父は現在96歳、ハーマン・ミラー社(高級家具メーカー)*を創業した男です。

1920年代、家具業界では機械を動かすのに、まだ電気モーターを使っていませんでした。当時はまだ駆動軸で滑車を動かしていました。駆動軸を動かすのは蒸気機関で、当社の場合、機械室から出てくるおがくずなどの廃棄物をボイラーの燃料として使っていました。実にきれいなリサイクルの循環システムができあがっていたわけです。

この循環システムを監督するのは、一人の機械工でした。

ある日、その機械工がなくなりました。

当時まだ若かった父は、何はともあれ、遺族を弔問しようと考えました。

やがて未亡人が「いくつか詩をお読みしてもよろしいでしょうか」と父に尋ねました。父はもちろん同意しました。

「なんと美しい詩でしょう、いったいだれの作品ですか」と尋ねました。
「主人のものです」と未亡人は答えました。機械工は詩人だったのです。

機械工が亡くなってもう60年近く経ちます。しかし、父をはじめハーマン・ミラー社では、いまだに話します。彼は機械工の仕事をする詩人だったのか、それとも詩を書く機械工だったのか、どっちだったんだろうね、と。

この話で何を言いたいかというと、財務比率だ、経営目標だ、利益がどうのこうのと言う前に、人間を理解することがリーダーとしての基本だということです。

多様性を認め、受け容れるようになれば、人間は誰もがお互いに必要とされる存在であるとわかるでしょう。一人の人間がすべてを知ることも、行うことも不可能だと素直に認められるようになります。

多様性を認めることで、機会、平等、個性の尊重が職場に不可欠であることがよく理解できるようになります。また、人生の意義、目的、達成感を得ることが働く場でも可能となります。それらは、愛、美、喜びなどと同様、プライベートの世界だけのものであってはなりません。

(読者が読みやすいようコラム執筆者が翻訳の一部を捨象している。また*はコラム執筆者による付記である)

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