将棋や囲碁の上達のために読む本の定番ジャンルとして、「手筋集」というものがある。手筋とは、ある類似した局面で上手く攻めたり受けたりする手順をパターン化したものを指す。
たとえば、将棋で「両取り逃げるべからず」といえば、相手が両取り(1つの駒で2つ以上の駒が取れるような手)を仕掛けてきたとき、ついどちらかの駒を逃がす手を指してしまいがちだが、そこを敢えて両方とも放っておいて別の手を指した方がよい、という意味である。
こうした手筋集が定番の売れ筋となっている理由は、特に初級・中級者にとっては、プロのタイトル戦の棋譜や序盤の定跡の解説よりも、分かりやすく棋力アップに効果が高いからだろう。手筋とはさまざまな局面を抽象化したパターンなので、必ずしも実戦の中でその通りの局面が出現するとは限らないし、相手も手筋通り応戦するとは限らない。また、あくまでも限定された局面を優位に進めるためのものなので、多くは勝ちに直結するわけでもない。しかし、そうしたリスクや短所を考慮してもなお、手筋を類似の局面で使ってみて優位に進められた体験(逆に、手筋通りのことを相手にやられて不利に追い込まれた体験)がもたらす教育効果の方が強いのである。
さて本書は、ビジネスという世界における「手筋集」のような本である。論理思考/問題解決/経営戦略/マーケティング/リーダーシップ/組織/定量分析/アカウンティング/ファイナンス/新事業創造/交渉・説得・会議の11章に分かれて、「基本」となる考え方や言い回しを100項目紹介したものだ。
たとえば、「マーケティングの目的は、セリングの必要をなくすこと」とはピーター・ドラッカーの言葉である。マーケティングが正しく機能していれば、無理にセリング(売り込み)をしなくても、顧客がすすんで買ってくれる。徹底して顧客視点に立って、そういう状況こそ本来目指すべきなのだ。
このほか採り上げられているのは、「組織は戦略に従う」や「みんなの意見は案外正しい」といった学者の言葉、「なぜ?を五回繰り返せ」(トヨタ)や「完璧より、やる方がいい」(フェイスブック)といった個別企業のモットーとして有名なものから、「寿司屋とは、寿司で客寄せして酒で儲ける飲食店である」のように筆者がグロービスのクラスで言っていることまで多岐にわたる。100項目それぞれにつき、2~4ページでコンパクトな解説が付いていて、どこからでもスラスラと読み進められる仕組みである。
考えてみると、このようなビジネス版「手筋集」のような書籍はこれまでほとんど無かった。実在の企業の成功/失敗例を詳しく描いたものは、将棋で言えばタイトル戦の棋譜解説に当たるだろう。経営学者による戦略論や組織論は、「○○九段流△△戦法」風の定跡の解説書と言えるかもしれない。もちろんこうした書籍の意義は言うまでもないが、初学者にとってはなかなか消化しにくいのも実状である。具体的すぎると、そこからの教訓の抽出が難しいし、体系的すぎるとそこに書かれている考え方のうち、現実の場面においてどれをどう使うかの判断が難しい。
その点、本書は筆者も「はじめに」で語るとおり、「目の前にある仕事と絡めながら辞書的に使う」ことも可能だし、ベテランの人が「何かあったときに思い出し、意思決定や実戦のヒントとしたり、部下への指導に活用したり」するときにも有効そうだ。
若手ビジネスパーソン向けに役立つビジネス解説書として、実にユニークな一冊である。
『MBA100の基本』
グロービス(著)、嶋田 毅(執筆)
東洋経済新報社
1500円(税込1620円)