身体的距離とグローバルビジネス 

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ビジネス世界の身体的距離

皆さんには、皆さんにとって快適だと思う身体的距離があることをご存知でしょうか。身体的距離とは、文字通り人と人が立つ時の間合い(距離感)のことを言います。一般的に初対面の方や異性の方とお会いする時は、身体的距離は遠めになることが多いです。その逆に、家族や恋人同士の身体的距離は、当たり前ですが、近くなりがちです。

武道の稽古においても、普段は、学生は学生同士、社会人は慣れ親しんだ同じ道場の稽古仲間と組むことが多く、その場合には身体的距離はあまり意識しません。しかしながら、様々な門下生が集まる夏期合宿などで、大きな外国人や小さな子供と稽古する機会に恵まれますと、この身体的距離を意識しながら、相手の手刀の落下点を読み、肘と肩や腰の状況をイメージして技を繰り出すことになります。

ビジネスの世界においても身体的距離があるように思います。特に、日本社会のように長い間同じメンバーで仕事をしてきた環境においては、皆が快適だと思う仕事の進め方や、意見の述べ方、結論の出し方にある種のコンセンサスがあります。しかし、企業のグローバル化が進む中で、日本企業も欧米、アジアのみならず世界各地の新興国においても、プレゼンスを高めています。グローバルな環境下で仕事を進める際の身体的な距離はどうあるべきなのでしょうか。

先月、たまたま、ある大臣経験者と英語で対談する機会をいただきました。その方は日本語で話していると日本人の間合いなのですが、英語で話し始めると、グローバルな間合いにスッと移られます。その変化スピードと連続性に、思わず感嘆しました。

グローバルな間合いとは何か

グローバルな間合いとは、例えば、米国、英国、フランス、ロシア、中国、インド、ブラジル、南アフリカ、オーストラリア、日本から各国1名ずつが参加した10名から成るグローバルカンファレス(会議)をイメージしてみましょう。また、この企業の本社は日本ではないと置きましょう。

ここで日本人的な間合いで、「初の会議召集だから指名されてから喋ろう」などと考えていると、全く発言できずに会議が終わってしまうことがあります。また、発言しても、欧米の方が途中から意見をかぶせてきて、自分の言いたい主張が最後まで出来ずじまいのこともあります。

グローバルな環境には、グローバルな間合いがあります。自分から発言の場を取る意思、場が取れたら間髪を置かず結論から論理的に話す用意、誰かが途中から話をかぶせ始めても、相手をにらみながら自分の話を最後まで聞くよう牽制できる個人としての強さなどなど。

これら各国参加者がグローバル会議に対して持っている認識は、良い悪いというものではなく、各国の身体的距離に基づく違いによるものだと思われます。だとすると、我々はそのような身体的距離の差にどのように対処したら良いのでしょうか。

グローバル会議のように時間が限られている中で、自国の主張をせねばならない時は、もうグローバルなルールに則って主張するということだと思います。ここでは、欧米人と同じ次元で同様な論理構成で話します。ただし、背負っている自国の立場が異なるから利害関係は異なるということでしょうか。

しかしながら、時間が限られておらず、それなりの頻度で継続的に会える関係性であれば、日本の身体的距離の歴史や意味づけを説明し、そのメリットを説くということも一案でしょう。私は、欧米の友人がご夫婦で東京にいらっしゃる時は、懐石料理をご一緒することが多いです。それは、日本にある身体的距離の由来を紹介したいと思うからです。

それでは、各国間に身体的距離の差が存在する中で、「氣」はどんな役割を担うのでしょうか。

グローバルビジネスにおける「氣」の役割

まず、「氣」を通じて、相手の発言の真偽を判断できる、という役割があります。グローバルルールの中で、仕方なしに取ったポーズ(構え)なのか、本当に譲れない主張なのか。会議における「発言」は帳尻合わせができるものの、その会議における感情や心理はごまかすことができません。この情報が次の会議で役立ちますし、二国間でのビジネス関係を構築することにも有効です。

では、グローバルビジネスにおいて、我々が到達すべき点とはどこなのでしょうか。そして、その時「氣」はどのような状態となっているのでしょうか。総合商社で長年海外勤務し、現在グローバルリーダーの育成に取り組む、グロービス・オーガニゼーション・ラーニングのマネジング・ディレクター、高橋亨氏は次のように言います。

「各国の参加者から成るチームで戦うのは様々な困難を伴う。心身ともにボロボロになるが、徹底的に向かい合って協力を求めるのだ。その力をうまく結集することができれば、すごい力を発揮できることを目の当たりにできる」

これは、限られた時間の中でグローバルルールに則ってシャンシャン会議を開くということではありません。いわば時間制限の無い、グローバルルールとローカルルールが入り混じった異種格闘戦の中で、全員が本音で語り合い、ぶつかりあって、その結果、大きな力のうねりを屹立させるということです。

ところが集団やチームというのは、人間のバイオリズムと一緒で、潮の満ち引きのように、うねりが高まったり、低くなったりします。個々のプレイヤーが十分に「氣」を出したか。それぞれが出した「氣」が混ざり合い、一つのものを形作る時機は来たか。本コラムの第2稿や第3稿で見てきた通り、我々が物理的存在である限り、「氣」がいつまでも放出され続けることはありません。「氣」が放出されたら、次には「氣」を再び練り直さないとなりません。このように、「氣」には、各国に主張をさせつつ、それをより大きな全体主張に統合していくタイミングをはかるという、役割もあります。

様々な価値観やルール、国民性が入り交じるグローバルビジネスの現場。「氣」は、他国のビジネスパートナーの本質を見抜き、各国間の異なる利害を一つに束ねる道標になれると信じます。

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