『新版グロービスMBA経営戦略』から「見えざる資産」を紹介します。
戦略論の1つに、ダイナミックな組織学習に着目した「ラーニング論」があります。組織学習とは、過去の成功や戦略の枠に思考や行動を縛られることなく、変化に対応し、自己改革していくことです。つまり、ここで言う「学習」とは、単に知識を習得することにとどまらず、思考や行動パターンを変えていくことを指します。そのためには、すべての構成員が自律性と協調性を持ち、現在の環境に適応する強さと将来の変化に対応する柔軟性を保持・実践することが求められます。また、学習を促す情報の流れを最適化する仕組みや組織文化も必要です。これを実現するのは容易ではありませんが、だからこそ競合がそれを模倣するのは極めて困難となり、長期にわたる競争優位性にもつながるのです。工場や物流倉庫のような目に見える資産以上に「見えざる資産」が模倣しにくいとよく言われますが、その中心に組織学習があるのです。
(このシリーズは、グロービス経営大学院で教科書や副読本として使われている書籍から、ダイヤモンド社のご厚意により、厳選した項目を抜粋・転載するワンポイント学びコーナーです)
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見えざる資産
見えざる資産という概念は、1984年に一橋大の伊丹敬之らが『新・経営戦略の論理』の中で提唱した考え方である。工場や物流センターなど「目に見える資産」ではなく、ノウハウや顧客情報の蓄積、ブランド、プロセスやナレッジなど、目には見えにくい組織の資産を総称して「見えざる資産」と言う。この考え方は、第2章で紹介したリソース・ベースト・ビューにも大きな影響を与えた。特にケイパビリティの概念などは、見えざる資産とかぶる部分が多い。本項では、そのなかでもよりダイナミックな要素に注目し、解説をしていく。
伊丹らが『見えざる資産の戦略と論理』で見えざる資産の典型として挙げたのが、ヤマト運輸の事例だ。ヤマトは「宅急使」(一般名詞としては宅配便)のサービスの先駆者として知られるが、ヤマトの優位性を決定づけたものは、トラックの数や集荷センターの数といった単純な要素ではない。その背後にある、組織体制や情報システム、人の質などを、間断なく進化させ続けた点にこそ成功のカギがあった、というのが伊丹らの主張である。
さらに重要なポイントは、まさに「市場からの学習」によって、サービスラインを拡げた点である。「ゴルフ宅急便」「スキー宅急便」などは、ヤマトが自発的に考えたというよりは、顧客が勝手に考えた用法にヤマトが気づき、それをサービスに落とし込んでいった側面が強い。
ヤマトのシステムの力やノウハウの蓄積が、顧客の自発的行動を促進し、さらにヤマトがそれに気づいて新しいサービスに取り込むというダイナミックな進化こそが、見えざる資産の重要要素である。つまり、単に外からはわかりにくいというだけでは見えざる資産とは言えず、それを持つ組織が学習と自己進化の仕組みを内包していることこそがポイントである。
自己進化の大きな要素に情報が含まれるのは必然である。伊丹らは、「情報蓄積」と「情報チャネルの有効性」を見えざる資産構築の中核要素として指摘している。そして、図に示した3つの情報の流れを、見えざる資産の本質と連関が強いものとしてまとめている。
特に3つ目の内部情報処理特性の要素として、組織風土といった要素が入っている点は重要だ。たとえば、常に常識を疑うという組織風土があるからこそ、さまざまな情報の収集方法や、その解釈にバリエーションが生まれ、対話が促進され、新しい戦略へとつながっていくのである。
ダイナミック・シナジー
伊丹が提唱したもう1つの重要概念が、ダイナミック・シナジーである。第1章で紹介した範囲の経済性、一般的なシナジーは、目に見えやすいシンプルな投資の多重活用を中心に据えていた。それに対してダイナミック・シナジー論は、時間軸をさらに広げ、見えざる資産の多重的活用を目指すものである。
伊丹らは、ダイナミック・シナジーの典型事例として東レを挙げている。東レはもともと繊維会社であったが、プリミティブな繊維事業が縮小していくことを見越して、繊維で培った技術、調達、生産、開発などのプロセス、そして顧客と協働して用途開発を推し進める方法論などを武器に多角化を進め、「先端材料の東レ」への脱皮を図ったのである。その代表的な成功例が、ユニクロ(ファーストリテイリング)と協働して開発したヒートテック素材である。まさに顧客と協働した積極的な学習が奏功した例といえよう。
こうしたノウハウは。カネで買うなどして一朝―夕に手に入るものではない。まさに見えざる資産を長年かけて構築し、それを他の事業に転用したことにこそ、東レ成功のカギがあったのである。最も競合がまねをしにくく、また企業の市場適応力を高めるうえで、ダイナミック・シナジーの考え方は、見えざる資産と並んで強く意識しておきたいものである。
セブン-イレブンの例では、鈴木敏文が根付かせた「仮説検証」の企業文化や、それに伴う素早い品揃えの変更、PB商品の開発ノウハウなどは、まさに見えざる資産である。これらを活用し、グループの流通会社に応用でされば、それがダイナミック・シナジーとなる。
しかし現実を見ると、それがイトーヨーカ堂や西武百貨店、そごうなどで実現しているとは言い難い。GMSや百貨店というビジネスモデルそのものが、過渡期、再編期にあるとはいえ、これをいかに実現していくかが、セブン&アイ・グループの大きな課題といえるだろう。
『新版グロービスMBA経営戦略』
グロービス経営大学院 (著)
2800円(税込3024円)