志力格差の時代〜ロールモデルは不在か? 

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自分探しの深い悩み

過日、京都の大学で正規科目である「キャリアデザイン」の講義をさせていただいた。大学生に対し「就活テクニック」を伝授するセミナーは花盛りであるが、大学生最大の問題である「そもそも自分のやりたいことがわからない」といったことに深く向き合い自問するセミナーや講義は少ない。(ときどき「自己診断テスト」とか「適性能力発見テスト」といった自己分析ツールによって職業選択を考えさせるプログラムがあるけれども、これによって自分のやりたいことがつかめるわけではない。生涯を賭してやりたいことというのは、分析ではなく「想い」から生じるものだから)

そんな折に、その大学から、「就活テクではなく、キャリアをきっちり考える講義をやりたいので」ということで依頼があり、話をお受けすることにした。

学生と対面してみて、「自分のやりたいことがわからない」「自分のなりたいものがわからない」という漠とした根っこの問いは、時代を経るごとにますます彼らを大きく悩ませているとの感じを改めて受けた。

もちろん、これは学生に限ったことではなく、社会に出て何らかの職業を持った人間にも、生涯付きまとう問題である。20代、30代の多くのビジネスパーソンたちは、依然その答えを探しあぐねているし、40代以降はさすがに生活の守りに入ってしまい多少意識は薄れてしまうが、それでもリタイヤを迫られるころから、「セカンドライフ」や「ライフワーク」といったものに再び意識が高まりだす。

さて、どうしたら自分のやりたいこと、なりたいものがつかめるか?こうした問いに対し、私が伝えていることはただ一つ——。

ロールモデルは歴史上の人物でも構わない

「第一級の人間の立志伝・人物伝を読みなさい」

私は、若い世代の「やりたいこと・なりたいもの」の発想・意欲が貧弱なのは、ひとえに模範とすべき人物像(広い意味で“ロールモデル”)の欠如だと思っている。

残念ながら彼らの多くは、多様な人間像・多様な生き様・多様な働き様をあまりにもみていない。

一つには、社会・大人たちがそう誘(いざな)ってこなかったことの結果だろうし、一つには、彼らが人を知るのも受け身になっていて、テレビやネットで手軽に目につく人間しか知らない・知ろうとしないからだと思う。いずれにしても、彼らの知る人間は、狭い上に偏り過ぎている。だから、自分の生き様をどうしていきたいのか、発想も意欲も湧きにくい。

ところで、「あなたが尊敬する人は誰ですか?」——こういうアンケートが行われると、
日本の子供・若者の場合、たいてい答えが決まっている。答えの第1位は、ダントツで 「両親(父・母)」である。

これは長年変わりがない。そして1位に遠く離された格好で、「先生」とか「兄弟」とか、
今なら「イチロー」とかが続く。

「なんだ、親子関係がギスギスしているような風潮の中、安心できる結果じゃないか」と大人たちは、嬉しがるかもしれない。一方、子供たちも、「一番に尊敬できるのは両親です」と答えておけば、周りから感心されるばかりなので、とりあえず無難にそう答えておくか、一部にはそんな心理がはたらいているのかもしれない。

私は、多くの子供・若者が、判を押したように「尊敬する人は両親」と答えるのは、あまり感心しないし、その流れは変わった方がいいとさえ思っている。

これは何も、親を尊敬するな、と言っているのではない。もしこれが「あなたが一番感謝したい人は誰ですか?」であるならば、諸手を挙げて感心したい。

親というものは、尊敬の対象というより、感謝の対象のほうがより自然な感じがする。

ともかく、小さい頃から多様なモデルを摂取していれば、「尊敬する人は?」という問いに対して、誰も彼もが「両親」と紋切りに答えるわけはないのです。

だから、私が大学生や若年社員向けの講義や研修で言うことは、「今一度、野口英世やヘレン・ケラーやガンジーなどの自伝や物語を読んでみなさい」です。

もちろん、ここで言う野口英世やヘレン・ケラーなどは象徴的な人物を挙げているだけで、古今東西、第一級の人物、スケールの大きな生き方をした人間、その世界の開拓者・変革者ならだれでもいいわけです。

大人になってから学ぶ偉人の生き様

そうした偉人たちについて、ある程度大人になってから、活字の本で改めて読んでみるとそこには新しい発見、啓発、刺激、思索の素がたくさん詰まっている。

まず、自分の人生や思考がいかにちっぽけであるかに気がつく。同時に、自分の恵まれた日常環境に「有難さの念」がわく。そして、「こんな生ぬるい自分じゃいけないぞ」というエネルギーが起こってくる。

それは、“焦り”の感情というより、“健全な前進意志の発露”というのに近い。

そうやって多様なモデルを摂取し続けていると、具体的に「ああ、こんな生き方をしてみたいな」という模範モデルに必ず出会える。そして、何らかの行動を起こし、もがいていけば、自分の方向性や理想像がおぼろげながら見えてくる。そこまでくると、自分の集中すべきことが明確になってきて、行動を重ねるごとにますます方向性と像がはっきりしてくる——。これが私の主張する「自分のやりたいこと・なりたいもの」が見えてくるプロセスです。

例えば、私個人が書物で出会ったロールモデルはそれこそ挙げればきりがないのですが、その一つに、大学のときに読んだ『竜馬がゆく』(司馬遼太郎著)の中の坂本竜馬がある。私はこの竜馬の姿を見て、二つのことを意志として強く持った。

一つは、狭い視界の中で生きない。世界が見える位置に自分を投げ出すこと。一つは、どうせやる仕事なら、自分の一挙手一投足が世の中に何か響くような仕事をやる。

このときの意志が、自分としては、その後の米国留学、メディア会社(出版社でのビジネスジャーナリスト)への就職につながっていきました。

冷めた人間の声として、小説の中の坂本竜馬なんぞは、過剰に演出されたキャラクターであり、それを真に受けて尊敬する、模範にするなどは滑稽だ、というものがあるかもしれない。

しかし、どの部分が演出であり、どこまでが架空であるかは本質的な問題ではない。そのモデルによって、自分が感化を受け、意志を持ち、自分の人生のコースがよりよい方向へ変われば、それは自分にとって「勝ち」なのです。他人がどうこう言おうが、自分は重大な出会いをしたのだ!ただそれだけです。

ともかく最初のローギアを入れるところが、一番難しい。方法論としては極めて単純で、「第一級の人物の本を読もう!」なのです。「何を、どう生きたか」というサンプルを多く見た人は、自分が「何を、どう生きるか」という発想が豊富に湧き、強い意志を持てる。

確かに、身の周りを見渡して、立派なロールモデルはいないかもしれない。私もサラリーマンを長年やって、職場の上司や経営者で立派な人物に出会う確率は非常に小さいことを知っている。しかしロールモデルは、何も近くにいる実在の人間ばかりとは限らない。図書館に行けば、古今東西、無尽蔵に探したい放題だ。

時空を超えて、自分の生涯のコースを変えるモデル探しをしてみよう。その意欲が何よりも「自分がやりたい方向性・自分がなりたい理想像」を見出す源泉、ひいては「志」形成の素となる。このモデルを求める意欲の格差こそ、志の格差を生み、結果、人生の格差につながっているのではないか——私はそう思っている。

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