日本土地建物 石川聡さん 日本の地図、塗り替える 

ひと物語
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不動産業界のオピニオンリーダー

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2008年12月2日。冷え込みが厳しくなった師走の東京。コート姿のビジネスパーソンたちが、有楽町にある国際会議場、東京国際フォーラムに吸い込まれていく。『NIKKEI 不動産マネジメントフェア2008』。いくつもあるセミナールームの一室が、人いきれでむせ返っていた。壇上には、石川聡さん(41)。不動産を経営戦略の中に位置づけるCRE(Corporate Real Estate)戦略という新しい概念を日本で広めており、業界紙などメディアで名前をよく見かける、不動産業界のオピニオンリーダーの一人だ。“話題の人”の声を聞こうと、この日は400人近いビジネスパーソンで、会場は満席だった。

「CREは直訳すれば企業不動産となりますが、その意味は、単に物理的な不動産という意味ではありません。不動産を企業経営の中に組み込んで、管理、運用を戦略的に行っていこうという概念です」

CRE戦略とは経営そのもの

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企業の持つ不動産は、大きく四つに分けられる。工場や店舗などキャッシュフローを生み出す事業用。社宅や研究所など直接キャッシュフローを生み出さないもの。賃貸不動産など投資用に保有している物件。そして遊休地など直接投資に関係のないもの。これら全ての不動産を有効に活用していこうというのが、CRE戦略の基本的な考え方になる。

企業不動産を取り巻く環境は大きく変化した。地価の変動が以前よりも大きくなり、価値が毀損するリスクが大きくなっている。減損会計をはじめとする会計制度の改革で、不動産を取得した時の価格と、現在の評価額の差分が表面化するようになったため、資産を効率的に運用することが求められる。そして、こうしたリスクや戦略について、“モノ言う株主”など企業を取り巻くステークホルダーに、説明責任を果たす必要が出てきた。

さらに、昔とは比べものにならないスピードで、流通形態が変わり、消費スタイルが変わる。そのたびに企業は、経営戦略を立て直し、仕組みを変えていかなければならない。特に不動産が重く、企業価値に直結している小売、卸売、鉄道会社などは、不動産の保有形態などが、企業の経営効率向上や生き残りそのものに直結してくる。

例えば、都心や市街地の一等地に構える百貨店業界。オフィスビルなら坪4~5万円で貸すことができる立地にあるが果たしてそれだけの利益を出しているのか。もし出していないなら、オフィスビルにしてしまった方がいいのではないか。そもそも百貨店は郊外ではいけないのか。

また、大手町や丸の内に本社を構え、高額な家賃を払っている企業は多い。そこで働いている従業員はそれだけの付加価値を出しているか。本当に都心に本社機能を置く必要があるのか。

保有している不動産を持ち続けるべきか、賃貸すべきか、オフバランス化すべきか。コア事業に必要な不動産は、取得すべきか、賃借すべきか――。

こうした問いに答えるのが、CRE戦略だ。

全資産の含み損益や制約条件を把握する「現状把握」、それぞれの不動産の役割を明確にして、経営戦略の観点から評価する「スクリーニング」、具体的なアクションプランに落とし込んでいく「戦略立案・実施」、定期的な診断や見直しを行う「レビュー」、という四つのフェーズを経て、不動産の活用を継続的に実行する。

石川さんが勤める日本土地建物(日土地)は、ここ数年、会社をあげてCRE戦略の考え方を広めてきた。07年にはCRE戦略コンサルティング部が立ち上がった。開発や建て替え、売却などを前提とした営業ではなく、顧客にCRE戦略のソリューションを提供し、コンサルティングフィーをもらう。不動産業界では挑戦的な試みだ。

石川さんはその先頭に立って、プロジェクトを引っ張っている。業界紙で連載を持ち、日本全国で講演に立つなど、会社の広告塔としても、周囲の期待は高まるばかり。

「上司からは『第2の石川をつくれ』なんて言われたりするんですが、僕の真似をしても仕方がない。やっぱり上から与えられるものではなくて、自分で考えて、楽しくて仕方がない何かを見つけないといけないと思うんです」

そう言い切れるのは、自らもまた、道なき道を切り拓いてきたとの自負があるからだ。

箱や土地に価値はあるのか

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バブル絶頂期の1990年春。22歳の石川さんは、「やっぱり時代は不動産だろ」と考える学生の一人だった。不動産会社、信託銀行など、「土地をたくさん保有している企業」を次々に受けてみたものの、内定につながらない。研究のため首都高速道路公団に資料を取りに来て、たまたま同じビルに入っている日土地を知った。

入社してすぐに不動産鑑定士の勉強をはじめ、翌年試験に合格。鑑定士として、日本全国の土地や建物の評価に駆け回る日々を送った。当時鑑定士は“先生”と呼ばれ、経営幹部に直接会えた時代。「何を聞かれても答えられるように」と、入念な準備をしていった。

最初は単純に不動産を評価していくだけの仕事だと思っていた。だが、住宅価格と違い、企業不動産に誰もが納得する市場価格は存在しない。同じ不動産でも、極端に言えば、1億と評価する鑑定士もいれば、100億と鑑定する鑑定士もいる。要は、どのようなロジックを積み上げて計算するかで、はじき出される数字は大きく違う。

「前例がなかったり、他と数字が比べられなかったりする難しい案件の方が燃えましたね。絶対の数字はないわけだから、こちらはロジックで勝負するしかない。しかも相手は経営幹部。すごく自分が磨かれた時期でした」

相手方が想定している評価額を下回る査定を出せば、修羅場になる。いかにロジックで納得させられるか。背筋に嫌な冷や汗をかいた分だけ、成長した。

駆け出しの時代が終わる頃、バブルが弾けた。後から後から会社に寄せられる案件は、不良債権の処理や不動産売却の話ばかり。「数字何とかしてください」。担当者は不動産を金融機関に高い担保として認めてもらおうと、必死に懇願してくる。その様子が、奇妙に思えて仕方なかった。金融機関は土地の評価額しか見ない。経営者がどんな想いやスキルを持っていようが、どんな将来性のある事業を行っていようが、関係ない。

「これは何かがおかしいなと思い始めたんです。多くの場合、土地の評価で不動産を見るけど、不動産自体が価値を生み出しているんじゃない。その上で何をやっているかが重要なんじゃないかと」

そんな想いが小さな芽になるきっかけがあった。工場財団抵当の評価を担当した時のことだ。工場財団抵当とは、企業を担保とする制度の一つで、経営のための土地・建物・機械などの設備の所有権を一括して1個の財団とし、その上に抵当権を設定するもの。より担保力が強くなる。

何千点という機械を一つひとつを査定していく間に、ふと気が付いた。個別の機械には大した価値はない。有機的に一体となり、人の手がかかり、そこで生み出されている価値を評価しなければいけないのではないか――。

「それからは、不動産の市場価値と、事業による使用価値、両面で考えていくことが自分のスタイルとなりました。全国に7000人いる不動産鑑定士の中で、そのことに気づけたのは、自分を含めごく少数しかいなかったと思います。土地自体に価値があるという神話が、人々の脳裏にあまりに強く焼き付けられていたから」

不動産の窓から経営戦略に陽を当てる

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不動産そのものと同時に、その上でやっている事業を評価する。そのスタイルを生かすチャンスが、次々と訪れる。

200店舗を持つ地方小売の大手。それぞれの店舗がどれだけ収益をあげているか、という観点から使用価値を出し、マーケットでの市場価値と比べる。収益ベースの価値が低く、市場で売りに出した方がいい店舗がいくつも出てくる。「本当に店舗を存続する必要があるのか」と、鑑定士の枠を超えて、問題提起していった。

知人を介して、大手流通企業の大型再生案件も舞い込んだ。店舗だけで全国に200件、その他の不動産も含めると400件という規模だ。

それぞれの店舗の売上高や粗利益率から店舗が出せる収益性を計算し、そこから不動産価格を割り出すところまでを自社で行い、相場から見た土地の値段、建物の値段を外注、セットにして評価書に記入していった。再建にかかわる銀行団が最後の最後まで、収益性ベースの価格に強硬に反対していたが、最後はのんでもらった。

日土地は、こうした石川さんの活躍に目をつけた。大手にはない、“ウリ”になるコンテンツとして前面に押し出していこうと考えたのだ。不動産会社としては珍しく、法人営業部を立ち上げ、個々の不動産にひもづく営業スタイルから、顧客と関係を構築し、ソリューションを提供する営業へとスタイルを変えた。

こうして徐々に気運が高まる中、石川さんは、背骨となる考え方に出会う。それがCREだった。すでに欧米のビジネス界では日常的に口にされる概念だったが、日本ではまだ認識されていない。2005年に社外の有志とCRE研究会を立ち上げ、『CREマネジメント戦略と企業経営』を刊行。この本が大きな反響を呼び、07年には三井物産戦略研究所など7社とともに、「CREマネジメント推進コンソーシアム」を設立した。

日土地もこうした動きを後押しし、日本経済新聞にCRE戦略をPRし啓蒙する全面広告をシリーズで掲載。国も動き出し、08年には、国交省がCRE実践の手引きなどを作成した。

石川さんたちが投げた小石が、小さな波紋となり、官、民を巻き込んだうねりになりつつある。うねりが地形まで変えるほどになれば、日本経済へのインパクトは大きい。法人所有の不動産は国土面積のうち約14%を占めている。必要な人が持ち、不必要な人が手放す。土地分配の“最適化”がなされれば、日本の成長率を押し上げる大きな要因になる。

「まだまだ緒についたばかりです。現場レベルでCRE戦略の知識があっても、それが経営幹部まで上がっていかないといけない。これは5年、いや10年がかりの大仕事なんです」

例えば営業に行っても、「CREとは何ぞや」から始めないといけない。仕事もそう簡単にはとれない。ただそれを負け戦と考えずに、面会できた担当者から目一杯学んで帰って来る。部下から、「石川さんはどこへ行っても前向きですね」とあきれられるほどだ。

ある企業を訪問した時。コスト意識が徹底しているため、無形のサービスに金を出す事に全く反応を示してくれなかった。だが担当者が経営理念をそらんじる事ができることから、その企業が“一流”であることを感じ取り、根堀り葉堀り企業の内情を聞き取った。

「もう来なくていいと言われるまで行き続けて、多くのことを吸収しようと。それが次の企業を訪問した時に、また活きてくる。誰かに会ったら何かを取るまで帰らない」

小さな積み重ねが功を奏し、契約までこぎつける案件も徐々に出てきている。経営戦略にまで踏み込んで、不動産のソリューションを提供する。従来の不動産業の枠組みを大きく超えた試みが、徐々に認められつつある。

好奇心を燃やし続ける

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今、自分のキャリアを振り返ってみれば、目の前のチャレンジをとことん楽しみ、そこから学べるだけ学ぼうという構えが身についた瞬間から、自然と道が拓けていったと思う。

昔から勉強好きなわけではなかった。何もしなくてもテストでいい点がとれてしまう秀才肌。高校、大学受験には正面から取り組まなかった。転機は大学時代。世の中にこんなに学ぶことがあるのか、と勉強が楽しくなった。工学部、経済学部、人文学部と、専攻とは関係のない授業にも出て、卒業時は必要な単位の倍、240単位を持って卒業した。宅建と教職の資格も取得した。

社会人になってからも様々な資格やスキルアップに挑戦し続けた。簿記、ファイナンシャルプランナー、証券アナリスト、フォトリーディング……。本業の鑑定士では社外の有志と自主的な勉強会を続け、その人脈を大きな仕事につなげたことがある。

経営について理解を深めたいと、業務の合間をぬって、ビジネススクールにも通った。

ハードな毎日を送る同窓生の間でも、「寝ない男」として噂になるほど、予習、復習を欠かさなかった。レポートの提出前は朝から晩までぶっ通し。毎期3コマの授業を取り、文字通り寝ずにケースをこなした。

好奇心。それは、人間が忘れても失ってもいけない、太古の昔から持つ大事な財産ではないか。「やりたいことが見つからない」という相談を若手のビジネスパーソンから受けるが、現実が思い通りにならなくても、目標や志が見つからなくても、未来が見通せなくても、何かを知りたいと思う気持ちさえ残っていれば、なんとかなる。石川さんには、そんな風に思えるのだ。

2008年5月。ビジネススクールの卒業式で、アカデミックガウンに身を包んだ石川さんは、卒業生代表として挨拶に立ち、こう語りかけた。

「日本の企業には不動産がたくさん埋もれているにもかかわらず、活かされていない。それを使うべき人のところに届けてあげる。日本全国でそれができれば、経済厚生が最大化する。それを信じて、そのために頑張っています」

バブル時代の勢いで不動産業界に足を踏み入れた石川さん。立派な目標などなかった。ただ、ぶつかってくるものに全力で取り組み、深堀りしていくうちに、気が付けば、CREの分野でトップランナーになり、「日本の不動産のあり方を大きく変革する」という志が宿っていた。

休息は、ない。ビジネススクール卒業後は、英語を勉強し始めている。企業が国境を越え不動産を所有する時代。いつ業務が世界へと広がるか分からない。1日みっちり3時間。今では英語に触れないと寝付けない。「寝ない男」は、今日も明日も学び続け、自分の、日本の未来を形作っていく。好奇心というたいまつに、火を灯し続けながら。

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