セパージュ時代の到来(4) 絶頂:国際展開 

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1993年は、ロバート・モンダヴィにとって記念すべき年でした。株式公開(以下、IPO:InitialPublicOffering)を果たしたのです。モンダヴィは、それまで何度もゴールドマン・サックスからのIPOの提案を断ってきたといいます。モンダヴィは父チェザレーから、「大家族を思いやる精神」を受け継いでおり、株式公開したら、この精神が消え去ってしまうのではないかと恐れたのです。しかし、一方で、変貌を遂げる世界経済の波を敏感に感じ取り、次のような言葉も残しています。

「時代は変化している。もし我々が時代の変化に乗って行かなければ、すべてを失うことになってしまう」

しかし、株式公開を果たせば、必ず時代の変化に乗っていけるというわけではありませんし、すべてを失わないという保証もありません。大規模な資金獲得の見返りとして、大きなリスクも発生します。常に成長し大きなキャピタル・ゲインへの期待に応え続けるか、さもなければ一定の配当金を支払い続けるか、いずれかの資本主義の大前提に正面から向き合わなければならないということです。しかも、市場からは四半期ごとに成長のチェックが行われるのです。

ワイン業界自体は、世界全体で見たときに、常に成長しているわけではないという現実があります。規模が拡大しているときもあれば、縮小しているときもありました(Fig.1)。つまり、ワイン業界というのは、常に成長を期待する資本主義市場と必ずしも整合しない市場特性を持っているということです。

また、必ずしも大きな成長をしていなくても、安定した配当金の支払いで投資家の期待に応える方法もありますが、ワイン業界は設備産業で大規模な投資が必要ですし、かつ天候リスク、害虫リスクを考えると内部留保はいくらあっても安心できません。また、ワインは収穫するまで1年、さらに熟成に数年かかるため、投資が収益となるまでの期間は3年から5年はかかると考えるのが通常ですので、安定した配当金の支払いというのも、かなり苦しいはずです。

こうした懸念がある一方で、ロバート・モンダヴィは株式公開の必要性と妥当性を感じ取っていたに違いありません。その背景は次のようなものでした。

1.市場の追い風により絶好のタイミングと思われること
−1980年代アメリカはワインブームによりワイン消費が大幅に拡大(Fig.2)。
−消費拡大の追い風と企業買収により1980年代半ばから1990年代初めにかけて売上が約50%上昇。
-1985年ヴィション社を買収
-1989年バイロン・ヴィンヤード&ワイナリー社を買収

2.大企業とのプレミアム・ワインの競争に生き残る方策が要請されていたこと。
−モンダヴィのブドウ畑に1990年初めからフィロキセラが蔓延し600エーカーにのぼる優良畑のブドウ樹の引き抜きと植え替えのため、多額の資金が必要であった。
−ナパバレーにある200ほどのワイナリーの多くがプレミアム・ワイン・メーカーの大半が巨大な外資系企業(フランス系、イギリス系、カナダ系、日本系)であり、フィロキセラ対策の資金を比較的容易に調達できた。
−日本系の外資系企業の存在から一流ワインの世界市場が大きく拡大していることが示唆された。

逡巡の末、モンダヴィは株式公開をすることを決断します。しかも、「大家族を思いやる精神」をできるだけ残すやり方で、そのやり方とは、二通りの株を発行し、家族株には1株あたり十票の議決権、一般株には1株あたり一票の議決権を与え、一般株主の過大な干渉を回避するというものでした。
こうして、1993年6月10日、1株13.5ドルの値段で370万株が売り出されました。集めた資金は5千万ドル。この資金の約半分は借入金の返済に使われ、残りがフィロキセラでダメージを受けたブドウ畑の植え替えと、事業拡大などに使われていきました。

逡巡の末、モンダヴィは株式公開をすることを決断します。しかも、「大家族を思いやる精神」をできるだけ残すやり方で、そのやり方とは、二通りの株を発行し、家族株には1株あたり十票の議決権、一般株には1株あたり一票の議決権を与え、一般株主の過大な干渉を回避するというものでした。

こうして、1993年6月10日、1株13.5ドルの値段で370万株が売り出されました。集めた資金は5千万ドル。この資金は、当時フィロキセラでダメージを受けていたブドウ畑の植え替えや、事業拡大などに使われていきました。

株式公開した年の年間売上高は1億6800万ドルでしたが、その後年率14%という成長率で、2001年には年間売上高4億8100万ドルに達しています(Fig.3)。ロバート・モンダヴィ以前にも、ChaloneWineGroupLtd.,やCanandaiguaWineCompanyといった株式公開をしたアメリカのワイナリーは存在していましたが、業績は目立ってよいというほどではありませんでした。そのため、市場では、ワイナリーの株式公開にそもそも意味があるか訝る声もありましたが、ロバート・モンダヴィの株式公開後の業績は目覚しいものでした。

この目覚しい業績を後押ししたのが、世界戦略であったと私は考えています。売上高を見ても、IPOの翌年は、増収を果たせませんでしたが、1995年以降、2001年まで毎年増収を続けます。株式公開のときに感じ取った外資系企業の存在の意味合いを事業に生かして、次々と海外のワイナリーと事業を展開したことが大いに貢献しています。

モンダヴィ氏が世界に打って出ることができたのも、資本のおかげです。資本の流動性と資本自体がもつ富の魅力性により、国境、階級を越えて事業が展開されていくのです。

旧世界型と新世界型セパージュ主義国境と階級を越えて

イタリアに、フレスコバルディ家という由緒正しい名家があります。

その歴史は1092年ごろまで遡ることができます。フィレンツェを拠点とし、当時は銀行、羊毛、綿織物などの事業に携わり、七つの主要なギルド(中世の同業者組合)の一つでした。1300年にはワイン事業を開始します。この歴史はムートン・ロートシルトよりもはるかに長く、イタリアの中でも伝統的なワイナリーの一つです。これまで数千年のワインの歴史を振り返ってきましたが、ワインビジネスはいつの時代も、とてもROIの高いビジネスであったといっていいと思います。フレスコバルディ家にとっても、ワイン事業は、さまざまなビジネスの中でも、重要な一角になったに違いありません。

ロバート・モンダヴィは、1995年にこの名高いフレスコバルディとジョイント・ベンチャーを起こしました。モンダヴィの両親は、イタリアの貧しい農家出身で、そのイタリアで雲の上の存在であったフレスコバルディ家と事業を行うことは、とても誇らしいことであったはずです。そして、このジョイント・ベンチャーで生まれたワインが「ルーチェ」でした。

このジョイント・ベンチャーは、モンダヴィとフレスコバルディが50%ずつ資本を持ち、イタリアのトスカーナ地方でブドウ栽培をしてワイン造りをするというスキームでした。

使用するブドウは、トスカーナ地方固有のサンジオヴェーゼと、国際品種といってよいメルローです。サンジオヴェーゼは、キアンティ、キアンティ・クラシコといったワインに使用されている、イタリアでも代表的な品種です。メルローは、フランス・ボルドーのドルドーニュ河右岸の地域で主体的に使用されていることで有名ですが、米国、チリといった新世界でも多く使われているセパージュ主義的な品種の代表格です。

イタリアは、ワイン造りにおいてフランスよりも長い歴史をもつ伝統国ですが、そのワイン造りの思想は、どちらかというとセパージュ主義でした。イタリアのワインの多くは、その銘柄にブドウの名前を使っており、その思想が根ざしていることが分かります。単純化すると、ジョイント・ベンチャーの誕生で、旧世界型と新世界型セパージュ主義が手を組んだ、という構図が成立したのだと思います。

フレスコバルディ家の社長ヴィットリオ・フレスコバルディは、このベンチャーについて次のように述べています。「旧世界と新世界の知見から恩恵をうけるためのプロジェクトである」と。

新世界型セパージュ主義の拡大カリテラ(チリ・ワイン)

ロバート・モンダヴィの世界展開は続きます。

エドゥアルド・チャドウィックは、第14回のコラムで紹介したチリの名家エラスリス家の直系の子孫であり、1993年にエラスリス・ワイナリーの社長に就任します。そして、1996年、彼はロバート・モンダヴィと50/50のジョイント・ベンチャーを行うことに合意します。このジョイント・ベンチャーでは、エラスリスが1989年から米国向けに取扱っていたブランドであるカリテラを、新たな技術プロセスによって生産し、ラベルデザインを刷新し、ワインの品質を高めた上で販売しました。

このジョイント・ベンチャーの背景を理解するには、1980年代に遡らなくてはなりません。先に示したアメリカにおけるワインの消費量のトレンドをご覧いただくと分かりますが、1980年代、米国では空前のワインブームに沸いていたことが分かります。このことにより、ワイン業界ではブドウ不足が深刻な問題になっていました。

その不足したブドウを補完する役目を果たしたのがチリです。もともと、多くの米国のワイナリーは、チリとの取引を一時的なものであるとし、真剣な提携などは行っていませんでしたが、ロバート・モンダヴィは、長期的なパートナーシップを求めていました。

こうした提携先を探していたときに、モンダヴィの目に留まったのがエドゥアルド・チャドウィックです。ロバート・モンダヴィ・ワイナリーの交渉役としてチリに派遣されていたアラン・シューナーは、チャドウィックの次の言葉が印象に残ったといいます。

「一本のワインを売るに際し、それは一本のワインを売っているのではなく、それ以上のものを売っているのだ。ワインは西洋の文化と文明を体現しており、ワインを飲むことは、贅沢な日常の儀式なのである。エラスリスは、チリで最も古く、最も尊敬されているワイナリーのひとつであり、ロバート・モンダヴィの製品が顧客に伝えるメッセージとまさに整合しているではないか」

こうして、ロバート・モンダヴィとエラスリスのカリテラというブランドによるジョイント・ベンチャーが始まるわけです。

カリテラに使われている品種は、カベルネ・ソーヴィニョン、メルロー、シャルドネ、ソーヴィニョン・ブラン。すべて、セパージュ主義の中心となる国際的な高貴種ブドウです。これらのブドウをロバート・モンダヴィから最新の技術を導入して栽培し、ワイン造りを行うのです。

チリ・ワインの歴史は16世紀にイエズス会の修道士がスペインより伝承したことから始まりました。以来、古典的なワイン造りを行ってきましたが、この米国資本とのジョイント・ベンチャーを通して、世界でも有数な高品質ワインを生み出す国へと進化していくことになります。

ロバート・モンダヴィの成長要因

株式公開によって資本市場から資金を調達し、世界中にその影響力を広めていくロバート・モンダヴィ。イタリアのルーチェ、そしてチリのカリテラの事例を見てきましたが、いずれも、セパージュ主義的ワイン造りがその根本思想にあります。ワインは土地に紐づくのではない。ブドウこそ重要なのだというセパージュ主義の視点でみると、世界にはまだまだ潜在性のある未開拓の産地が多くあり、このような産地をロバート・モンダヴィは市場から調達した資本力で、席巻していきました。

そして、この大きな成長を遂げるためには、毎年より多くのブドウを確保していかなければなりません。しかし、一人で面倒を見ることが出来るブドウ畑の広さに限界がありますし、買収によって傘下に数々のワイナリーをおさめようとしても、ワイナリー・オーナーにとっては、安定した収入が見込めるわけでもなく、また一国一城の主で自分の思いのままにやっている地位を失ってまで買収に応じようとはしないでしょう。

しかも、1990年代、米国は再びワインブームが到来していたので、なおさらです。需給バランス的にもブドウの確保は困難なわけです。ブドウ畑を確保できなければ、生産量を増やすことは限定的になり、売上げを増やすことも自ずと限界があるということになります。

一方、海外に目をむければ、チリのようにブドウが余っているところがありますし、フレスコバルディのように国際的に認められつつあるメルローといった品種に興味をもつワイナリーもあるため、事業機会が存在するというわけです。あとは、この事業機会に資本を投下していけば、自ずと成長するということです。セパージュの流動性と資本の流動性のタイアップが、成長を大きく加速させるのです。

一見向かうところ敵なしに見えるセパージュ主義。しかし、実は万能ではありません。ロバート・モンダヴィは、この国際展開の中で、挫折を味わうことになります。次回は、そのお話をしてみたいと思います。

参考資料
ロバート・モンダヴィ、『最高のワインをめざしてロバート・モンダヴィ自伝』、早川書房
JuliaFlynnSiler,“THEHOUSEOFMONDAVI”,GothamBooks
CarrieDolan,“RobertMondaviWineryPlansanIPO;MoveIsCloselyWatchedbyIndustry”,WallStreetJournal,April26th,2003
HarvardBusinessSchool,“RobertMondaviCorporation:Caliterra(A)”
Fig1:HarvardBusinessSchool,“RobertMondaviandTheWineIndustry”,andHarvardBusinessSchool,“MondaviWinery”
Fig2:OrganisationInternationaledelaVigneetduVin
Fig3:WineInstitute

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